アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・プーシキン『大尉の娘』 | 文学どうでしょう

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大尉の娘/未知谷

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アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・プーシキン(川端香男里訳)『大尉の娘』(未知谷)を読みました。

近年、ロシア文学の古典の出版に力を入れている未知谷。新訳ではないのが残念ですが、挿画がついており解説も丁寧。何と言っても本自体が新しくて手に入りやすいというだけで、大きな魅力があります。

そんな未知谷のロシア文学から今回紹介するのは、プーシキンの『大尉の娘』。ご存知ない方も多いだろうと思いますが、ロシア文学が好きの人ならきっとどこかで聞いたことがある名作だろうと思います。

プーシキンは19世紀のロシアの詩人で小説や戯曲も残しています。一番有名なのが、『オネーギン』。翻訳では伝わらない部分も多いですが、韻文小説と言って韻文、つまり詩の形式で書かれた作品です。

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散文、要するに普通の小説の形式で書かれた作品で有名なのが今回紹介する『大尉の娘』で、1773年に実際に起こったプガチョーフの反乱という、コサックや農民の大規模な反乱を題材にした物語です。

歴史小説の色彩が強いので、社会情勢やコサックについてなど、ある程度の知識があった方がより楽しめますが、その辺りは訳者解説で触れられています。コサックについての部分を、少し紹介しましょう。

 反乱・暴動の担い手にしばしばなったのは、コサックであるが、ロシア語ではカザークと言う。トルコ語派の言葉が語源で、自由で独立した人間、冒険者、放浪者の意味がある。彼らは民族ではない。ロシア人やウクライナ人が他の種族を同化して生まれた集団である。いずれも税や農奴という身分を逃れ、自由を求めて逃亡したギリシア正教徒の農民の子孫が主体だった。ドン河、テレク河、ヤイーク(ウラル)河、ドニエプル河などの流域で狩猟、漁業、養蜂、略奪、そしてトルコやタタール相手のゲリラ戦闘に従事していたが、十七世紀にはロシア皇帝に臣従、主に農耕に従事するようになった。ロシア政府が農奴制強化に踏み切ると反乱に立ち上がることがあった。(254ページ)


半ば独立した集団であったコサックはロシアの中に組み込まれることもあれば反乱を起こすこともあったわけですね。ショーロホフの大作『静かなドン』などコサックは様々なロシア文学に登場しています。

ここまで読んできて「なんだか難しそうな小説だなあ」と思われた方も多いと思いますが、実はストーリーが抜群に面白い作品なんです。

思い切って言えば、歴史的な背景は忘れても全然大丈夫です。物語の主人公グリニョーフは世間知らずのお坊ちゃま。世の厳しさを知って来いと父に命じられて、父の知り合いの将軍の元へと送られました。

やがて、要塞の司令官をつとめるミローノフ大尉の娘のマーシャと出会って相思相愛になるのですが、父からは結婚を反対する手紙が来てしまいます。暗雲たちこめる、グリニョーフとマーシャの未来……。

そんな中プガチョーフの乱が起こり、グリニョーフはプガチョーフの捕虜となってしまいました。辛うじて逃げのびたマーシャもまた囚われの身となり……。はたして二人の運命はいかに!? というお話。

いやあ熱い展開のお話ですよね。ベタながらストーリーがとにかく面白いです。反乱する勢力に支配された緊迫した状況下の恋を描き二転三転する展開にははらはらどきどきさせられること請け合いの作品。

問題はロシア文学ではお馴染み、名前が複雑すぎてもう誰が誰だか覚えきれないことですが、ストーリー自体はとてもシンプルで、登場人物も多くはないので、ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思います。

作品のあらすじ


若い時は陸軍中佐だった貴族の父の元に生まれた〈私〉は、満十六歳になるまで、お守役の馬丁サヴェーリイチから教育を受けたり、屋敷の使用人の子供たちと馬跳びをしたりして楽しく暮らしていました。

しかし父が「もう勤務に出してもいい頃合だ。女中部屋をかけずりまわったり、鳩小屋によじ登ったりするのは、もうたくさんだからな」(12ページ)と言い出し、母は動揺しスプーンを鍋に落とします。

