最近、すこし時間が出てきたせいか、読者になっていただいた方のブログや私が読者になっているブログを訪問する機会が増えました。(それと反比例に自分のブログの更新が疎かになっていますけど(^_^;))
それぞれの方の文章の書き方、言葉遣い、漢字の使い方等々、それぞれ個性があって面白いものです。
ライターが書いていると噂される一部gay-know人たちとは違い、性格も人格も知性も…、良いも悪いも全て出てくるのが(ある意味恐ろしいが)文を作るといった作業なのだと思うのです。
駄文を書くのが好きな私ですが、投稿した文を読み直すと、どうにもおかしいと思うところが出てきます。気がついたら治すようにしていますが、投稿して結構な時間が経ってしまっていると、自分のアホさかげんが世間に広く知られてしまったようで恥ずかしいったらありません。
そもそも、ブログの立ち位置というものの定義がなかなか難しいのですね。
自分の考えを世間に知らしめるといった高尚なものである人にとっては、ネット上に全世界に向かって自分の見解を堂々と述べる場といった意味では、マスコミ等には縁のない一般人にとっても大きなチャンスを与えていると言えるかもしれません。
その一方で、経済的利益を目的とする活動の宣伝手段のひとつとしてブログを考えている人は、いかに売りたい商品のバナーをクリックしてもらうかを考えて文章をつくるでしょう。(こういう方はリンクを増やすつもりなのか、しきりに読者登録の申請をしてきますが、ガン無視です)
でも、多くの方は(失礼かもしれないが)難しいことを考えず、私同様に他愛もないことを書き綴っているのでしょう。
でも、それで自分の人格・知性の一端が世間に知られるとなると、少々恐ろしさも感じます。人を教えてきた仕事を長年していると、かつての教え子や保護者が見ているかもしれません。当然同業者もいるでしょう。「八王子 行政書士」でググると上位5番以内にこのブログも出てくるので、お客様も見ているかもしれません。
そう考えると(・。・)いやはや…。卑怯なことが大嫌いなので、顔まで出して堂々としているのも考えものでしょうか。
今更ながら上手な文を書かなければならんと、なんて感じてしまうのであります。これも私なりの「恥の文化」なのです。
それぞれの方の文章の書き方、言葉遣い、漢字の使い方等々、それぞれ個性があって面白いものです。
ライターが書いていると噂される一部gay-know人たちとは違い、性格も人格も知性も…、良いも悪いも全て出てくるのが(ある意味恐ろしいが)文を作るといった作業なのだと思うのです。
駄文を書くのが好きな私ですが、投稿した文を読み直すと、どうにもおかしいと思うところが出てきます。気がついたら治すようにしていますが、投稿して結構な時間が経ってしまっていると、自分のアホさかげんが世間に広く知られてしまったようで恥ずかしいったらありません。
そもそも、ブログの立ち位置というものの定義がなかなか難しいのですね。
自分の考えを世間に知らしめるといった高尚なものである人にとっては、ネット上に全世界に向かって自分の見解を堂々と述べる場といった意味では、マスコミ等には縁のない一般人にとっても大きなチャンスを与えていると言えるかもしれません。
その一方で、経済的利益を目的とする活動の宣伝手段のひとつとしてブログを考えている人は、いかに売りたい商品のバナーをクリックしてもらうかを考えて文章をつくるでしょう。(こういう方はリンクを増やすつもりなのか、しきりに読者登録の申請をしてきますが、ガン無視です)
でも、多くの方は(失礼かもしれないが)難しいことを考えず、私同様に他愛もないことを書き綴っているのでしょう。
でも、それで自分の人格・知性の一端が世間に知られるとなると、少々恐ろしさも感じます。人を教えてきた仕事を長年していると、かつての教え子や保護者が見ているかもしれません。当然同業者もいるでしょう。「八王子 行政書士」でググると上位5番以内にこのブログも出てくるので、お客様も見ているかもしれません。
そう考えると(・。・)いやはや…。卑怯なことが大嫌いなので、顔まで出して堂々としているのも考えものでしょうか。
今更ながら上手な文を書かなければならんと、なんて感じてしまうのであります。これも私なりの「恥の文化」なのです。