稼げない輩が小銭稼ぎにやると陰口をたたかれる行政書士試験の試験監督ですが、今年も応募しました。(やらせてくれるかどうかは単位会次第ですが)

確かに、つまらない説明会や日曜日に半日潰して何時間も立ち尽くすといった苦役で得られる金額は仕事1件にも満たない微々たるものなのですが、どのような試験でも「受験生」と名のつく者を見ていると自分の心の中のコアなところが振動してくるのであります。

受験というものにはネガティブな印象がつきものですが、これほど平等を体現しているものはないというのが私の意見なのです。

合理的な受験制限がある場合を除き、性別、門地、財産その他、人間というものが生まれながらに逃れられない格差を捨象して合格という成果を得られるものはこの世にそうはないのではないでしょうか。

社会が安定化して、諸制度が固定化してくると、その中には当然格差というももの生まれますし、それが個人の努力ではどうにもならないものだって多いわけです。銀の匙を咥えて生まれてきた子と、馬小屋で生まれた子は命という意味では平等かもしれませんが、死ぬまでの坂道の数は格段にちがうでしょう。

今のわが国は親の格差が子供に受け継がれると言われています。かつての社会のように貧しい者が「効成り名を上げる」なんて時代ではなくなっているのです。就職だって親をはじめとしたコネがあるもの無いものでは大きく差がつきますし、子供は親を選べないのですからどうしようもないですよね。

でも、試験というものは、そういったものがないし、純粋に合格点が取れればよく、そこに出生など、自分ではどうしようもないものの介在はありませんから、これほど平等なシステムは無いじゃないですか?

教育投資がどうのというアホもいますが、執念を持たない奴にナニを教えても右から左へと抜けていくだけですから、そんなこと関係ないのです。(その誤解を利用して親を騙す塾産業も多いのですけど)

ある意味、ピュアなんですよ。試験に向かうときというのは。そりゃ、生活も人生もかかっているのでそんな能天気なことを思っていないと言われそうですが、世界のあちこちでは日々命のやり取りをしている時代に、自分の人生だけを賭けられるなんてそうザラにあるものじゃありません。

試験場にいるとそのピュアな風を感じるのです。日々のゼニ儲けに走っている自分に何か大切なことを思い出させてくれるような、そんな気が年に1回ぐらいあってもいいのではないか、そんな風に考えています。