ダイヤモンド・オンラインの中で紹介された、ひとつの記事を紹介します。悲しいコラムです。

約16分にひとり。なんの数字だかわかりますか?日本の自殺者の数です。


      http://diamond.jp/series/yuuai/10014/

    

この記事を読んでいてよ~くわかるのが「妻にみっともないオレを見せたくない」という強い思いです。私も、妙に見栄をはるところがあって、妻ばかりでなく、仲間にも同僚にもそういう姿勢を持ち続けたところがありました。でも、最近は弱さをさらけ出すことも強さのひとつの形ではないかと思うようになりました。


たぶん、仕事を辞めたせいだと思います。前の職場は弱い、無能だと思われること自体が昇進にも給料にも響くところでしたから、多かれ少なかれ、上も下も自己を正当化する人間ばかりになっていました。その中で出世することが、自分の家族に少しでもいい暮らしをさせる男としての責任であると(まさに昭和世代のオヤジと同じに)考えていました。


恥ずかしい話ですが、私自身、業績悪化を機に給与体系を変えられ、賞与が出なくなって2年間妻にそれを言えなかったことがあります。そのおかげで余計な借金を抱え込むハメにもなりました。


本音はお金が大切です。ホリエモンの言うよう愛情もお金で買えるとは思いませんが、お金があって不幸な人と、お金が無くて不幸な人では後者が圧倒的に多いのではないでしょうか。


この不幸の定義は私流に言えば、貧しくても将来に希望が持てれば不幸とは言いません。ですから、高度成長時代にお金が無くても、不幸な人は少なかったはずです。一億総中流と言われた時代もそうでした。金持ちに対する妬みも少なければ、貧乏であることを笑って未来の金持ちを夢見ることもできました。


日本という国は、世界にも稀にみる文盲率の低さをはじめとした、国民の教育レベルの高さと勤勉かつ誠実な国民性で、この国に生まれ育ったことは世界のどの国と比べても幸せなはずです。


しかし、今はあまりにも未来の夢を描けなくなってしまいました。生まれた家庭が貧しければ充分な教育を受けられず、一度ドロップアウトすると、底なし沼に落ちたように這い上がることが困難になっています。国公立大学など安く高度な教育を受けるには、子供の時から高い教育費をかけられる家庭で無ければならないという矛盾すらおきています。

その一方で、競争に勝った者は負けた者を踏みつけにしつつも、自分の転落に恐怖心を持ち続けています。


暴動が起きないのが不思議なくらいなんですが、暴動が起きるほどのエネルギーすら敗者と言われる者には残っていないのでしょうか。


試験は落ちても試験は無くなることはないので、再チャレンジができます。しかし、命は一度失ったら再チャレンジはありません。早く父親を亡くした私は、自分が生きていることが子供にとって一番大切なことなんだと身にしみています。別に、手本となるような父親でなくてもいいんです。手本も反面教師も子供が判断することですから。


それにしても。毎年日清戦争の戦死者を超える人間が自殺しているなんて異常です。一度潰れかけないと、この国は変わらないのでしょうか。