靴のホーキンスではないぞ!(笑)。


「ホーキング 宇宙を語る」というベストセラーの著者。宇宙物理学者。


ホーキングさん、筋萎縮性側索硬化症という病気にかかって、「車いすの博士」として有名な人だ。


かつては「神というアイデアは宇宙に対する科学理解と必ずしも相いれないものではない」(1988)と発言していて、偉大な理論物理学者ハイゼンベル博士のような、神の存在を否定しない立場の人だった。


ところが昨年、「宇宙創造の理論において、もはや神の居場所はない」(2010)と発言、物議を醸しだした。

宗教関係者(特にキリスト教などの)からの批判は強く、それが続いていたようだ。


そして、今月に入って、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人の架空のおとぎ話だ」(2011,5)と発言。


ようするに「天国も死後」も、そんなものは無いぞ、おとぎ話だ、といったわけだ。



ホーキングは派手なことするから、日本のマスコミ、不勉強でお馬鹿な大学の先生は、この手の話に、すぐ頭を下げて、飛びつき信用してしまうが、有名だから信用できるわけじゃない。

この不勉強な日本のマスコミ、大学のボンクラ先生には、十分ご注意を!!





(*これからの私の発言はたぶん大学の先生でもごく一部しか気が付いていないものだから、注意して聞いておいたほうがよいかもしれないな。)


彼は宇宙物理学者として、どうしても『時間』というものを考えなければならなかった。この『時間』について、ホーキンスはタイムマシンの否定もしているので、「過去 現在 未来」という『時間』想定のもとで、物理学を展開しているはずなのだ。


ただし、この『時間』の想定は、実はキリスト教の旧約聖書の創世記の中からくる話なのだ。だから、ユダヤ教やイスラム教も、同じ想定の『時間』というものをイメージする。

要するに、この旧約聖書をともにする、兄弟三宗教とホーキングは同じ旧約聖書の時間論の土俵の上で、互いに言い争っているのだ。行ってみれば、同じ穴のムジナ。だから、西欧では大きな話題にもなる。


しかし、この『時間』というもの、旧約聖書によるこのユダヤ教、キリスト教、イスラム教系時間論とは別の時間論はあるのだ。


それは、ギリシャ(古代の)・インド系時間論と言ってもいいだろう。


始めにだした、ハイゼンベルク教授ような、ギリシャ哲学にも精通していた物理学者は、当然のこととして神の存在を認めていたのだろう。


このギリシャ・インド系の時間論は、乱暴に言ってみれば、どうやら、我々が思い描く『時間』は、永遠の影のようなもの。すなわち、この世のこと(時間)は、あの世(永遠)の影であり、あの世とこの世を輪廻転生すると考える、(と,、つたない、お叱りを受けそうな大雑把な言い方の説明をしておく。)


だから、日常のこの地上の人間どもに理解できない、あの世があっても何の不思議はない。


あの世があるとかないとか、大騒ぎする必要はないとするわけだ。




私がここでいいたいのは、キリスト教国イギリスの宇宙物理学者の寝言は、同じ時間論の上に立つキリスト教との争いだから、その激しさを増すが、仏教国日本で生まれている我々は、その時間論の上には、本来はいないので、高見の見物をしていればいい、と私は楽しく彼らを眺めている、といわけであります。



お分かりになっただろうか。日本も、ユダヤ・キリスト教的時間論に慣れてしまっているので、そういう人は理解が、困難だろうが、ま、興味があったら、きちんと、お勉強をすればいいだけのことだ!!



(^-^)


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ホーキングさん、タイムマシンを否定していた。

そこで、日本より、彼の国、イギリスで有名だったこの曲(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=8G_-l7uEGp8&feature=related








俺が子供のころ、学校の先生に殴られると、親が先生に謝った。


実際、俺などは、学校では優等生タイプではなかったので、たまにだが、ゴツンと先生から殴られていた。


その話を聞いていたおふくろは、参観日に担任に謝っていたのを俺は現認している。


ようするに、おふくろとしては、家庭の躾が悪かったと思ったに違いない。


しかし、今の日本では、先生が生徒を殴ったら、もう暴力教師となり、校長やら教育委員会やら、うるさいことになる。


また、いまの父母は、自由という概念をはき違えているのか、教室でもどこでも自由と考えているらしい。


だから、教室で暴れたり、ふざけたりしても、言葉の注意で会わるらしい。だから、授業ができない学級崩壊がいたるところで頻発する。


また、ろくでもない親なのに、なんでもかんでも、学校に文句をいう親がかなり多いらしい。


こまった親たちだ。


俺のころだったら、まず、ゴツン、ゴツンと殴られ、この先生のゴツンで教室は落ち着く。これで終わった。


子供はわからないので、体罰と言われようとも、ゴツンと一発の衝撃で、子供は我に返る。こどもってそういうものだ。


いまの親たちには全く絶望だから、少なくとも心ある先生が子供の将来のため、ゴツンを復活してもいいと思う。



俺だって、殴られてきたが、その後、別段の不具合はない。むしろ、痛くても何とか頑張れる精神力はこの先生からのゴツンがあったからもしれない。


言葉で処理しようとすると、言い訳がまず出てしまい、子供でも不当に殴られていると勘違いする。


このゴツンが認められているとするなら、殴られても不当とは思わず、自分を少しは見つめる。


なにも、何でもかんでもゴツンがいいとは言わないが、この子供が「自分を見つめる」ことができるようになれば、強い子が出来上がってくる。


何でもかんでも、子供のいうことを聞くなどということは、あまりにも愚劣だ。


ゴツンの権利復活をひそかに願う!!


(^-^)

今の日本の教育の教えこみのせいか、命かけるような恋をする女は極めて少なくなったようだ。

今の日本の女は自己愛がとても強く、『愛するより、愛されたい』。だから『愛することが、本当に出来ない』のだ。恋愛ができないのだ。本当の結婚が出来ない。そのくせ、身勝手な甘い理想は何時も描き、その自己主張は強くする。そして結婚しても、そんな甘い理想など長続きするはずがなく、すぐに離婚。根はスケベだから、また結婚離婚を繰り返す。こんな一生で、だからいつも寂しい。

今の若い男も実にひ弱だ。会社でちょっと小言をいわれると、もう出社せず引きこもりをしたり。こちらも自己愛しかなく、他人を真剣に愛せない。


実に情けない、今の若い日本人たち。困ったもんだ。

今の日本の教育がきっと良くないに違いない!

こんなに呑気で緊張感がまったくない国も珍しいが、本当の大人の恋愛が極めて少ない国でもあるのだ。きっと…。実に情けない。

未熟な大人があまりにも多すぎる!

今の日本!

(^-^)

※だから、未熟でお粗末な首相がうまれる?正にその通り!だ!