ブラック化が止まらない会社に勤めていた私ですが、いまだに残って働いている旧知の方々からその実情を耳にするにつけ、自由業でよかったと思う毎日です。

ベネッセの事件でも思うのですが、情報にアクセスできるのが正社員だけだったらあれだけの大事件になったのだろうかと。制度そのものというより、事件が個人の資質に矮小化して報じられるのをみて、何か違和感を感じるのです。

自分の前の職場のように、使っている人間を大事にしない会社は使われている人間も会社を大事にしませんよということを新自由主義を標榜するgreedyな経営者はわかっているのでしょうか。

年功序列という言葉が旧時代の悪癖のように言われ、成果主義が重視されていますが、働かない高齢者ばかりが高賃金という賃金制度の負の部分だけに光が当たり、年功序列が築きあげてきた「会社へのロイヤリティ」という正の部分が無視されすぎているのではないかと感じるのです。

派遣制度というのは労働力と賃金というものの互換性を究極まで高めることができ、自分の労働料を購入する企業であればそれがどのようなスタンスをもっていようが構わないし、会社は究極の雇用調整弁と見ていれば、どちらも相互を不可欠のものとは考えないでしょう。

非正規社員が増えればそれだけ、会社への害意のリスクは高まるわけなのですが、それに対してあまりにも能天気な経営者が多いように思われます。給料払っても人の心までは買えませんから!

私は会社へのロイヤリティを失った、というか、その経営姿勢を見捨てたわけです。正社員であれば、どんなに愚痴っていても会社へのロイヤリティは多少なりとも持っていますし、持たなければならない義務感に囚われます。

そういう意味でいうと、自由業の今は何にロイヤリティを持ってているのかと考えてみると、そこに「自分」という答が出てきます。

これが自分が感じる自由というものの正体に近いものではないかと最近思うのです。