毎日病院に見舞いに行って、本人の愚痴の相手をしなければならないのは、今までも触れてきたように、結構きついものです。
言葉をうまく話せない、今までのようにはいかないということを認めたくないということから、思わず興奮状態になる妻をしかりつけたり・なだめたりを妻の両親は毎日のように病院に来てしてくれました。でも、さすがに70歳を超えた義父母にも疲れの色が見えてきましたので、私が毎日来ますから数日お休みくださいとお伝えしました。
そこで一昨日は休んでいただいたのですが、昨日病室を訪ねるといるではありませんか
。「来ないはずなのに来たと言われちゃった」と笑っていましたが、たとえ病院にいても2日会わないのは心配だそうです。
これが親心だということは子供がいる私にもよくわかりました。夫である私は、生活もあるのでどうしても妻だけに心を配るわけにもいかないときがありますが、親子となるとそうではないのでしょうね。
特に母親にとっては「亭主は他人でも子供は他人じゃない
」という方も多いですから、子供の病気は自分の体の一部を病んでいるように思われるのかもしれません。妻はものごころついてからは私と暮らしている歳月のほうが長くなっているのに、親というものはありがたいものです。
発病した時、義母が私に「これからもずっと見ていてあげてくださいね」と言われたことは強烈に私の心に残っています。
言葉をうまく話せない、今までのようにはいかないということを認めたくないということから、思わず興奮状態になる妻をしかりつけたり・なだめたりを妻の両親は毎日のように病院に来てしてくれました。でも、さすがに70歳を超えた義父母にも疲れの色が見えてきましたので、私が毎日来ますから数日お休みくださいとお伝えしました。
そこで一昨日は休んでいただいたのですが、昨日病室を訪ねるといるではありませんか
。「来ないはずなのに来たと言われちゃった」と笑っていましたが、たとえ病院にいても2日会わないのは心配だそうです。これが親心だということは子供がいる私にもよくわかりました。夫である私は、生活もあるのでどうしても妻だけに心を配るわけにもいかないときがありますが、親子となるとそうではないのでしょうね。
特に母親にとっては「亭主は他人でも子供は他人じゃない
」という方も多いですから、子供の病気は自分の体の一部を病んでいるように思われるのかもしれません。妻はものごころついてからは私と暮らしている歳月のほうが長くなっているのに、親というものはありがたいものです。発病した時、義母が私に「これからもずっと見ていてあげてくださいね」と言われたことは強烈に私の心に残っています。