ポケットマスターピース09『E・A・ポー』 | 文学どうでしょう

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ポケットマスターピース09(鴻巣友季子、桜庭一樹編)『E・A・ポー』(集英社文庫ヘリテージシリーズ)を読みました。

 

エドガー・アラン・ポーは今なお人気の高い作家で、光文社古典新訳文庫の小川高義訳や新潮文庫の巽孝之訳など、手に入りやすい翻訳がいくつもあります。個人的に一番おすすめなのは、一冊ごとの分量が少なくて読みやすい新潮文庫版(今のところ全三巻)ですかね。

 

 

今回紹介する「ポケットマスターピース」の『E・A・ポー』の巻では、編集をつとめた鴻巣友季子の、「すべての翻訳はそれまでに存在した訳文や、無数の読み手による無数の解釈を、意識的にせよ無意識的にせよ、下敷きにして生まれてくる」(755頁)が故に既存の翻訳も大切にしたいという思いから、新訳と旧訳の両方が入り混じる形となっています。

 

たとえば詩では詩人、日夏耿之介の古めかしい訳が、推理小説の元祖とも言われる一連の短編では、小説家、丸谷才一による翻訳が再録されています。何を隠そうぼくが初めてポーを読んだのが、創元推理文庫の「ポオ小説全集」でして、そこにはまさに丸谷才一の翻訳が含まれていたので、なんだか懐かしい思いがしました。

 

そして新訳で目玉となっているのが、巽孝之による「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」という海洋冒険もの。ポー唯一の長編と言われることもある作品で、船の難破によって飢餓に直面し、生きるために人肉を食べることが許されるか否かという問題が持ち出されることでも有名です。

 

冒険小説として、『八十日間世界一周』や『地底旅行』で知られるジュール・ヴェルヌなど後世の作家に多大な影響を与えただけでなく、似たような事件が実際に起き、その事件を元に小説にしたものが映画化されるという、興味深い流れも生まれました。池末陽子による「作品解題」ではこう書かれています。

 

『ピム』から四十六年後、一八八四年にイギリスでミニョネット号遭難事件が起きた。脱出したのは四人、そしてサヴァイヴァルの手段として人肉嗜食の犠牲となったのは一七歳の少年リチャード・パーカー。この悲劇的な事件はブッカー賞を受賞したヤン・マーテルの『ライフ・オブ・パイ』(二〇〇一年)のモデルとなった。〔……〕虚構=実話=虚構と繋がるこの奇妙な符合に、ポー文学のグローバルな影響を見て取ることは可能だ。(786頁)

 

「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」にリチャード・パーカーという人物が登場しており、実際の事件でも同じ名前の人がいたという奇妙さがあるのです。なんとも不思議なことですよね。ちなみに『ライフ・オブ・パイ』とその原作に関しては、以前(2013.10.20)に『パイの物語』で取り上げたことがあるので、興味のある方はそちらの記事をご覧ください。

 

 

 

というわけで、今まであまり手に取りやすい形の翻訳がなかった「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」ですが、現在のSFや冒険小説のまさに源流という感じがして面白かったです。推理小説や怪奇小説の源流となった短編などももちろん読めるので、この『E・A・ポー』の巻は、そういう意味ではかなりお得な感じだと思います。

 

それ以外の注目作として、「お前が犯人だ!」と「メルツェルさんのチェス人形」の二作品が、小説家、桜庭一樹による翻案小説という形で収録されています。

 

作品のあらすじ

 

詩選集

大鴉(中里友香訳)

 

恋人レノアを失って嘆く〈僕〉の元に大鴉がやって来ます。名前を聞くと「金輪際」(14頁)と答えるのでした。彼女を忘れられるか、また彼女の手を取れるか尋ねても大鴉は「金輪際」と言い続け……。

 

アナベル・リイ(日夏耿之介訳)

 

「油雲風を孕みアナベル・リイ/そうけ立ちつ身まかりつ。」(21頁)と寒さで死んだ少女、アナベル・リイを愛する気持ちが綴られています。

 

