未だに左うちわと行かない本業です。出稼ぎと併せて普通に生きていくだけの状態は維持している程度なのに、偉そうなことをいうのは口幅ったいのですが、人はある程度の収入が入ってくると、それが自分の力だけで手に入れたものと思いがちです。
社会の中で経済活動をする限り、他人との関わりなしにいられることもなく、報酬を求めず仕事に協力してくれた人は、収入が大きくなればなるほど多くなります。
生きるのに必死という段階では、他人の恩義があって得た1万円は涙が出るほど有り難かったはずなのに、100万円を手に入れると、他人の協力があったことをいとも簡単に忘れてしまう人がいかに多いことでしょう。
そうなると、どういうわけか自分一人の価値評価だけが大きくなり、他人の自分への無償の協力が当然と思い始め、さらには必要な報酬さえ出し渋るようになります。
こういう人は自分が神になったような気分でいることが多いのですが、もちろん人の心を救わないという意味でも神なんぞではなく憎悪と軽蔑の種を日々ばら撒いています。
確かに創業者の苦労は個人事業主である私もそれなりにわかっていますが、自分が背負った苦労は、あえて風の吹く道を選んだ結果であり、個人的な生き方の問題であります。
それは偉いとかどうかといった人間としての評価の問題ではないはずです。そのあたりが混同されて、他人にも同じ苦労をすることを要求するというのは、自分の子供ならともかく、赤の他人に生き方を強制するといった意味で「傲慢」の謗りを逃れられないのではないでしょうか。
貧しく苦労している時は「感謝」「感謝」と言っていた人が、多少カネを稼ぐようになると「感謝」のかの字も口にしなくなる。
見回すとそういう人がどこにでも見当たるようになったと思うのは私だけでしょうか。
社会の中で経済活動をする限り、他人との関わりなしにいられることもなく、報酬を求めず仕事に協力してくれた人は、収入が大きくなればなるほど多くなります。
生きるのに必死という段階では、他人の恩義があって得た1万円は涙が出るほど有り難かったはずなのに、100万円を手に入れると、他人の協力があったことをいとも簡単に忘れてしまう人がいかに多いことでしょう。
そうなると、どういうわけか自分一人の価値評価だけが大きくなり、他人の自分への無償の協力が当然と思い始め、さらには必要な報酬さえ出し渋るようになります。
こういう人は自分が神になったような気分でいることが多いのですが、もちろん人の心を救わないという意味でも神なんぞではなく憎悪と軽蔑の種を日々ばら撒いています。
確かに創業者の苦労は個人事業主である私もそれなりにわかっていますが、自分が背負った苦労は、あえて風の吹く道を選んだ結果であり、個人的な生き方の問題であります。
それは偉いとかどうかといった人間としての評価の問題ではないはずです。そのあたりが混同されて、他人にも同じ苦労をすることを要求するというのは、自分の子供ならともかく、赤の他人に生き方を強制するといった意味で「傲慢」の謗りを逃れられないのではないでしょうか。
貧しく苦労している時は「感謝」「感謝」と言っていた人が、多少カネを稼ぐようになると「感謝」のかの字も口にしなくなる。
見回すとそういう人がどこにでも見当たるようになったと思うのは私だけでしょうか。