ポケットマスターピース08『スティーヴンソン』 | 文学どうでしょう

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ポケットマスターピース08(辻原登編)『スティーヴンソン』(集英社文庫ヘリテージシリーズ)を読みました。

 

「ポケットマスターピース」で個人的に最も好きだったのが『バルザック』の巻だったんですけど、もし短編部門で選ぶならこの『スティーヴンソン』の巻。いやあ、これはめちゃくちゃ面白かったですね。大興奮もの。

 

スティーヴンソン自体は、おそらくみなさんご存知の作家なのではないかと思います。作家名は知らなくても、作品名を聞いたらきっとピンと来るはず。『ジーキル博士とハイド氏』や『宝島』を書いた人です。どちらも、今なお読み継がれている名作だと思います。

 

 

名作は名作でも、わりと埃がかぶったというか、古臭い作家というイメージがぼくの中にはあって、それというのも、スティーヴンソンの時代はまだ、「いかに文章が書かれるか」ということにすごく意識がいっていると思うんですよ。

 

宝島』では手記が、そして『ジーキル博士とハイド氏』では手紙が重要な役割を果たしているのですが、そのため現代の小説のような、生き生きとした、躍動感のある描写性には欠けるんですね。どこかまわりくどい表現で綴られている感じが、どうしてもしてしまうというか。

 

キャラクターやストーリーは抜群に面白いけれど、語り口は少し古臭い、そんな印象を僕はスティーヴンソンに持っていたんですけど、この巻に収録されている、ちょっと不思議な出来事を描く短編がめちゃくちゃ面白くて、イメージががらりと変わりました。スティーヴンソン、最高じゃないかと。

 

「ポケットマスターピース」の中には『E・A・ポー』の巻もあって、次回紹介する予定なので、そちらでまた改めて書くと思いますが、幻想的だったり怪奇的だったりする小説って、二つのアプローチが存在すると思うんですよ。

 

ポーの場合は、ポー自身の感覚が投影されているであろう、「狭い空間に入れられるのが怖い」とか「見たくないと思うものを見てしまう」など、神経が参っているが故に見る幻想、という感じです。その人に見えているものと、現実に起こったことにはおそらく差があります。

 

一方、スティーヴンソンが描く怪奇、特に『南海千一夜物語』という本に収録されたという短編「声の島」などは、それこそ「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」のように、魔法の道具や魔法そのものによって、現実として、実際に不思議なことが起こっているという感じなのです。

 

その怪奇さというか、不思議な感じ、この辺りは個人の趣味趣向の話になってくると思うのですが、僕にはその「虚/実」がとてもいいバランスに感じられてすごく心地よかったというか、単純に読んでいてわくわくして非常に面白かったですね。

 

宝島』のパロディ的な話などが収められている「寓話」以外は全訳で、また旅行記「驢馬との旅」が収録されている目新しさもあるので、これはもうスティーヴンソン入門の決定版としていいんじゃないでしょうか。というわけで、「ポケットマスターピース」の中で、一番のおすすめなのがこの本です。

 

作品のあらすじ

 

ジーキル博士とハイド氏(大久保譲訳)

 

弁護士のアタソン氏と、遠縁にあたるリチャード・エンフィールド氏が一緒に散歩をしていた時のこと。エンフィールド氏は奇妙な話をします。ある真っ暗な冬の夜中に、不気味な小男が、自分とぶつかった少女を踏みつける現場を目撃したのだと。

 

少女の家族から責められた小男はお詫びとして高額の小切手を渡したのですが、その小切手にはある立派な人物の名前が記されていたと言うのでした。小男が入っていった扉の先の住人、そして小切手に書かれた名前をアタソン氏は知っていました。

 

それは友人のヘンリー・ジーキル博士で、アタソン氏は遺言状を預かっていたのですが、そこにはもし自分の身になにかあればエドワード・ハイドに財産を相続させるようにと書かれていたのです。不気味な小男ハイド氏に、言い知れぬ嫌悪感を覚えていたアタソン氏。

 

