てなことを最近感じているのです。

小沢一郎元民主党代表の強制起訴が決まりましたが、このところの小沢氏は自分の考えを表明する場として、ネットとか記者クラブでないフリーの記者も自由に参加させる記者会見を行っています。例によって既存の新聞・テレビはほぼ黙殺状態ですが、思うに、これって革命的なことなのですよね。

私自身もよく知らなかったのですが、記者クラブというのは政府各省庁のどこにもあり、そこでプレスリリースがされてきたのです。そこには当然フリー記者も外国人記者も自由に入ることもできなかったわけです。きちんと部屋とかデスク・電話も与えられているわけですから、ほとんど各省の報道部みたいなものなのですよね。記事ネタは発表してくれるし、資料も充分配布してくれるわけですから、口を開けて待っていればいいわけです。

当然そうなると相手が答えにくいところは突っ込みませんからね。フリーの記者が競争しようにも、質問できる機会さえ与えられず、大きなハンデがあるわけです。

それが崩されるってことは、ハンデが無くなるわけですから記者の能力が如実に表に出てしまうのですね。ですから、記者クラブの廃止には、セキュリティの問題とかワケわからんこと言って三大紙もこぞって反対しているのです。

もうひとつは、取材対象の発言が直接国民に全て伝わる可能性が出てきてしまったこと。これまでは、どの発言を記事にするかは新聞の自由裁量でした。ですから、揚げ足とりとしか思えないことが新聞の1面を飾るわけです。全体の流れでなくてその一部を抜き出して報道することは虚偽の報道ではありませんが、作為的報道といえます。最近はあまりしませんが、年中やっていた世論調査の詳細を見たことがありますか?見てみると、新聞が大きく報道しているものと矛盾している結果が出ている項目があります。当然、それはスル―されていますけど…。

完全にはムリだとしても、取材対象の反論権を認めないと、松本サリン事件のようにとんでもない被害を個人に負わせることになります。ところが、記事を書く記者(というか新聞社の方針)の裁量に任せておいてそれが誤りだった場合に、一個人が失った社会的地位・信用や人間関係を補償出来るのでしょうか。自分たちはこいつが犯人だとはひと言も書いていないという言い訳に終始しているだけではないでしょうか。

ネットを通じて自分の主張ができるようになるということは、まさに反論権の行使ができてしまうということですから、事実が無かった場合には即座に新聞の信頼性を失わしめることもできるのです。

権力との緊張関係をといいながら、内閣機密費をもらっていたことについて自浄能力さえなく、既得権確保に汲々としている現在のマスコミには、このことが終わりの始まりにしか見えないのです。これを契機にもう一度、自分たちのスキルを磨きなおしたほうがいいのではないでしょうか。

それとも政府・官僚の愚民化政策に力を貸しているのですかねぇ。