こんなに早く大晦日を迎えた感じは初めてです。

1月末に妻を病院に連れて行った時から今年の波乱は始まりました。前日から口もきかないのでナニへそを曲げているんだろうと思っていたのですが、仕事から帰って明日病院に行くっていうんで、仕事で疲れたんだろうと聞き流していました。

ところが翌朝、言葉が出ないと言ってあまりにも様子がおかしいので私が付添っていったのです。診察の順番がきて医師からいろいろな質問を受けているのを横で聞き、「100-7は?」とか「自分の誕生日は?」「この指は?」なんて質問にまともに答えられていない妻を見て、私は血の気がひいて行くのを感じました。

ひょっとして若年性認知症?

MRIを撮影したらはっきり脳梗塞が写っていたため即日入院を命じられました。「えっ、今日ですか?(@_@。」二人とも大慌て。

男は勝手なもんで
女房が自分の骨を拾ってくれる
なんて勝手に思い込んでいますから、先に倒れられると右往左往するばかり


話には聞いていましたが、自分がまさかの右往左往組になるとは(ーー;)

そこからはもう毎日病院に行き、炊事・洗濯・買い物もして一日がバタバタしているうちに過ぎていきました。一緒に桜を見ることができればいいねと話していたものの、退院したのはすっかり葉桜になった連休前。

その間、開頭手術で血管のバイパスを作り進行は止めたものの、その影響か自分の名前や子供の名前も思い出せなくなって、うつ状態になり食事もとらず、明け方私の携帯に自分が誰だかわからないと毎日のように電話がかかってくるなど、夫婦揃ってフラフラ状態でした。

ようやく退院してリハビリも進み、少しは落ち着いてきたので、目は離せないもののようやく簡単な掃除や洗濯ができるようになったかと思った盛夏の8月に救急隊から電話があって母が庭先で倒れていて、近所の人に救急車を呼ばれたとのこと。

今まで、出かけた先で転倒して運ばれたこともあったので、今度もその程度かと思って行って母親の顔を見てその顔色の悪さに驚きました。

全盛期は70キロ以上の体重があったのに40キロそこそこになっておいて、しかも点滴は自分で抜いてしまうし、自覚症状をはっきり説明できなくなっていて、最初は軽い熱中症だと思っていた医者が、軽い栄養失調と足の付け根の骨折を見つけ出すのに2日かかりました。

今年の夏は特に暑かったので、食事もロクに摂っていなかったみたいで、兄弟でああだこうだと言うと、煩いから帰れと言われる始末だったのです。弟が家の整理に行ったら腐った食品やわけのわからん料理が冷蔵庫にあって、呆れていました。

認知症も入り始め、親がだんだん遠くの人のように感じるのは何とも悲しいものです。今は病院も長く置いてくれないので、入院して1ヶ月もしたら、ケースワーカーが介護施設への入所を勧めるというか、体よく追い出しにかかります。

幸い、10月に空きがある施設が見つかったから良かったものの、一時はどうなることかと思いました。最近は面会に行っても殆ど口もきかないのですが、そうはいってもほうっておくわけにもいかず、週に2日は顔を見にいっています。

そんなこんなで気がつきゃ大晦日なんです。

仕事も営業が殆どと言っていいほどできなかったので、件数を伸ばすことができませんでしたが、ある程度の報酬が頂ける仕事が昨年よりあったのと、使える医療補助や妻の生命保険をフル活用してなんとか年を越すことができます。

その意味では、捨てる神もあれば拾う神もありというがごとく、私は仕事面では幸運であったかと思います。

開業時の私の足の病気に始まっていろいろなことがありすぎていますが、そろそろ打ち止めにして欲しいと思っているのです。生活は決して楽ではありませんが、そろそろ普通に戻したいですね。

なんか1年分の愚痴を書いてしまったみたいです。すみませんm(._.)mでも

命があって生きていれば丸儲け

なんで、良しとしましょうか(((o(*゚▽゚*)o)))

「大変でしたね」という慰めの言葉を数多くいただきましたが、ホントに大変だったら、あたしゃもう耐えられなくなって逃げ出していたんだろうから、同情されるようなレベルではないのかもしれません(;^_^A

さて、明日は私の誕生日。50歳を過ぎると誕生日は「三途の川への一里塚」となり、あまり嬉しくもなし(ーー;)開業したとき心に決めた

75歳まで働く、その残りの人生はオマケみたいなもの

その気持ちはいまだに変わっていません。

今年も私の駄文におつきあいいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。