ハイド氏は青じろく、小柄だった。具体的に名指せるいびつな部分はないのに、どこかしら形が歪んでいるという印象を受けた。笑い方は気味が悪く、弁護士に向ける態度には臆病さと図々しさが凶暴に入り混じっていた。しゃがれ越えで、囁くようなとぎれがちの話し方だった。何もかも不快だったが、こうした要素をすべて足しあわせても、アタソン氏がハイド氏に対して感じた経験したことのないほどの嫌悪感、おぞましさや戦慄を説明しきるものではない。「なにか別の理由があるはずだ」当惑しながらアタソン氏はひとりごちた。(27頁)

 

ジーキル博士ほどの立派な人が、そんなおぞましいハイド氏と交際している理由が分かりません。やがて濃い霧が立ち込めているものの満月で路地が明るく照らされたある夜のこと。ハイド氏が老紳士を杖で殴り殺した様子が目撃され、みなはハイド氏の行方を探し始めたのですが……。

 

自殺クラブ(大久保譲訳)

クリームタルトを持った若者の話

 

牡蠣料理店(オイスター・バー)で客にクリームタルトをすすめ、断られると自分で食べるという奇妙な行動をしている若者と出会った、冒険好きのボヘミアのフロリゼル王子とその腹心のジェラルディーン大佐。若者から「自殺クラブ」の存在を聞かされて興味を抱いた二人は、自殺志願者のふりをしてクラブに入り込んだのですが……。

 

医者とサラトガ・トランクの話

 

カルチェ・ラタンの家具つきホテルで過ごすアメリカ人青年サイラス・Q・スカダモア氏は手紙で呼び出されたことで出会った婦人と、翌日の夜に逢引をする約束を交わします。しかし待ち合わせ場所のリュクサンブール公園に行っても、婦人は現れなかったのでした。仕方なくホテルに帰ると、自分の部屋のベッドには金髪の青年の死体があって……。

 

 〔サイラスが見聞きする物事から、フロリゼル王子と「自殺クラブ」の会長との対決が読み取れる話〕

 

二輪馬車の冒険

 

ブラックンベリー・リッチ中佐が、突然の冷たい雨を避けるために二輪辻馬車に乗り込むと、謎の人物の屋敷へと連れていかれたのでした。そこでは賭博が行われており、やがて家具運搬用の荷馬車が来ると豪華な内装はすべて取り払われます。まるで一夜の幻であったかのように。謎の人物モリス氏はこれは自分の仲間を選ぶためだったと言って……。 

 

〔ブラックンベリーの目線から、フロリゼル王子と「自殺クラブ」の会長との最後の対決が語られる話〕

 

嘘の顚末(大久保譲訳)

 

ディック・ネイズビー青年はパリにいた頃、「提督」というあだ名で有名な画家ヴァン・トランプと知り合います。しかし画家とは名ばかりで、今ではすっかり落ちぶれてしまい、パリにやって来る外国人にたかって生きている人だったのでした。

 

帰国したディックは父親の老ネイズビー氏と衝突してしまいます。ネイズビー氏は自らの行いが元で新聞に失態をさらしてしまって、ディックは新聞社に抗議に行ったのですが、それを知らないネイズビー氏は自分の味方をせず、また男気のないディックを軽蔑したから。

 

荒れ地(ムーア)でスケッチをしていた時に、ディックは「提督」ことヴァン・トランプの娘エスターと知り合い、愛し合う仲となります。外国暮らしを送っている父親は立派な芸術家だという幻想をエスターは抱いていましたが、やがてヴァン・トランプが帰って来てしまい……。

 

ある古謡(中和彩子訳)

 

ジョン・フォークナー中佐は帰郷し、グレーンジヘッド屋敷にそれぞれ両親を亡くした二人の甥、ジョンとマルカムを引き取ります。三週間ほど早く生まれたジョンが、グレーンジヘッドの跡取りということになりました。

 

やがて隣の領地の相続人の娘メアリーとジョンは婚約者の間柄となったのですが、ジョンの十八歳の誕生日の日、マルカムが悲しそうな顔をしていることにジョンは気付きます。マルカムは、「おまえは何もかも手に入れるんだ。領地も、メアリーも、何もかも。放っておいてくれ」(306頁)と言うのでした。

 

マルカムがメアリーを愛していること、そしてどうやらメアリーもマルカムを愛しているらしいことを知ったジョンは、「ぼくらはふつうの兄弟以上に近しい存在だ。ぼくは、君のために精一杯のことをするよ」(308頁)と言って、あえて親代わりの中佐に逆らい、家を追い出されて……。

