これ、学生時代、ラグビーを始めたときに先輩から言われ、今でも忘れられない言葉です。
ラグビーというのはご存知の通りボールを後ろにパスしながら相手ゴールを目指すスポーツです。渡した人より受けたボールを一歩でも前に持って相手ゴールに近づくのが、その受けた人の責任なのであります。
そりゃ前からタックルされたらあおむけに倒れることもありますし、倒す側からは、あの楕円のボールを自陣のほうに置かせるように必死なのです。それでも十センチでも前に倒れるのが自分の責任を果たすことなのであります。こうした小さなプレーはあまり注目されないのですが、そうした小さな基本の手を抜かない選手が名選手といえるのではないかと私は思っています。
なんでこんなことを言うのかっていうと、実は人生においても、倒れるときは少しでも前に向かって倒れることが大切なんじゃないかと思うからなのです。失敗なんていつだってするものだし、そのたびに立ち止まっていてはいけないと若い連中には言うのですが(自分の若い頃を思うと、偉そうなことは言えませんけど)、下手くそなラグビーチームのように、ボールを出すたびにポイントが下がっていく(=ゲインラインが下がっていく)ようなもどかしさを感じるときがあります。
かの明大ラグビー部を率いた故北島忠治監督のように、「一歩でも前に」の大切さを感じることが最近は多いのです。当時は「揺さぶり」の早稲田と「重戦車」の明治を見て、若い私は早稲田のスピードに魅了されたものでした。
しかし、年齢を重ねて若い人を指導する立場に立つと、生きる上では愚直に「一歩でも前に」の大切さを痛感することが多いのです。仰向けに倒れたら何もない空しか見えないけど、前に向かって倒れたら、顔をあげれば自分の進む道が目の前にある。
一度も倒されない試合がないのと同じように、一敗地に塗れることのない人生もあり得ないのです。倒れて顔を上げたときに、その先に自分の行く道があれば、立ち上がって行けばいい。そんなことを思うのです。北島先生は学生に人生を教える意味でもそこに執念を燃やしたのかもしれません。
最近、昔、教えられたことが違った色合いに見えてくることが多くなりました。別に悟ったわけではないですが、この歳になってようやく気付くことも増えてきました。
これからも生徒に言うでしょう。「前だけを見ろ」と。そして言い続けることが若い人への応援になると信じています。
ラグビーというのはご存知の通りボールを後ろにパスしながら相手ゴールを目指すスポーツです。渡した人より受けたボールを一歩でも前に持って相手ゴールに近づくのが、その受けた人の責任なのであります。
そりゃ前からタックルされたらあおむけに倒れることもありますし、倒す側からは、あの楕円のボールを自陣のほうに置かせるように必死なのです。それでも十センチでも前に倒れるのが自分の責任を果たすことなのであります。こうした小さなプレーはあまり注目されないのですが、そうした小さな基本の手を抜かない選手が名選手といえるのではないかと私は思っています。
なんでこんなことを言うのかっていうと、実は人生においても、倒れるときは少しでも前に向かって倒れることが大切なんじゃないかと思うからなのです。失敗なんていつだってするものだし、そのたびに立ち止まっていてはいけないと若い連中には言うのですが(自分の若い頃を思うと、偉そうなことは言えませんけど)、下手くそなラグビーチームのように、ボールを出すたびにポイントが下がっていく(=ゲインラインが下がっていく)ようなもどかしさを感じるときがあります。
かの明大ラグビー部を率いた故北島忠治監督のように、「一歩でも前に」の大切さを感じることが最近は多いのです。当時は「揺さぶり」の早稲田と「重戦車」の明治を見て、若い私は早稲田のスピードに魅了されたものでした。
しかし、年齢を重ねて若い人を指導する立場に立つと、生きる上では愚直に「一歩でも前に」の大切さを痛感することが多いのです。仰向けに倒れたら何もない空しか見えないけど、前に向かって倒れたら、顔をあげれば自分の進む道が目の前にある。
一度も倒されない試合がないのと同じように、一敗地に塗れることのない人生もあり得ないのです。倒れて顔を上げたときに、その先に自分の行く道があれば、立ち上がって行けばいい。そんなことを思うのです。北島先生は学生に人生を教える意味でもそこに執念を燃やしたのかもしれません。
最近、昔、教えられたことが違った色合いに見えてくることが多くなりました。別に悟ったわけではないですが、この歳になってようやく気付くことも増えてきました。
これからも生徒に言うでしょう。「前だけを見ろ」と。そして言い続けることが若い人への応援になると信じています。