2.1 my pictureとは?

 my pictureという英語は、一応「私の写真」と訳せるものの、英語のmy pictureはその意味するところが曖昧である。

 つまり

(1)「私が持っている写真」(必ずしも私を写したものとは限らぬ)

(2)「私を写した写真」

 の2通りが考えられるからである。そこでこのうちどちらのことかをはっきり示したい時は、次のように表わしている。

(1.E) one of my picture (which) I have 

(2.E) a picture of me / myself

 なお(1.E)は、a picture of mineと表すこともある。
 またpictureをphotoとしても同じことである。



 2.2 a photo of my Uncle’sとは

 2.1の解説からも分かるようにmy Uncle’s pictureは、その意味が曖昧である。

(1)「私の叔父を写した写真」

(2)「私の叔父が持っている写真」

 英語にすると次のようになる。

(1.E) a photo of my Uncle 

(2.E) a photo of my Uncle’s 

 Uncle’sは文法的にはいわゆる<所有格形>である。したがって「叔父が持っている」ということである。


 1.5 freindlyという形容詞

 昭和20年8月に日米戦争も敗戦を迎え、平和が戻って世の中の諸制度も改革され、教育制度も新制に徐々に切り換わり、教科書検定制度が発足したのは昭和30年代後半のことであった。

 新制度の中学校で使用されるために、いくつかの教科書会社が新しい中学英語教科書を刊行したのであった。その中で私の気をひいたのは、Junior Crown English Course(全3巻、三省堂刊)であった。というのもこの教科書はW.Clarkという米国人が全館を書き下したものだからである。もっとも日本の教科書業界の慣行で、著名な大学教授が共著者とか監修者とか顧問として名を連ねているのであるが、この教科書の場合、私が尊敬しまたなにかと私を引き立てて下さった東大教授(英語学)の中島文雄先生が名前を連ねていたのであったことも、私の関心を引いたのであった。早速中島先生から電話があり、「三省堂から寄贈させたので、小笠原君の感想を聞かせて欲しい…。」ということであった。

 私などが最後の卒業生となった旧制中学校(5年制)は、教育制度が変わって新制高等学校に昇格(?)。その下に新たに新制中学校が発足し、これは義務教育ということで、小学校とほぼ同じ数になるくらい多数新設されたのであった。しかしそのように多くの急造中学校で教える英語教師などいるはずもないので、素人の英語教員免許状ももっていない人たちが教壇に立つこととなり、ひどい発音の人たちがいい加減な英語を教え始めたのであった(もちろん中にはよく英語ができる人も例外的にはいたであろうが…。)。

 私が戦争中通っていた中学校(都立九段中)で使っていたのは、King’s Crown Readers(三省堂)であった。表紙は英国の王様のかぶる王冠の絵であった。明治、大正と英語と言えば、イギリス英語が正統とされている時代であったからである(実はいまでもイギリス英語のほうが正統であるとみなしている国々のほうが、世界的に言ってはるかに多いことは、後の回で取りあげてみたい。)。

 このKing’s Crown Readers Englishは、戦後は世はもう王様の時代ではないということで、King’sをやめて代わりに中学校用には 、Junior Crownとし、高校用にはSenior Crownとしたのである。しかしcrown(小文字のcで始める)は、KingやQueenだけが着用するとは限らないことは英語辞書で見てみると、すぐ分かることであり、またcrownには動詞用法もあることなどが分かり、興味深いものがある。

 話を本題に戻す。私は三省堂から贈られたこのJunior Crown English Course(全3巻、昭和36年(1961))を通読して気に入ったのは、戦後すぐに来日して日本の短大(福島県の桜の聖母学院短大)で教え始めて、日本人の学校英語というものがどんなものか分かり、また日本人の英語力、会話力がどんなものかを知った米国人W.L.Clark氏が全巻書き下ろしたものであり、それは他社の大学教授である日本人著者数人が集まって書いた英語教科書の英語とは違って、生き生きとした英語が使われていて、また内容的には米国の中西部あたりの郊外の日常的様子が表わされていて、リアリティーが感じられ、その頃はまだ米国に行ったこともなかった私には興味深いものであった。

