少し神経を尖らせる仕事が本業で続いておりまして、多少のミスもあって、柄にもなくナーバスになっている毎日です。

学生時代「失敗ができるのは学生の特権であり、社会に出たら許される失敗などない」と某教授に聞かされてから以来ずっと神経を「すり減らして」きたのです。

でも、前職で中間管理職になって、失敗を恐れるあまり思考も行動も萎縮してしまったという苦い経験をしてきました。その傷が癒えないうちに、こうした商売を始めて人様の財産や権利に関わる仕事をやっているものですから、心の「金属疲労」を感じることがありました。

そんな自分の精神衛生上、様々なことを考えたのです。

そもそも、成功⇔失敗という対立軸でモノを考えるからくたびれるんじゃないかと。

そこで、失敗というのを学ぶ機会だと考えれると、少し心が軽くなる気がするのです。単なる開き直りじゃないかと言われるかもしれませんが、人は一生かかっても世の中のすべてのことを知ることができないのですから、学びのネタは尽きないわけです。

この歳になってもお恥ずかしいことに知らないことはたくさんあります。でも「学び」の契機は何か特別な心理的・生活的トリガーがなければないのも事実です。

ですから、社会生活を送っていると、不思議と「学んだ」ということを実感することもありません。

失敗は反省か忘却という手段でしか総括は不可能であり、また維持することは人をそこに留まらせ、心の平安をかき乱すのでありますが、これを「学習」と思えば少しは前に進めるのではないでしょうか。

そう思い、私は成功⇔学習という軸で仕事を考えようとしています。これで一歩前進できればいいと思っています。