私たちは、西暦2011年の今を生きている。これまで人間はその時代の認識で世界を眺めると言われることが多いだろう。今の時代は確かにコンピュータと言う画期的な機械が生まれ、物理学の世界でも、前世紀から、新たな自然の認識も知ることになった。


しかし、この自然の認識も、必ずしも一定のものではなく、むしろ、その認識には、これまで大きな振れ揺れがあり、今でも一つの現象をいくつもの認識が可能な場合がほとんどだ。今、常識、または流行りのものも、遠い将来、また長い歴史を通してみれば、実に怪しい、如何わしいと思われるものも多い。


一般の人は、この流行の中で、その流行に流され、それが正しいと判断する人がほとんどだろう。否、専門家と見られる人も、実はその流行りに単に乗っているだけで、それに気付いてないことが多い。


ヘーゲルと言う人は『人間は時代の子』などと言って、人の認識はその時代に制約されると認識した。はたしてそうだろうか?ただ彼の歴史認識は多くの人々(あの資本論のマルクスもそうだが)の認識に影響を与えたが、それは実は単なるキリスト教弁神論の単なる一つに過ぎないだろう。


日本には悲しいことに、このヘーゲルに影響を受けたヘーゲリアン(自分がヘーゲルの流れの考えだと気づかない人も含め)が、かなり政治にも行政にも、さらに,教育、学問の世界,またマスコミにも深く根を伸ばしていた。私はこの『時代の流れ』と言うヘーゲリアンの発想を超えることこそ、我々の未来に幸福はないのではないか、と思っている。すなわち、今ある価値を最高のものとは思わず、時代を超えて人間の価値、より正確な認識が必要と思ってきている。まず、簡単には流行に乗らず、人間全体の歴史からすべて振り返ってみる。こんな作業が今必要だと思う。


今回、ホーキングの発言をお粗末、と評した。単に流行のコンピュータのような題材で説明しようとする彼。これまで展開した自己の論理上での発言に、これ期待したのだが、単なるコンピュータのごときマシンをその実証例としてだしての説明、そして断言をするなど、何とも情けない。お粗末というしかない。

彼はもはや学者ではなく、単なる流行りの言葉のパフォーマーなのかもしれない。


ま、本来、真理を追及するのが学問、学者の本当の姿だが、目立ちたがり屋の、商売上手なエセ学者、単なる自称学者は沢山いる、もう山といる。

しかし、学者はやはり真理を追及するものでなければならない!

この世にはインチキ学者が多すぎる!

(^-^)

ホーキングについて何て書いたら、カウント減るかなと思ったら、若干増えますね…。新しい読者いるんでしょうか。

ま、たまにはいいでしょ…

この世には、神および神のような超越的なものが大嫌いな人もいるでしょう。ヤッキになって否定、毛嫌いする人もいるでしょう。ただホーキンスのようなお粗末な否定は情けないですね…。大した奴ではありませんね。(笑)


でも、20世紀、物理学最大の数式と言われる2つの方程式。①シュレディンガー方程式と、②E=mC2で有名な質量とエネルギーの等価性の式。

このシュレディンガーさんなんて、かなり宗教にこって(ちっと変なこり方だが…)いたんです。
よーく勉強すると、今の自然科学など、まだまだだと思うこといっぱいです。

いわゆる宗教団体などは別にしても、心のありようとして、ま、素朴に神仏に向かうような気持ちは日頃から大事にしようと思います。

(^-^)

※よく、「前世について」などとか、ネットに色々ありますが、そんな占いのようなものも、他人が勝手に判断するものなども、信じません。
ただ、この世の現象を考えるとき、現代科学も一つの仮説としては、意見が異なるにしても、学びたいところです。o(^-^)o

みんな、頑張りましょう!

ホーキング博士は次のように言っているとのことである。


「脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ」


昨日は、これまでのこともあり、間違ってはいないが、いささかことを大げさに受け取った感がある。


ようするに、今、彼が言っていることを、それが何かをそのまま読めばよいことなのだ。彼は宇宙物理学でいささか名を成したが、言っていることは実にお粗末。


彼は、お気の毒だが、筋萎縮側索硬化症(ALS)という病気で、長く車いす生活、言葉を表現するにも、呼吸をするにもコンピュータの力を借りなければ、一日たりとも生存できない生活の様だ。コンピュータのおかげで生きているのだ。このような生活の中で、「脳はコンピュータのようなもの」といっても、彼のコンピュータによって生きる彼の生活の実情ではこう発想しても不思議ではない。

ただ、彼の生命維持にコンピュータが重要な働きをしている事実はあるが、このコンピュータが生命では決してはない。


もちろん、脳をコンピュータのようにとらえている人間は結構いるのだが、本当にそうだろうか。


果たしてコンピュータは自己を言うものを持っているのだろうか。コンピュータが幸福を感じるのだろうか。要するにコンピュータといえどもそれは機械なのである。脳をコンピュータと考える人たちは、昔からある、人間を機械論的にとらえる人々に過ぎない。別段珍しいことではない。深い根拠がそこにあるわけでもない。そこいらのおっつぁんでも、飲み屋でもそんな話は聞く。

人間は機械のようなもの、そうとらえてるに過ぎない。

だからホーキングは、この機会が壊れれば何もない、といってるに過ぎない。


しかし、脳が機械的動きを見せても、脳=命などという結論を示すことはできない。


コンピュータは『人間』の指示によって動く。人間の脳も『われ』があって初めて脳の働きをする。


コンピュータが壊れても、それを使っていた人間は生きてゆく。


この体が壊れても、この体を使っていた『われ』は存在しても、実はおかしくない、という論も十分成り立つのだ。



またホーキングの宇宙論が正しいと確証されているわけでもない。昨日は彼の理論の弱点を延長線に見つめ、そこから考えて話していた。だから、時間論の話もした。


しかし、いま彼が言っているのは、そんな高尚なものではなく、じつに幼稚なことを偉そうに言っているだけだ。


もう、お粗末といってもよい!!






世界でいろいろ目立つこといってるこのホーキングさんも、しょせんこの程度か、というところだ。



(^-^)