昨日、どこか忘れましたが、そんな文字が目に飛び込んできて今も心の中に残っています。

毎日のように母の見舞いに行くと、認知症の老人を多く見るのですが(同室のご婦人方も多かれ少なかれそんな感じです)大変失礼な言い方かもしれませんが、言葉を選ばずに言わせて頂ければ「生物的に生きている」状態です。わが母親も一日ウトウトしながら天井を向いていてナニを思っているのでしょうか。

定年後は日本中を旅行し、果てはギリシャツアーまで行って80歳まで原付を乗り回していたのですから私ら兄弟が独立したあと25年ほどはいろんな意味で元気でしたが、いまや施設に入れることまで検討しなければならなくなると、これもホンネで言うともう少し楽に逝かせてやりたいと思うようになってきました。

楽しい思い出が詰まった人生は最後に苦しんじゃ台無しになるような気がするのです、幸せだったら幸せなままあの世に旅立つのがいいのかなとも思うのです。

自分が何をしているかわからない人に一日でも長生きして欲しいというのはこの世に生きる者の体裁のような気がしてなりません。自分に置き換えて下の世話もしてもらい食事も自分で取れない状態で生かされているのが幸せか考えてみたらいかがでしょう。

死生観は人それぞれですので、それでも生きていたいと思う人がいるかもしれませんが、自分が生きることが他人を苦しめるというのはどうもいただけません。

人は生きたあとは潔く次の世代に道を譲るのが常道です。でも、その生きるということが満足にできていないと未練を残すことになると思います。自身を振り返って自分が未練を残さない生き方をしているかと問うと、満足な答えを出せません。表題の言葉はそうした自責の念があってアタマにこびりついているのかもしれません。

今日は多少過激な発言をしました。