最近は前職の元同僚たちと会食する機会があったり、最近、すっかり更新をサボっているJUGEMの受験ブログを通じて、社会人の方から個人的に英語を教えて欲しいという依頼があったり、前職を辞してから6年も経つというのに、「行政書士のセンセイ」になりきれず「英語のセンセイ」が浮かび上がってきた自分に少々戸惑いを感じるとともに、自分の人生の「流れ」というものが「教える」ということから逃れられない気がしてきました。
英語感覚というのは法律感覚と全くアタマの中で使う部分が違うというか、発想を変えてかからないと苦痛以外の何者でもなくなってしまいます。
それに対して法律と数学(比較的初等の)は多くの演繹的論理構成があるという点で思考方法が似通っている(かなりザックリな考えですが…。数学でも帰納法はありますけど「数学的帰納法」とわざわざ「数学的」をつけているあたり、例外減少なのかと思ったりするのです)ので、塾業界で数学の教師に法学部出が多いのも首肯できます。
ですから、法律と英語なんていう妙な取り合わせを扱っている私なんかは文字通りの「変人」なのです。
5年やっても前職のキャリアが行政書士という仕事に役立ったとは思いませんが、学生時代に選んだ仕事で家庭を持ち、子供を育て上げたということを考えただけでも、「教える」ということが自分には天命のような気もしてくるのです。
「英語が好きですか」と聞かれたら「好きです」とは絶対に答えない私ですが、自分の人生に課せられた仕事だと思えば、愉しくやっていくしかないよね、とそう自分に言い聞かせているのです。
英語感覚というのは法律感覚と全くアタマの中で使う部分が違うというか、発想を変えてかからないと苦痛以外の何者でもなくなってしまいます。
それに対して法律と数学(比較的初等の)は多くの演繹的論理構成があるという点で思考方法が似通っている(かなりザックリな考えですが…。数学でも帰納法はありますけど「数学的帰納法」とわざわざ「数学的」をつけているあたり、例外減少なのかと思ったりするのです)ので、塾業界で数学の教師に法学部出が多いのも首肯できます。
ですから、法律と英語なんていう妙な取り合わせを扱っている私なんかは文字通りの「変人」なのです。
5年やっても前職のキャリアが行政書士という仕事に役立ったとは思いませんが、学生時代に選んだ仕事で家庭を持ち、子供を育て上げたということを考えただけでも、「教える」ということが自分には天命のような気もしてくるのです。
「英語が好きですか」と聞かれたら「好きです」とは絶対に答えない私ですが、自分の人生に課せられた仕事だと思えば、愉しくやっていくしかないよね、とそう自分に言い聞かせているのです。