先日痛めた足もようやく恢復し、敬老の日を前に老健に入所中の母親を訪ねてきました。足の方は内出血が相当ひどかったらしく、それが膝までおりてきて、膝頭を中心に赤あざ状態になっています。
私のほうは一時的にしろ施設に預けられたから良かったものの、親や親族の介護で若い人が結婚を諦めたり、仕事を辞めたりするという話を聞くと、自分の教え子にも優秀でありながら、そういう境遇にある者がいますので、いたたまれなくなってきます。
思うに、こうした介護をしていた人が将来、介護を必要とされるようになったらどうするのでしょうか。
話題にのぼる割にはこうした議論がされていないのが非常に気になります。親・親族の介護をしても自分を介護する人が制度がない、というのはたいへんな問題だと思うのです。
介護される人が「勝ち逃げ」世代と非難したり、世代間の争いを煽るつもりはありませんが、人として、人生の楽しみを犠牲にするというのは聖職者であれというのでしょうか。
子として親にいつまでも生きて欲しいというのはわからんでもないですが、逆に親の立場として、私はいつまでも生かされるのはたまらない気もするのです。
人としてまともな判断能力・社会適応能力をつけられる教育を受けさせるまでが子育てする側の責任だという私自身の信念から、教育を終わった子供は自分の人生を背負うひとつの人格でありますから、その人生に容喙するような真似はすべきでないと思うのです。
だから、私は介護の連鎖を断ち切るために、苦痛を和らげる以外一切の医療行為をするなと息子たちに言っております。だから、たとえ、高齢になってがんになってもQOLを下げるような手術はしないよって…。
親が決断すること、それを早く子供に伝えておくことが、介護の連鎖を止める唯一の方法なのではないでしょうか。
医療と同じで、介護を始めさせてしまったら、途中でやめる訳にはいかなくなるんですよ。子供は
私のほうは一時的にしろ施設に預けられたから良かったものの、親や親族の介護で若い人が結婚を諦めたり、仕事を辞めたりするという話を聞くと、自分の教え子にも優秀でありながら、そういう境遇にある者がいますので、いたたまれなくなってきます。
思うに、こうした介護をしていた人が将来、介護を必要とされるようになったらどうするのでしょうか。
話題にのぼる割にはこうした議論がされていないのが非常に気になります。親・親族の介護をしても自分を介護する人が制度がない、というのはたいへんな問題だと思うのです。
介護される人が「勝ち逃げ」世代と非難したり、世代間の争いを煽るつもりはありませんが、人として、人生の楽しみを犠牲にするというのは聖職者であれというのでしょうか。
子として親にいつまでも生きて欲しいというのはわからんでもないですが、逆に親の立場として、私はいつまでも生かされるのはたまらない気もするのです。
人としてまともな判断能力・社会適応能力をつけられる教育を受けさせるまでが子育てする側の責任だという私自身の信念から、教育を終わった子供は自分の人生を背負うひとつの人格でありますから、その人生に容喙するような真似はすべきでないと思うのです。
だから、私は介護の連鎖を断ち切るために、苦痛を和らげる以外一切の医療行為をするなと息子たちに言っております。だから、たとえ、高齢になってがんになってもQOLを下げるような手術はしないよって…。
親が決断すること、それを早く子供に伝えておくことが、介護の連鎖を止める唯一の方法なのではないでしょうか。
医療と同じで、介護を始めさせてしまったら、途中でやめる訳にはいかなくなるんですよ。子供は