株価高騰で数億稼いだとか、景気のいい話を耳にすることが多くなりました。こうしたバブル相場で儲けても、初戦それは博打の儲けと変わらないという意見もありますが、そんなことを言っていると時流を読めないヤツとか批判され、人間性まで否定されてしまいそうであります。

確かにゼニには色がついていませんから、私の財布の中にある1万円札が正当な報酬から得たものなのか、人を騙して得たものなのか、それとも今の相場のようにゼニがゼニを呼ぶことで得られたものなのか、ATMから出した私にはわからないのであります。

難しい言葉で言えば、物に付随する属性が捨象され、まるで、それが価値そのものとしてそれを作った人間の意識を規定するということなのであります。(少々、正確性に欠けるかもしれませんが、それが「物神性」と言われるものだと学生時代に法哲学のゼミで学んだような記憶があります)

こんな時流の中で、ホリエモンも出所してきたことですし、ゼニは「あるものが勝ち」という流れになっていくのでしょうか。

もっとも、既にその流れはこの国に主流としてあるわけなんで、私自身、たくさんゼニを稼ぐことが悪いことであるなどとは全く思っていません。ゼニがあってできないことより、ゼニがなくてできないことのほうが世の中にずっと多いのですから、それを悪というのは間違いでしょう。

でも、もう少し、ゼニについている色を気にしておかないと、それこそ一億総守銭奴になりかねないんじゃないかと。ゼニを使えば経済はよくなると言われますが、いい色を持たないゼニは所詮「あぶく銭」。需要を生まないゼニは「活きてこない」んじゃないでしょうかねぇ。

そんなことをこのところ思っているのであります。