今は前職の同僚(一時的に部下であったり上司だったりもしたのですが)が経営する2か所の塾で「出稼ぎ」をしているわけですが、前職を辞するとき、知り合いから「自分で塾をやることは考えないんですか?」とよく聞かれました。

子育て最終段階で資金はなかったものの、経験から言えば、充分できるだけのことはあったでしょうが、私は「柄じゃない」と答えるだけでした。

会社の経営者となるということは、ある意味で「悪人」になりきれるということだと私は思っています。そもそも、会社というのは利益追求を第一と考えるべきであり、それができないと経営そのものができないのです。

「人を教える」という仕事は、そりゃスポンサーである親の学歴コンプレックスや学歴ヒエラルキーを喧伝し、根拠なく名乗れる「ベテラン」教師とか実名を出さないで「作れる」合格実績数で人を惑わし、子供の未来に対する幻想と恫喝をネタに追加講座を取らせれば、合法的に「大きく」利益を出すことができます。

でも、それが嫌で職を辞した私が、たとえ自分が食うためとは言っても、いざとなれば同じことをする可能性がある商売に手を出したくはなかったのです。

また、入試に必要な全教科をひとりで水準以上に教えるなんてありえないのですから、人を使うということになったら、その人間の人生の進む方向にもある程度の責任を負わなければならないです。もっともこの考え方は古い日本的経営の考え方であり、わたしのような考えをする人は圧倒的少数になっていますが、いやしくも仕事に「チームワーク」という言葉を使うのであれば、共に仕事をする人間はあくまで人間であり、道具でも機械でもないのです。

高校の同級生である社労士は中小企業の顧問をしながら、いろいろ思うそうです。本当に自分の生活を切り詰めて社員の給料を捻出している社長夫妻もいれば、少しは職員のことを考えてあげなさいよと言いたいくらい社長一家だけ贅沢三昧しているところもあると。

曰く、「でも、従業員を大切にしないところは従業員も会社を大事にしないんだよね…」

自分は「いい人で」ありたいとは思わないけれど、いざというときに「外道」になる勇気もない、こうした優柔不断なところが経営者には向いていないのです。半世紀上生きていりゃ、自分の向き不向きで、どうにもならんことがひとつやふたつあるってことがわかってきます。

これでも若い時は鶏口牛後を旨としてきましたのですけどねぇ。