再び教壇に立つことになり、昔を振り返りつつ「教える」ということの難しさを再び感じているのでありますが(実は最近あまり体調が良くなく、本業の営業活動がこの数週間「心肺停止状態(・◇・)」でありまして、こんな話題しかないのであります)英語を学んでいるときに一番言われて腹が立ったのは「これは覚えておけ」という教師のセリフでした。
確かに、単語のように、勉強の性質上どうしても覚えなければならないことはあるのですが(語源とか接頭語・接尾語の意味などを教えればそういうことにはならないのですが、やりすぎるとマニアックになって却ってワケわからん状態になる)文法事項なんかどうしてこうなるのかを説明せず、ただ「覚えておけ」と言うのは、自分の説明責任の放棄であると思うのであります。
これは、教えられる方にも責任がありまして、とりあえず「授業」という嵐が過ぎ去るのをジッと首をすくめて耐えながらも、試験の時に覚えることが多過ぎるとブーブー文句を言っているのが常になって、「覚えておけ」という教師の手抜きを半ば容認しているのであります。
例えば、多くの教師が中学生に対して関係代名詞thatの説明をするときに、thatはwho,which,whom の代わりに使えますから覚えておいてください、なんて相変わらずのたまっていますが、じゃあ、ナンで全部thatを使わないのか説明している教師は殆どいませんし(というかいないんじゃないかな)、先行詞に形容詞の最上級や限定の形容詞がついているような場合に、thatが好まれる(講学上はthatを使えと言われるけど)のはどうしてかなんて教える方もよくわかっていないみたいです。
私は高校生の時にこういう疑問を片っ端から当時大嫌いな英語教師の時間にぶつけて相手が目を白黒するのを楽しんでいたという、根性の曲がった生徒だったのですが、この教師、人間的には今でもクソと思っているものの、英語というものに対しては真摯に向き合っておりましたので、きちんと調べて(嫌味ったらしく)教えてくれました。
知らなければ知らないと素直に言えばいいものを、「これは昔から決まっている」なんて変ちくりんな理屈をつけて逃げる教師に比べたらマシだったのでしょう。これが私の英語力を上げる契機になったということは言うまでもありません。
そしていま教えるという立場に立ったとき、こうした「逃げ」を自分で封印するようにしています。イディオムひとつだって意味の成り立ちに理屈があればできるだけ教えるようにしています。でも、ひとつの言語の語源から紐解かなければならない場合など、さすがに手に余る時はあります。その時は「わからない」と言うしかないのです。
わからないことが多すぎても「教える」ことはできませんが、虚勢をはったり、説明を放棄するより、正直に接することが大切なんじゃないか、私は四半世紀の経験からそう思っているのです。。
確かに、単語のように、勉強の性質上どうしても覚えなければならないことはあるのですが(語源とか接頭語・接尾語の意味などを教えればそういうことにはならないのですが、やりすぎるとマニアックになって却ってワケわからん状態になる)文法事項なんかどうしてこうなるのかを説明せず、ただ「覚えておけ」と言うのは、自分の説明責任の放棄であると思うのであります。
これは、教えられる方にも責任がありまして、とりあえず「授業」という嵐が過ぎ去るのをジッと首をすくめて耐えながらも、試験の時に覚えることが多過ぎるとブーブー文句を言っているのが常になって、「覚えておけ」という教師の手抜きを半ば容認しているのであります。
例えば、多くの教師が中学生に対して関係代名詞thatの説明をするときに、thatはwho,which,whom の代わりに使えますから覚えておいてください、なんて相変わらずのたまっていますが、じゃあ、ナンで全部thatを使わないのか説明している教師は殆どいませんし(というかいないんじゃないかな)、先行詞に形容詞の最上級や限定の形容詞がついているような場合に、thatが好まれる(講学上はthatを使えと言われるけど)のはどうしてかなんて教える方もよくわかっていないみたいです。
私は高校生の時にこういう疑問を片っ端から当時大嫌いな英語教師の時間にぶつけて相手が目を白黒するのを楽しんでいたという、根性の曲がった生徒だったのですが、この教師、人間的には今でもクソと思っているものの、英語というものに対しては真摯に向き合っておりましたので、きちんと調べて(嫌味ったらしく)教えてくれました。
知らなければ知らないと素直に言えばいいものを、「これは昔から決まっている」なんて変ちくりんな理屈をつけて逃げる教師に比べたらマシだったのでしょう。これが私の英語力を上げる契機になったということは言うまでもありません。
そしていま教えるという立場に立ったとき、こうした「逃げ」を自分で封印するようにしています。イディオムひとつだって意味の成り立ちに理屈があればできるだけ教えるようにしています。でも、ひとつの言語の語源から紐解かなければならない場合など、さすがに手に余る時はあります。その時は「わからない」と言うしかないのです。
わからないことが多すぎても「教える」ことはできませんが、虚勢をはったり、説明を放棄するより、正直に接することが大切なんじゃないか、私は四半世紀の経験からそう思っているのです。。