
あまり私らしくない話題でもあるのですが、ちょっと耳に挟んだことから感じたことでもあります。あと1週間足らずで行政書士試験ですね。ブログ上で私が存じ上げている受験生の方は、いろいろな苦労をされながらも日々受験勉強に励んでいらっしゃるようで、頭の下がる思いです。最近は刻苦精励型受験生というのはあまり流行らないそうですね。
私の旧司法試験受験生時代で思いだすことがあります。、当時、貧乏しながら(白いシャツが汚れてグレーになるようなのもいました)勉強する先輩の中で唯一、結婚して両方の両親から経済的援助を受けて勉強している方がいました。アタマもよかったのでしょうが、2年で合格。合格後、当時一緒に勉強していた仲間の勉強の面倒をみるということでゼミを開催していました。
私も、その参加者のひとりがサークルの先輩だった縁で一度オブザーバー的に参加させてもらったのですが驚きました。とにかく、合格した人がつい先日まで仲間だった人を怒鳴りつけているのです。というより詰問口調で「さっきアンタ何て言ったの?矛盾しているでしょ。もう一度定義を言ってみて!」と大声を張り上げています。
勉強というのは確かにナアナアではできないところもありますが、合格しただけでこんなに天国と地獄に分かれるものなのか、と驚いたのです。そして、最後に決定的なひと言「アルバイトやってるヒマあったらきちんと定義を覚えなよ!」
これで、こいつダメだと思いました。言われた方は私もよく知っていて、両親は定年退職、親には迷惑かけられないといろいろなアルバイトを転々としながら40歳近くになっても勉強を続けていた方です。悪い言い方すれば、衣食住とオンナを親にあてがってもらって勉強し合格したオメェがいう言葉か、と思った次第です。
じつは、こんなことあちこちにあるんですよ。そんなの関係ないとか、苦労した方があとあと人の痛みがわかるようになるとか正当化する論理は山のようにあるのですが、やはり苦労はしないでもてる時間すべてを勉強に向けたほうが、失う時間価値を考えたらいいのですよね。
私らの仕事も同じで、経歴も社会経験もたいしてないし、営業も普通のHPがあるだけなのに開業して1年も経たずナンでそんなに仕事がくるのかと思ったら親とか配偶者とかのコネで仕事がくるようになっている人もいるわけです。許認可などは、こういうコネは絶大です。
このように、努力だけではどうしようもない「宿命」みたいなものの影響から離れられないのが生きていること、特に何かをやり遂げようとするときの辛さでもあるのですが、これを辛いと思い、自分に天与のチャンスが少ないことを恨むか、時間をやりくりしながら勉強して取った資格を誇りに思い大切に活かしたり、恵まれた人の100倍営業して得た顧客を大切にするか、ただ、人生という死ぬまでの通り道の選択の問題だと思うか、そんなことではないでしょうか。
こうなると心構えの問題ですが、天の恵みが多いのは祖先の徳の賜物であるとしたら、自分が徳を積んで子孫に恵みを与えたっていいじゃないですか(子供がいなくたって甥・姪でも子孫です)。自分というちっぽけな存在に恵みがなくたって、僻むことも恨むこともないでしょう。茨の道を通ったって、それを楽しんで歩いていればその道は芝生の道になると思います。
よくわからんことを書いてしまいましたが、必要以上に卑屈になる人と、自分の恵まれた状況を自分の才能と勘違いしているのが目につきましたので、つまらんことを書き連ねました。ただ、わが国は確実に階層社会化して、その閉塞感は「丸山真男をひっぱたきたい。望むものは戦争」という思いは確実にしかも深く浸透していくような気がします。