黄金郷(日夏耿之介訳)

 

「くがねの郷と世に傳ふるは/かげのきみ、/いづくならまし。」(23頁)と力尽きそうな「武邊(ぶへん)の伊達(だて)」が「黑翳(かげ)」に黄金郷を尋ねる詩です。

 

モルグ街の殺人(丸谷才一訳)

 

パリ、モンマルトル街の仄暗い図書室で、二人とも同じ稀覯書(貴重な本)を探していたことで知り合った〈ぼく〉とC・オーギュスト・デュパン。分析力に優れたデュパンは、ちょっとした様子から〈ぼく〉が考えている事柄を推理してみせて、〈ぼく〉を驚かせます。

 

やがて、「ガセット・デ・トリビュノー」の夕刊に載った記事が〈ぼく〉らの興味を引きました。それはレスパネー嬢が家屋の四階、戸に鍵がかかった状態で、そしてその母親のレスパネー夫人が中庭で無残に殺されていた事件。周囲の証言からすると、どうやら外国語を話す犯人のようです。

 

大した証拠もないのに容疑者が逮捕されたことを知ったデュパンは、警察の捜査方法は俊敏と評判だが、実はいきあたりばったりのものだと批判するのでした。探偵のヴィドックを例にあげて、対象を近くで見すぎるせいで全体を見失うことがあると。

 

真理はかならずしも、井戸の底にあるわけじゃない。それに、真理よりももっと大切な知識ということになると、こいつはつねに表面的なものだとぼくは信じるな。深さがあるのは、ぼくたちが真理とか知識とかを探す谷間のほうなんで、それをみつけることができる山頂には、深さなんてない。こういう種類の失敗は、天体をじっとみつめるときのことでよく判りますよ。星はちらっと見るほうが……つまり網膜の外側を向けるほうが、はっきり見ることになる。(網膜は外側のほうが、内側よりも、光のかすかな印象を感じやすいから)星の輝きが一番よく判るんですよ。(48~49頁)

 

そうして独自の捜査に乗り出すことになったデュパンと〈ぼく〉でしたが、殺人事件に関する色んな場所を観察し、事件当時に物音を聞いた人々からの証言を集めたデュパンは、驚くべき事件の真相を導き出して……。

 

マリー・ロジェの謎――『モルグ街の殺人』の続編(丸谷才一訳)

 

下宿屋を経営する母と暮らしていたマリー・ロジェは香水商の目に止まって女売子(グリゼット)となりました。一度失踪する事件を起こし、その時は戻ってきたのですが、やがてセーヌ河で死体となって発見されます。新聞記事を元にデュパンは事件の真相へと迫って……。

 

盗まれた手紙(丸谷才一訳)

 

デュパンは警視総監から、とある高貴な方の手紙が盗まれてしまった事件の相談をされます。その手紙が公になると大変なことになるのです。犯人は状況から見て大臣のD**に間違いありませんが、大臣本人の体を探っても、大臣の部屋を調べても手紙は見つからずに……。

 

黄金虫(丸谷才一訳)

 

ウィリアム・レグランド氏は見つけた黄金虫の話をするため近くにあった汚れた紙に絵を描きますが、それを見て〈わたし〉は髑髏みたいだと言ったのでした。その言葉をきっかけに紙の秘密に気付いたレグランド氏はそこに記された暗号の解読に乗り出すこととなって……。

 

お前が犯人だ!――ある人のエドガーへの告白――(桜庭一樹翻案)

 

三年前に起こった”「お前が犯人だ!」殺人事件”の真相についてポーに語り始めた〈私〉。町一番の金持ちであるバルバナス・シャトルワージー様がライフル銃で撃たれて殺され、様々な証拠から容疑者として浮上したのは被害者の甥のペニーフェザー様だったのですが……。

 

メルツェルさんのチェス人形――エドガーによる〝物理的からくり〟の考察――(桜庭一樹翻案)

 