 

死体泥棒(吉野由起)

 

旅籠「ジョージ亭」の談話室で〈僕〉は、年老いて落ちぶれてはいるものの、どうやら医学の心得があるらしいことから「医者(ドクター)」というあだ名で呼ばれているフェッテスらと話をしていました。旅籠には実業家の病人が運ばれていて、ロンドンから医者が駆けつけます。

 

そうしてやって来た医者マクファーレン博士とフェッテスとは、どうやら昔の知り合いのようで、二人は激しく言い争います。逃げるように去ろうとしたマクファーレン博士の腕をつかんだフェッテスは、「その後、あれを見たことはあったかい?」(359頁)と聞いたのでした。

 

若き日の医学生フェッテスは授業の手伝いをする役目に抜擢されました。マクファーレン博士はその時の先輩です。解剖学のクラスで使う死体を取引相手から受け取る仕事があったのですが、ある時、昨日まで元気だった知り合いが運ばれてきたことで、ある疑惑が浮かんで……。

 

メリー・メン(中和彩子訳)

 

ロス半島の岬の先端では、潮の流れから大きな砕け波が生まれており、その波は「陽気な男たち(メリー・メン)」と呼ばれていました。この辺りの沿岸ではそうした波に翻弄されて、財宝を積んだスペインの無敵艦隊〈エスピリト・サント〉が沈んだという伝説が残されています。

 

そんなロス半島のアロスという所で暮らしているおじから誘われた〈わたし〉は休暇を過ごすため、アロスへと向かいました。おじの娘メアリー・エレンと再会した〈わたし〉でしたが、家の中が様変わりしていることに驚きます。

 

金襴のカーテンや真鍮製のランプがあり、どうやら〈クライスト=アンナ〉という難破船からおじが取って来たもののようでした。やがて黄金の指輪をいくつもはめた浅黒い男が少し前に島をうろついていたことが分かり、羅針儀と地図を持った男たちが船で島へとやって来て……。

 

声の島(中和彩子訳)

 

モロカイ島の呪術師カラマケの娘レフアと結婚したケオラ。時たま妖術の腕を売る他には何の商売もしていないのにカラマケがいつもぴかぴかのドル銀貨を持っているのが不思議でしたが、ある時ケオラはその秘密を教えられます。

 

「時は来た」と魔術師は言った。「恐れるな」
 その言葉とともに香草に火を放ち、何やらつぶやきながらヤシの枝を振り始めた。鎧戸を閉めた部屋は最初のうちは薄暗かったが、香草が激しく燃え上がり、炎がケオラに躍りかかると、その火で輝くように明るくなった。次いで煙が立つと、ケオラはめまいに襲われて目の前が真っ暗になり、カラマケのつぶやき声だけが耳の中で響いた。突然、足下の敷物が稲妻よりも速くすくわれるような、ぐいと引かれるような感じがした。たちまち部屋も家も消え、ケオラは息もつけなくなった。強烈な光が目と顔の上をめぐっていったかと思うと、いつのまにか海辺に移動していた。太陽が照りつけ、大波の音が轟いている。ケオラと魔術師は同じ敷物の上に立ち、言葉もなく、息を喘がせながら互いの体をつかみ、目の前を払うように片手を振っていた。(466頁)

 

カラマケはケオラに、香草と木の葉をそれぞれ三つかみずつ集めてくることを命じます。ケオラは林で若い女と出会いますが自分の姿は見えないようで、声を聞くと女は驚いて逃げ出します。一方、浜辺で一生懸命に貝殻を集めたカラマケ。

 

葉を炊き、敷物に乗って元の居間に戻ると貝殻は光り輝くドル銀貨へと変わっていたのでした。義父の秘密を知って自分ももっとお金が欲しいと思うようになったケオラでしたが、舟で出かけた時に魔術で巨大化したカラマケによって、海の中に置き去りにされてしまって……。

 

ファレサーの浜(中和彩子訳)

 

商社の営業先として派遣されて、商売をするためにファレサーにやって来た〈俺〉は、どこの国の出身かは分からないけれど英語を話すケースという男と知り合い、間を取り持ってもらう形でウマという名の現地の娘と暮らすことになります。

