
来年おこなわれる予定の高校3年時のクラス会の幹事をしています。そろそろ他の幹事と打ち合わせをしなければならないのですが、住所も変わっていない(実家がそのまま)にもかかわらず、一度も出席してこないばかりか、返事すらよこさない方も多く、アタマを悩ませています。(結局、送付費用は出席者が最終的に負担するので)
そんな折、今回一緒にやる幹事(女性)と話をする機会がありまして、彼女がいろいろなところから耳にしたこうした方の思いを聞く機会がありました。
女性の多くは家庭内で義父母の介護、身障者の子供がいて物理的に(というか全部自分で背負って)出てこられない場合が多いそうです。(話をしてくれた彼女自身、7年に及ぶ母親の介護で心身ともボロボロになり全く別人のようになっていました)
こうした理由では、案内を出し続けていればいつかは来てくれるという思いはあるのですが、男子の理由がちょっと理解できないところもあります。
リストラにあったり、事業が上手くいかないで夜逃げ同然でいなくなったとかであれば(明日は我が身かと身につまされないでもないけど
)やむを得ないと思うのですが、中には自分より収入も高く、豊かな生活をしている友人を見るのが辛い、と言っているのが少なからずいます。格差社会といわれ、収入と生活レベルの差がはっきりしてきているのは良くわかりますし、団塊世代ではないものの、そのおこぼれにあずかってきた世代ですから、この歳で年収1千万ないと一部ではクソみたいな扱いを受けるのは良くわかっています(私もその意味では大グソですが
)でも、同窓会で生活レベルの話なんか全然出てきませんし、ましてや年収の話なんかないです(市役所で年収1千万超えは珍しくないですが、本人は絶対大っぴらにはしません)時間中ずっと昔話。前回も同じ話していたなと思いながらまた同じ思い出話をしています。
当時、成績がよかったり、女性にもてたり、若いときに「イケていた」「栄光」をもっている奴ほどこういうところに敏感なのですよね(気にする「栄光」が全くない私は悲しいですが…orz)「勝ち組」「負け組」と二分するところからそもそも間違いが始まるのですが、人生の最終決算は死ぬときまで赤字か黒字かわからないのです。だから人生は面白いのですけどね。
同窓会もそうですが、昔の仲間と会うときはその時の人間関係に戻れるから楽しいのです。そこには当時と同様、少ない小遣いでカネだしあって三矢サイダーを買い、半分ずつ分けあった人間関係があるのです。見栄張って生きたって楽しいことなんかありませんよ。
世間の顔色うかがって
やりたいこともやらないで
死んでいく身の口惜しさ
この思いをもって、1文なしでも(会費だけは払ってね)堂々と姿を現してほしいものです。