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続・知らない

昔書いた記事を思い出して、ふらふらっとキーボードを買ってきてはや10ヵ月。
今の僕はリコーダーと鍵盤ハーモニカしかできない人間ではなくなりました。やったー。
とはいえまだまだへったくそな指使いでへったくそなリズムで鍵盤をたたくだけなんですが。

それでも、まぁ、できなかったことができるというのは素敵なことで。
今日も朝からたたいて、たたいて。

ただし、相変わらずギターは弾けません。
ということで、結局夢の途中でそのことに気づく点は変わりはないんですが。

音楽を人生にからめた素晴らしい言葉は書けないけれど、
自分の動きが音になり、響き、そして留まらずに消えていくことは、
僕にとってはとても不思議で、楽しいことなのです。

誰かに聞かせるとか、難しい曲に挑戦するとか、そういった目的はなく、
ただ弾きたいように、弾きたい曲を、というだけでやっているので、
上達もそれほどしないし、自己満足の域を出ることはこれから先もきっとないけれど。
それでも、この楽しみと、できるだけ長く付き合えることができれば、
それも一つの幸せではないかな。


知らない

夢の中で僕は気持ちよくギターを演奏しているのです。
部屋で独りのときもあれば、誰か他の人が演奏するのに合わせているときもあります。
また、ときには向かい合ってそれを聞いてくれる人がいることもあるのです。
そのように、気持ちよくギターを演奏する夢はたびたび見るのですが、そのシチュエーションは様々です。
しかしながら、それらに共通している点があります。
そう、その終わり方。
字義通り音の楽しさを心から感じながらかきならしているとき、ふと、頭に余計なことが浮かぶのです。
「僕はギターの弾き方を知らない。」
そうなるともうだめです、意識せずとも自然と生じていた音と音のつながりはなくなり、楽しくも無いただの音の羅列となってしまうのです。

息苦しさに目覚めて思います。
現実には僕はギターどころか、楽器といえば義務教育課程で縦笛と鍵盤ハーモニカに触れていたぐらいなので、元はといえば夢とは言え弾きこなしていたのがおかしいのだと。
ただ、せめてあの楽しさを思い出すことができれば、現実の僕もギターをやってみようと思うのやもしれませんが、思い出すのは最後に響いた気味が悪いディスコードたちなのです。
そうしてただ何をするのでもなくぼんやりと過ごし、また、そのまま寝てしまうのです。

これもまた、僕なのです。

僕みたいな人間は所詮人のおかげで生きていて、まぁ優しい人に対して尻尾をふりふり媚を売る犬みたいなもんなんです。
とか言うと犬にすごく失礼で申し訳ないとは思うんですが、まぁそういうもんなのです。
意識してやってるわけではないんですが、まぁ後から振り返るとそういうことしたなーとなって、ハタから見るとなんと男らしくないだなんて思われたりもしそうですが、でもまぁ仕方ないっていうかー。
そういう犬な部分(犬と共通して有している部分?)ってのは別に嫌いなわけじゃないです、じゃなきゃ今までないだろうし。

で、犬。
学名をCanis lupus familiaris(キツネやタヌキなどを含む広義の)イヌのうちのオオカミ、さらにその中で人と共にいるもの、というぐらい身近で、多くの種類が存在するわんわんのことですね。
彼らのもっとも共通して発達した部分は、その嗅覚です。
一説によるとヒトのそれに比べ600倍近い可能性もあるとか。
視覚による識別などがそれほど得意ではない彼ら彼女らにとって、生きるうえでもコミュニケーションのうえでも、嗅覚は聴覚と並び、もっとも重要な部分となっているわけです。

そしてまた、イヌといえば有名なのはパブロフの犬。
条件反射の実験として誰もが知るこの言葉は、後天的に獲得する反射行動の確認であるとともに、一歩進んで、我々が日常で脳の処理を楽にするためのショートカットに罠があるかもね、という示唆を含んでいるのかもしれませんね。

ここまで犬の話でありながら、必ずしもつながりが明確でない話をしました。
でも所詮は本筋ではないのでは良いのです、大事なのはここから、僕にまつわる話。

ちょっと前から、ある種の匂いを嗅ぐとなんだかやたらムラムラするんですが、そう思ったとたんにくしゃみがでるのです。
最近ではその匂いという条件付けまで省略されて、ムラムラするだけでくしゃみが出るようになりました。

ということで、僕がくしゃみをしたときは近づかないほうがいいのかも知れません。くしゅん。

ppp

思い悩む日々が続くと疲れる。
単純なことだが、ルーティン+好きなこと以外に頭を使うと、自分の中で何かがすり減るわけだ。
そのすり減ったもののことを思うことで、さらにその何かはすり減る。
そういう繰り返しの中でも生きていかなければいけない、そう、単純なことだ。

思い悩む日々が続く。
そういうとき、ふと、全部捨てたら楽になるんだろうなーとか安易な考えにもわもわっとされてしまうことがある。
なんとなーく流されてしまえばいいじゃんとか思ってしまって、なんだか悲しくなる。
自分の存在が必要以上に小さく思えてしまうのだ。
そうして全部捨てれば楽じゃん思考がさらに膨らむことになる。
よし、明日起きたら俺は自由人になるのだ、ネカフェ難民でもホームレスにでもなってやる!

そうして翌朝思う、全然よくないじゃんと。俺のバカ。

ある牙の見る夢 

 日が沈む。
 西の彼方のわずかを朱に染め、安息の時が迫る。
 僕が求めるのは烈日であり、憩いではないのに。
 世界は僕にとっては寒い。他の誰かにとっては暖かい世界なのか、凍える僕の脳では識別できない。

 空を見上げる癖がついたのはいつからだろう。都会特有のくぐもった狭い空なのに。
何かを見たいのではなく、きっと現実を見ないためにしているんだとは気づいている。それでももしこの空に何か、何でもいい、僕が見なければいけないものが輝くときがくるとしたら、それを逃したくはない。
 
 軸を失いながらさまよい続ける街が奏でる不協和音に、ゆっくりと呑み込まれて行く。
ため息が一つ、白く小さくこぼれた。
帰ろう。
 
 僕の見えないところで、太陽に追われたカラスがささやかに瞬いた。