 

ところがそれからというもの、村の人々は〈俺〉の家のまわりを囲んで眺め、誰一人交易所を利用してはくれなかったのでした。〈俺〉は自分が「タブー」にされているのだと気付きますが、やがて思いがけない事実が明らかになったことで、ケースがついていた嘘が発覚します。

 

自分の前任者が、ケースの陰謀によって追い出されていたことを知った〈俺〉は、手品のような小手先のトリックを使って現地人に自分を森に棲む悪魔ティアポロの使いだと思い込ませているケースとの対立を深めていって……。

 

童話 抄(大久保譲訳)

 

『宝島』の登場人物二人が外に出て空き地で一服します。スモレット船長はシルヴァーの道徳観を責めますが、シルヴァーは自分は現実には存在しない「しょせん海洋冒険小説のキャラクター」(608頁)なのだからと言い、物語の今後の展開について二人は問答し始めて……。

 

驢馬との旅(中和彩子訳)

 

一八七八年秋の南フランス・セヴェンヌ地方での旅に基づいた旅行記。宿屋の時間にあわせて行動するのは厄介だし、テントは邪魔になるので、昼は旅行鞄、夜は寝台の役割を果たす寝袋を準備して旅をすることに〈私〉は決めます。

 

荷物を運ばせるために、六十五フランとブランデー一杯と引き換えにアダン爺さんから雌驢馬を買い、彼女をモデスティンと名付けました。モデスティンを手荒に扱うことができない〈私〉は、モデスティンの好きな速さで歩いていこうと思いますが、なかなかうまくいきません。

 

 好きな速さというのがどの程度のものであったか、その形容に使えるほどのちまちました単語は存在しない。それは、歩くのが走るよりも遅いのと同じ程度に、歩くのよりも遅い何かであった。〔……〕ずっとこんな調子でここからアレスまで行くのかと思うと、心が挫けそうだ。ありとあらゆる旅の中で、この旅が最も退屈なものになることは必至である。私は、すばらしい天気じゃないかと自分に言い聞かせようとした。不吉な予感をタバコで紛らわせようとした。しかし、丘を上り谷を下る長い長い道、そしてほんのわずかずつ、一歩一歩、一分間につき一ヤードの速さで進む、まるで悪夢の中で魔法に掛かったかのように目指す所に少しも近づけない二人、そんな光景が目に浮かんで仕方ない。(630~631頁)

 

気まぐれなモデスティンに苦しめられる〈私〉ですが、やがて泊った宿の主人に小さな針のついた突き棒を作ってもらったことで、順調に旅を続けられるようになります。ところがかつて〈ジェヴォダンの獣〉と呼ばれた狼が出た近くの森で、一人と一匹は道に迷ってしまって……。

 

とまあそんな十編が収録されています。「ジーキル博士とハイド氏」と「自殺クラブ」は元々読んだことがあって内容を知っていたのであれですが、それ以外は初めて読んだということもあって、ものすごく引き込まれました。

 

自己犠牲の姿が心に刺さる「ある古謡」や、ロマンスとして展開が気になる「嘘の顚末」、思わずぞっとする怪奇的な話「死体泥棒」、悪党と対決する、冒険小説の趣がある「ファレサーの浜」など、どの作品も面白かったのですが、個人的に最も印象に残ったのが「声の島」。

 

魔術を使う場面を引用しましたが、もうあの場面だけで幻想的で面白いですよね。敷物に乗ってどこか別の場所に行くけれど、そこの人には何故か姿が見えないという。主人公が海に置き去りにされてからも一波乱も二波乱あって、非常に面白かったです。

 

あとは、「ある古謡」と登場人物の関係性や設定に共通する部分が多いという、『バラントレーの若殿』という長編の評価が、辻原登による解説でも中和彩子による作品解題でも非常に高いというか熱烈におすすめされていて、これはいつかぜひ読んでみなくてはと思いました。

 

 

「ポケットマスターピース」のこの『スティーヴンソン』の巻はスティーヴンソンを読んだことがあるという人には新しい発見が、そしてまだスティーヴンソンを読んだことがない人にとってはこれほどいい入門になる本はないと思うので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。おすすめの一冊です。