最終施設に入った母も少し持ち直したようで、無事に今日米寿を迎えました。

最近、いろいろな有名人の死を目にしながら、自分自身の人生の終わり方について考えることが多くなりました。子供も社会人になって自分で「食える」ようになったので、いまさら残った家族のために生命保険などはいろうとも思いませんし(相続争いを避けるために生命保険に入ったほうがいいとか、そういうことを言う保険屋とタッグを組んだ同業者もいますが、そりゃ、それぞれの家の事情と、「逝く」人の人生観なんですから、一般論でそんなことを言ってはならんと思うのです。独身者と、子供が独立した世帯には生命保険など必要ないというのが私の考えです。自分の命と引き換えにゼニもらって何が嬉しいのか、未だに理解できないのです)一日でも永く生きようと無駄な治療もしたくありません。

ですから、ガンと言われても、治療はするつもりはありませんし(イボやホクロと同じと思っているのです)、副作用だらけの抗がん治療なんか誰がするか、ともうのです。これは亡父が治療するたびに苦痛を重ねていったのを目の当たりにしたからかもしれません。

もっとも困るのが脳卒中でして、半身不随などになった日にはたまりませんから、自覚症状があったら、じっと寝て死神を迎えようかなんていうことも考えているのであります。(病院に連れて行かれたら、医者は治療・延命するしかないですからね)

要するに、天命に抗わないということなのです。

ですから、愛川欽也さんのような死に方が私には理想なのです。

遠い昔になりますが、私の結婚式の披露宴で大学の恩師が言ったひと言が今でも心に残っているのです。

「人生の幸せ、不幸せと言うのは定義し難いのですが、人生の最後に愛する人と一緒にいること、これだけは幸せだと言えるでしょう」

人は先祖から受け継いた命をもらって生まれた時から例外なく死に向かって歩いていくのです。たとえ子供がなく、命のバトンはつなげなくても、心のバトンは若い人につないでいくことができるのです。

その意味で、誰もが生まれた時から「先祖」の役割を担っているのです。そう思うと、終わりと同時に今も大切な時。私はそう思います。