休みなく仕事ばかりしているのはイヤだと書きましたが、そういう人って遊び心もないのかもしれません。

「遊び」という言葉にはゆとりや余裕といった意味もあり、そこから機械の部分同士が密着せずそのあいだにある程度動きうる余裕があることの意味も生まれました。

人間も同じでして、ふとほかの部分に目をやることができないと、仕事も人間関係もうまくいかないような気がします。

今日から再び受験生相手の仕事も始まるのですが、この時期から、真剣になればなるほど出す答案が正解から遠ざかっていく受験生が出てくるのは(特に国公立志望の記述問題に多いのですが)そういった「遊び」のなさが原因であるようです。

そうは言っても(自分がかつてそうだったように)自分のことしか考えない、目の前の問題だけを見ている受験生にそれを分からせるのはかなり難しいのです。それには指導する側の問題も多々あります。

話してわかる生徒とそうでない生徒。これが「アタマの柔らかさ」「アタマの良さ」の本質であると私は思っているのですが、もう少しうまく伝えることができないだろうかと、自分自身でも悩むのであります。

てなことを書いている私は遊び心が大きすぎで右往左往、自動車のハンドルで言えば、ハンドルの役目を果たせないぐらいの殆ど故障に近い「遊び」がある生き方をしてきたので、偉そうなlことは言えませんが、人生ぐらい脇見をしながら進んでいくのもいいじゃないかと、自己正当化をしているのです。