東京では明日から私立高校の入試が始まります。地方と異なり、私立高校の多い首都圏ではここ数日で行き先を決める生徒がかなりの数いるわけです。
高校入試も例にもれず推薦入試というのがありまして、それで決まった生徒は明日は登校して出席とっておしまいらしい(中学校によって異なるかもしれませんが)です。
大学受験ではAO入試、公募推薦、指定校推薦と私大では入学者の約半数、付属高校を持っているところであれば半数以上の入学者が入学試験を受けずに入学してきます。こうした推薦制度が始まった頃は推薦で入学した学生の方が、大学に入学してからも成績がいいとか、入試で燃え尽きていないから伸びシロがあるとまで言われていました。
ところが、いつの頃からか生徒集めの道具にしか使われなくなり、最近では入学後も学力が低すぎて大学教育についていけないという弊害の方が注目され、企業も社会における競争の耐性を求めるためか、受験という競争経験がなかった学生を敬遠し始めたという記事も見ました。
推薦枠を増やした分、一般枠が狭まっているので、一般受験の合格可能偏差値はそう下がりません。いわゆるMARCHと言われる大学がまだある程度の入試レベルを維持できているのはそういう理由によります。ブランドを維持して学生をあつめるという作戦なのですが、すでにメッキが剥がれてきた日東駒専はそうしても下落が止まりませんが…。
高校入試に目を移すと、いちばん気の毒なのは都立のトップ校に推薦で入学した生徒です。私の知る限り、高校3年になってクラスの上位にいる生徒はほとんどいません。ある意味気の毒です。高校3年間一度も友人よりいい成績を取ったことがないとか、悲しいことを言っていた子もいました。ところが、周りが国公立とか早慶に行くものだから、最低でも明治とか言ってくる子もいるんです。
独自の英文法診断テストをやって、すでに最初の時制からボロボロなのに、自分ができないことを認めたくないというか、認めないというか…。プライドが邪魔しているんです。はっきり指摘するとだいたい二度と来なくなるのです。たしかに中学校の時には生徒会の副会長もやって、5が6つもあったのですから、自分の凋落を認めたくない気持ちはわかるのですが、ナンともやり切れない気持ちになります。
そういうのをたくさん見てくると、受験というのは3年ごとにあっていいのではないかと思うのです。3年分学習してきたことを集中してやり直すわけですから、基礎学力は定着しますよね。いくら学期ごとの試験で点数を取っても、それはせいぜい数カ月の知識の集積にしかすぎないのですから。
その点、優秀な中高一貫校は、テスト回数を公立の3倍近くにして、知識の定着に努めたり、高校進学時に成績の悪い生徒を放校にしたりして、レベル維持を図っているようです。ただ、それも経営重視ということから、修正を余儀なくされているよころもあるようですが…。
学問という一生モノの知識・教養を学ばせる大学が、短期記憶に優れた人間ばかり集めるというのは、矛盾しているような気がしてなりません。でも、競争を経験したことがないのは、プールで泳いだこともないのに海で泳ぐような危険を感じますが、いかがでしょうか。
もっとわからないのが、親の方が推薦で行くことを強く希望するということ。楽でいいのは子供じゃなくて自分の方なのではないでしょうか。前職ではそう感じましたね。
試験を受けることはいいことなんだと思ってほしいですね。、
高校入試も例にもれず推薦入試というのがありまして、それで決まった生徒は明日は登校して出席とっておしまいらしい(中学校によって異なるかもしれませんが)です。
大学受験ではAO入試、公募推薦、指定校推薦と私大では入学者の約半数、付属高校を持っているところであれば半数以上の入学者が入学試験を受けずに入学してきます。こうした推薦制度が始まった頃は推薦で入学した学生の方が、大学に入学してからも成績がいいとか、入試で燃え尽きていないから伸びシロがあるとまで言われていました。
ところが、いつの頃からか生徒集めの道具にしか使われなくなり、最近では入学後も学力が低すぎて大学教育についていけないという弊害の方が注目され、企業も社会における競争の耐性を求めるためか、受験という競争経験がなかった学生を敬遠し始めたという記事も見ました。
推薦枠を増やした分、一般枠が狭まっているので、一般受験の合格可能偏差値はそう下がりません。いわゆるMARCHと言われる大学がまだある程度の入試レベルを維持できているのはそういう理由によります。ブランドを維持して学生をあつめるという作戦なのですが、すでにメッキが剥がれてきた日東駒専はそうしても下落が止まりませんが…。
高校入試に目を移すと、いちばん気の毒なのは都立のトップ校に推薦で入学した生徒です。私の知る限り、高校3年になってクラスの上位にいる生徒はほとんどいません。ある意味気の毒です。高校3年間一度も友人よりいい成績を取ったことがないとか、悲しいことを言っていた子もいました。ところが、周りが国公立とか早慶に行くものだから、最低でも明治とか言ってくる子もいるんです。
独自の英文法診断テストをやって、すでに最初の時制からボロボロなのに、自分ができないことを認めたくないというか、認めないというか…。プライドが邪魔しているんです。はっきり指摘するとだいたい二度と来なくなるのです。たしかに中学校の時には生徒会の副会長もやって、5が6つもあったのですから、自分の凋落を認めたくない気持ちはわかるのですが、ナンともやり切れない気持ちになります。
そういうのをたくさん見てくると、受験というのは3年ごとにあっていいのではないかと思うのです。3年分学習してきたことを集中してやり直すわけですから、基礎学力は定着しますよね。いくら学期ごとの試験で点数を取っても、それはせいぜい数カ月の知識の集積にしかすぎないのですから。
その点、優秀な中高一貫校は、テスト回数を公立の3倍近くにして、知識の定着に努めたり、高校進学時に成績の悪い生徒を放校にしたりして、レベル維持を図っているようです。ただ、それも経営重視ということから、修正を余儀なくされているよころもあるようですが…。
学問という一生モノの知識・教養を学ばせる大学が、短期記憶に優れた人間ばかり集めるというのは、矛盾しているような気がしてなりません。でも、競争を経験したことがないのは、プールで泳いだこともないのに海で泳ぐような危険を感じますが、いかがでしょうか。
もっとわからないのが、親の方が推薦で行くことを強く希望するということ。楽でいいのは子供じゃなくて自分の方なのではないでしょうか。前職ではそう感じましたね。
試験を受けることはいいことなんだと思ってほしいですね。、