 そこに使われている英単語の中にはfriendly(形容詞)/smart/downtown/drugstore/doghouse/yard/garden(いわゆる「庭」とは違った意味での)/flourなど、それまでの日本の中学英語教科書には使われていない語が散見できたのである。また句としてはMe,too./walk down the road/be across the street/などが中学1年時に登場していた。

 昭和36年(1961)頃の中学検定英語教科書2巻(つまり中2用)には、普通flour(小麦粉)などという日常語は登場させていないものだが、Junior Crownでは13歳前後のSusie、Jane、Tom、Billなどがケーキを作るので、sugar、milk、flourを用意し、そのための容器(the dishes [注意]この意味は単に「皿」のことだけを指しているわけではない。)を持ち出し使った。という記述文が出ている。flourという語考えてみれば、パンやケーキを作るための必須項目であり、また13歳の女の子や男の子が協力して作るなどというのは、西洋文化ではごく当たり前のことであるから、基礎英語の教本にflourという語を登場させた米国人著者(W.L.Clark氏)はさすがではある。なおケーキを作っていて

 The kitchen became very dirty.

 Tom and Bill became very dirty,too.

という文が続いていて、ほほえましい情景描写が続いているのである。

 またこの教科書にはいわゆる短縮形が多数使われ、いわゆる呼称が用いられていて、日常英語をよく反映したものであった。いつの日か「昭和36年 初版本 Junior Crown English Courseの英語」というブックレットを書いてみたいと考えている。

 なお著者のW.Clark氏はJunior Crownより前に、『アメリカ英語教本』という英会話教本(全4巻)を研究社から出していて、これまた類書とは違った良心的、啓蒙的なもので、これも中島文雄先生(当時東大文学部英語学教授)がその原稿を本にするように、研究社出版に斡旋なさったのである。

 形容詞friendlyの具体例をまだ挙げていなかったので挙げておこう。

 Mr.Brown is a very friendly person. 

/ Mr.Brown’s class is very friendly

/ When I passed her,she gave me a friendly smile.

1.3 「親友」に当る英語

 戦前や戦後しばらくの頃に刊行されていた多くの英語参考書では、「親友」= intimate friendと表されていたものであるが、intimateは「ねんごろな」とか、更には「性的関係のある」という含みさえあるので、この形容詞は使わない方がよいというネイティブ・スピーカーがいる。代わりにcloseという形容詞が使われている。なおこcloseの発音は[クロウス]であって[クロウズ]ではない。



1.4 (а) 「ガール・フレンド」「ボーイ・フレンド」

 このカタカナ語は英語では一語扱いでgirlfriend/boyfriendと書いていること、またその発音はそれぞれ前半に強勢をおいて、

      /       /  
    girlfriend/boyfriend 

と言っていることなどを改めて解説してむいた私の英語授業中でのことであった。それは慶応大学経済学部2年次向きの教養英語であった。そしてその具体例として

 Mr Ogasawara has several girlfriends

と私は言ってみたのである。もちろん冗談的にではあった。

 すると1人の男子学生が、挙手をして次のように発言したのである。

 「小笠原先生、先生の英語の授業は、日常英語、生きた英語をとり上げているので、僕は気に入っているのですが、いまのseveral girlfriendsはおかしいのではないですか。複数のgirlfriendなんて…。」

 つまりカタカナ語「ガール・フレンド」と違って、ある男性のgirlfriendは1人しかいない。つまりいわゆる「ステディ」のことであることを、同君は言いたかったのを、私はすぐに察知したのである。

 この男子学生(都倉君)は音楽家である都倉俊一氏の弟であり、都倉兄弟は父・都倉大使の息子であり、父親の英語圏での勤務について行って現地で何年か暮らしてきた帰国子女であるのを知っていた私は、現地での英語体験ということでは、その当時の私より有利な立場にあったので、girlfriendの数のことでは同君の英語知識に従わなくてはいけなかったのである。


 1.4 (b) her girlfriendsとは? 

 girlfriendと言えば、その子と交際している男性が思い起こされる(boyfriendについても同じことが言える)。ところが米国の映画や小説などの中にher girlfriendsという表現が使われているのに気づいた時は、一瞬違和感があったものの、そういう場合があるのだと、すぐ納得したのであった。