埼玉にある大学近くに住む次男が突如現れまして、母の日だからと花を持ってきました。要はそれだけと、滞在時間わずか5分でした。
往復3時間もかかるのにそのため、そのためにやってきたとしたら親孝行の鑑みたいなヤツですが、おそらく高校時代の友人との飲み会があるついでに来たのではないかと推測しています。
親子と行っても父親と母親では子供とのつながりが全く違うのですね。前職である母親から「亭主は他人でも子供は他人じゃないから…」と言われたことがあります。確かに父親は種を撒くだけで、子供は母親の体の一部から出てきたんですから「おっしゃるとおり」であります。
つまりは娘は母親のコピーで、息子は体の一部なんですね。
世の中には父の日なんてとってつけたような日がありますが、父親と息子は親子というより男と男の関係なんで、反面教師になることはあっても、感謝される謂れはないと私は思っています。
母親からは見える命を、父親からは見えない生き方を子供は知るものなのではないでしょうか。ある程度の年齢になって振り返ってみてはじめて父親はその存在感を知られるものではないかと思うのです。
だから父親は生きているうちにいい格好する必要なんてないんじゃないかと。
そう思うのは私だけでしょうかね。
往復3時間もかかるのにそのため、そのためにやってきたとしたら親孝行の鑑みたいなヤツですが、おそらく高校時代の友人との飲み会があるついでに来たのではないかと推測しています。
親子と行っても父親と母親では子供とのつながりが全く違うのですね。前職である母親から「亭主は他人でも子供は他人じゃないから…」と言われたことがあります。確かに父親は種を撒くだけで、子供は母親の体の一部から出てきたんですから「おっしゃるとおり」であります。
つまりは娘は母親のコピーで、息子は体の一部なんですね。
世の中には父の日なんてとってつけたような日がありますが、父親と息子は親子というより男と男の関係なんで、反面教師になることはあっても、感謝される謂れはないと私は思っています。
母親からは見える命を、父親からは見えない生き方を子供は知るものなのではないでしょうか。ある程度の年齢になって振り返ってみてはじめて父親はその存在感を知られるものではないかと思うのです。
だから父親は生きているうちにいい格好する必要なんてないんじゃないかと。
そう思うのは私だけでしょうかね。