世間を騒がせた機械(おーとまた)の〈メルツェルさんのチェス人形〉の〝物理的からくり(モーダスオペランディ)〟についてあれからも思考し続けていたと言う〈ぼく〉エドガーは人間と勝負するチェス人形の説明をし、その驚くべき仕掛けについて解説を始めて……。

 

アッシャー家の崩壊(鴻巣友季子訳)

 

友人のロデリック・アッシャーの妹で奇病にかかっていたレディ・マデリンが亡くなり〈わたし〉は棺を地下の保管室へ運ぶのを手伝うことになりました。やがて段々と嵐が強まっていき、月も星もないのに屋敷が発光する蒸気に包まれると恐ろしい現象が起こり始めて……。

 

黒猫(鴻巣友季子訳)

 

〈わたし〉と女房は全身真っ黒の美しい黒猫を飼っていました。ところが酒に溺れた〈わたし〉は猫の片目を傷つけ、それをきっかけに激しく嫌われたことで苛立って、黒猫の命を奪ってしまいます。やがて新しい黒猫と出会い、その黒猫には不思議と懐かれたのですが……。

 

早まった埋葬(鴻巣友季子訳)

 

強硬症(カタレプシー)を患い「生きながら埋葬されること。間違いなくこれこそが、弱き人類の運命に降りかかった苦難のうち、もっとも恐るべきものであろう」(352頁)と考える〈わたし〉は早まった埋葬の様々な実例をあげていき自分自身の体験について語って……。

 

ウィリアム・ウィルソン(鴻巣友季子訳)

 

仮に名前をウィリアム・ウィルソンとする〈わたし〉は学校では目立つ存在でしたが、勉強や運動や喧嘩など様々なところで張り合おうとしてくる男と出会います。なんと〈わたし〉と同姓同名、同じ日に生まれたその男は大人になってからもしつこくつきまとってきて……。

 

アモンティリャードの酒樽(鴻巣友季子訳)

 

一千回の侮辱を受けた〈わたし〉はフォルチュナートに復讐を誓います。彼はワイン通ぶりを鼻にかける癖があったので、〈わたし〉はアモンティリャードというふれこみの大樽を手に入れたがそれが本物かどうかの確認をしてほしいと言い、地下セラーへと誘いこんで……。

 

告げ口心臓(中里友香訳)

 

猛禽類を思わせる眼で見られることを嫌悪して老人の殺害を決意した〈僕〉は「まるで綿でくるまれた時計のたてるような音」(427頁)を聞きます。それは老人の心臓の鼓動でした。段々と激しくなっていくその音を隣人に聞かれるのを恐れた〈僕〉は部屋に飛び込み……。

 

影――ある寓話(池末陽子訳)

 

多くの奇怪な現象が起こり疫病が流行した恐怖の年。〈私〉ギリシャ人のオイノスと七人の仲間はプトレマイスという仄暗い街にある立派な邸宅で酒宴を開いていました。部屋には経帷子に包まれたゾイラスが死屍を横たえています。歌が終わるとぼやけた影が姿を現し……。

 

鐘楼の悪魔(池末陽子訳)

 

「何時なんだい」という意味を持つオランダの町ヴァンダーヴォッタイミティスに、異国風の男がステップを踏みながらやって来ました。間もなく正午になる時、男が番人を打ち据えて町会議事堂の鐘楼の中に入ると、十二回で鳴り終わるはずの鐘は「十三!」と言って……。

 

鋸山奇譚(池末陽子訳)

 

丘陵地帯の散歩を日課としていたオーガスタス・べドロー氏は濃い霧の中で迷い、見知らぬ風景の場所で騒ぎに巻き込まれてしまいます。勇敢に武器を取って戦いますが毒が塗られた矢で射殺されてしまったのでした。話を聞いたみなは、それを単なる夢だと思いますが……。

 

燈台(鴻巣友季子訳)

 

灯台守として雇われた〈ぼく〉は日記をつけることにしました。ネプチューンという名の犬を除けば、円筒形の壁に囲まれた独りきりの暮らし。それは自らが望んだものでもありますが、なんとなく不安な気持ちがするのでした。やがて嵐が来て波の高さを心配し始めて……。

