遺言書や相続の仕事をするたびに、依頼人の人生の背景を感じることが多いのです。時には感情移入もしますし、それらの仕事をひとつ終えると、しばらくは同じ仕事をしたくなくなるのです。
ですから、遺言書の作成・相続を「専門」にして、次々と処理している方々(同業者ばかりでなく)の精神的タフさには時に感心することもあります。
相続処理は既に亡き故人の面影は遺影でしか知ることができませんが、遺言になりますと、目の前の人が死ぬことを意識してイメージを作り上げなければなりません。そりゃ元気なうちに単に財産の残し方を決めただけと言うむきもあるかもしれませんが、死神がそう遠くないうちに確実に自分のもとにやってくる方が依頼人だと一緒に死神の足音を聞いてやらなければなりません。
詳細は伏せますが、いま、そのような依頼人の仕事を引き受けています。
事務的にやるのは簡単ですよ。でも、家族もいないし、体を動かせないベッドの上で、ひたすら死神が近づいてくるのをひとり待っているかたに、死んでいくものの責任として遺言書を作成させるのではなく、少しでも安らぎの気持ちを持たせることができないかと考えてしまうのです。
そう思うと、元気なうちに遺言書なんていうのは、作る方も作らせるほうも、死神を感じていないからできるのではないでしょうか。それとも、気づかないふりをしているのか、「死」についてのリアリティを感じないのか。
死んだ人の肌の冷たさ、文字通り血の気の引いた物言わぬ唇…、そんなことが遺言書を作りながら私は感じてしまうのです。
食うや食わずの士業の世界で、こんなことを考える自分が時代遅れなのはわかっています。でも、どの世の中にもこんな馬鹿がひとりぐらいいてもいいのではないか、そんなふうに思います。
ですから、遺言書の作成・相続を「専門」にして、次々と処理している方々(同業者ばかりでなく)の精神的タフさには時に感心することもあります。
相続処理は既に亡き故人の面影は遺影でしか知ることができませんが、遺言になりますと、目の前の人が死ぬことを意識してイメージを作り上げなければなりません。そりゃ元気なうちに単に財産の残し方を決めただけと言うむきもあるかもしれませんが、死神がそう遠くないうちに確実に自分のもとにやってくる方が依頼人だと一緒に死神の足音を聞いてやらなければなりません。
詳細は伏せますが、いま、そのような依頼人の仕事を引き受けています。
事務的にやるのは簡単ですよ。でも、家族もいないし、体を動かせないベッドの上で、ひたすら死神が近づいてくるのをひとり待っているかたに、死んでいくものの責任として遺言書を作成させるのではなく、少しでも安らぎの気持ちを持たせることができないかと考えてしまうのです。
そう思うと、元気なうちに遺言書なんていうのは、作る方も作らせるほうも、死神を感じていないからできるのではないでしょうか。それとも、気づかないふりをしているのか、「死」についてのリアリティを感じないのか。
死んだ人の肌の冷たさ、文字通り血の気の引いた物言わぬ唇…、そんなことが遺言書を作りながら私は感じてしまうのです。
食うや食わずの士業の世界で、こんなことを考える自分が時代遅れなのはわかっています。でも、どの世の中にもこんな馬鹿がひとりぐらいいてもいいのではないか、そんなふうに思います。