 

アーサー・ゴードン・ピムの冒険(巽孝之訳)

 

高校で二歳年上のオーガスタスと友達になった〈ぼく〉アーサー・ゴードン・ピム。オーガスタスはバーナード船長の息子で、南太平洋での捕鯨の旅の話などを〈ぼく〉にしてくれ、〈ぼく〉は冒険に憧れを抱くようになったのでした。

 

酔っ払って、ふざけて乗ったエアリアル号で思わぬ事件を起こしてしまったオーガスタスと〈ぼく〉でしたが、海に恐怖を抱いたことでより一層オーガスタスとの仲は含まり、また〈ぼく〉の海洋冒険に対する関心もますます強くなっていきます。

 

それから一年半ほどが過ぎ、バーナード船長のグランパス号が航海の旅に出ることになりました。どうしても冒険がしたい〈ぼく〉はオーガスタスの助けを借りてグランパス号にこっそり潜り込み、追い返されない所まで隠れている計画を立てたのでした。

 

元々は土器などを入れておくための、高さ四フィート、奥行き六フィート幅の狭い鉄張りの箱の中で隠れて過ごしていた〈ぼく〉でしたが、計画と違ってオーガスタスがなかなかやって来てくれません。どのくらい眠っていたのか、食べ物は腐り、飲み水はなくなってしまいます。

 

やがて獣に襲われますが、それは〈ぼく〉の飼い犬のタイガーであることが分かりました。タイガーの左足のつけ根にはオーガスタスからの手紙がひもでくくりつけられており、そこには「血だ――生き延びたかったら、そこでじっと引きこもっているがいい」(525頁)と書かれていて……。

 

とまあそんな二十編が収録されています。個人的に昔から好きなのが「アモンティリャードの酒樽」で、忘れられない印象が残る短編ですね。「黒猫」と似ているようでいて、また少し違った、どことなくユーモラスな感じがあって。

 

タイトルをすっかり忘れてしまっていたのですが、「そう言えば、ポーと言えば、あの話を読みたいな」と思っていたら、たまたま収録されていたので嬉しかったです。

 

この巻には、ポーの代表的な作品が収められていて、久々に色々と読み返しましたが、いやあ面白かったですね。ミステリの元祖とも言われるデュパンものもあっと驚く盲点を突かれる感じで面白いし、暗号解読に挑む「黄金虫」も最高でした。

 

そして何より、「アッシャー家の崩壊」や「黒猫」に代表される、怪奇ものというか、ちょっとぞっとする感じの短編がやっぱり非常に面白いです。特に「黒猫」は内容、物語構造ともにすごすぎて、読むたびに感嘆させられますね。まだ読んだことがない方はぜひ読むことをおすすめします。

 

そして、前回紹介したスティーヴンソンの怪奇は、魔術が使われることで、現実に不思議なことが起こっている感じなのですが、ポーが描く怪奇はそれとは明らかに異なっていて、精神的なものという印象を受けるんですよ。

 

現実には何も起こっていないけれど、精神的にまいっているからその人の目には怪奇的なものが見えてしまうという感じで、読んでいると、こちらまでつられて世界が歪んで見えてしまうような、そのぶっ壊れた感じがもうたまらないのです。これぞまさにポーならでは。

 

あえてそういう収録作の選び方がされていると思いますが、早すぎる埋葬への恐れとか、幻想的なものを目にしてしまうとか、ポー自身の恐怖の対象がくりかえし書かれることではっきり分かるような一冊になっていて、この本を読むだけで、かなりポーの作風を理解できるようになるだろうと思います。

 

前述しましたが、編集方針であえて旧訳と新訳が入り混じる構成になっているので、すべて読みやすい新訳で読みたいと言う方は新潮文庫や光文社古典新訳文庫など、他に色々選択肢があると思いますが、新訳の「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」も収録されていることですし、この本を選ぶのもなかなかにいいチョイスだと思いますよ。(800頁ほどあるので、やや重いですけれど)