ペテルブルグで自由な生活を送り、いずれは近衛の士官になれると思い喜んだ〈私〉でしたが、厳しく育てようと思っている父は、昔の同僚で友達がいるオレンブルグへ送ることを決めてしまったのでした。

サヴェーリイチと一緒に幌馬車で出かけた〈私〉でしたが、軽騎兵連隊の大尉にカモにされ早速大金を失ってしまい、世の中の厳しさを知ります。災難は続き、旅の途中で吹雪に巻き込まれてしまいました。

コサックと出会ったので道案内してもらい、宿屋に泊ることが出来ます。翌朝お礼として、どこか並はずれたものがあるような顔をした四十ぐらいのそのコサックに兎の皮外套(トゥループ)をあげました。

父の旧友の将軍に会った〈私〉は安心したのも束の間のこと、オレンブルグから四十露里(約四十三キロ)離れたベロゴールスカヤ要塞でミローノフ大尉の指揮下の将校になることを命じられてしまいます。

要塞では、決闘事件を起こし、近衛連隊を除籍されたというシュワーブリン将校と知り合いました。シュワーブリンは〈私〉に大尉の家族のことを色々話しますが、娘のマーシャはお馬鹿さんだと言います。

そうした先入観があったために、赤味のさした丸顔、明るいブロンドの髪をきれいに耳のうしろになでつけた十八歳ほどの少女マーシャと初めて会った時には、〈私〉はあまりいい印象を持ちませんでした。

ところが、大尉の一家と親しくつきあうにつれ、マーシャが思慮深く情のこまやかな娘であることが分かっていきます。実はシュワーブリンはマーシャに結婚を申し込んで断られたのを恨んでいたのでした。

シュワーブリンと険悪な仲になり、やがては、決闘にまで発展してしまった〈私〉ですが、それがきっかけとなって〈私〉とマーシャはお互いに想いあっていることが分かります。結婚を申し込んだ〈私〉。

しかし、両親に結婚の許可を求める手紙を送ると、父は喜ぶどころか子供じみた〈私〉の行動に、怒りをこめた返事を書いて来たのです。〈私〉の様子を心配していたマーシャは手紙を見ると青ざめました。

「きっと私には運がないんですわ……あなたの御両親は私を家へ入れるのがおいやなんです。すべて神の御心のままに! 私たちがどうしたらいいか、神様の方が私たちよりよく御存知なんです。仕方ありませんわ、ピョートル・アンドレーイチ。せめてあなただけでもおしあわせになって……」――「そんなことってありませんよ!」と私は彼女の手をつかんで叫んだ「あなたはぼくが好きなんでしょう、ぼくはどんなことがあっても大丈夫です。行きましょう、あなたの御両親の足元へひざまずきましょう。お二人ともさっぱりした方で、情のない傲慢な人ではありませんから……お二人とも私たちを祝福してくださるでしょう。私たちは式をあげましょう……それから、時がたてば、きっと父の心もなだめることができるでしょう。母は私たちの味方になってくれるでしょう、父も私たちを許してくれますよ……」――「いいえ、ピョートル・アンドレーイチ」とマーシャは答えた。「あなたの御両親の祝福を受けないでは、あなたとごいっしょにはなりません。御両親の祝福がなければ、あなたもおしあわせになれませんものね。神の御心に従いましょう。もし神の御心にかなうお嫁さんを見つけられたら、もしほかに好きな方が出来たら――ピョートル・アンドレーイチ、神の御加護があなたにもありますように。私はお二人のために……」そこで彼女は泣きだしてしまい、私のそばを離れて行ってしまった。(81~82ページ)


それからというもの、マーシャは〈私〉とほとんど口をきかず、避けるようになってしまい、自然と〈私〉は自分の宿舎で過ごすことが多くなっていったのでした。一七七三年十月、ある知らせが届きます。

それは、故ピョートル三世の御名を語るエメリヤン・プガチョーフというコサックが、反乱を起こした知らせでした。その勢いはすさまじく、他の要塞が陥落し、全将校が縛り首になったことが分かります。

やがて〈私〉たちの要塞にも暴徒が押し寄せ、ミローノフ大尉は縛り首になりました。中尉も吊るされ、いよいよ〈私〉の尋問の番になった時、サヴェーリイチが命乞いをしたために、〈私〉は許されます。

後でサヴェーリイチは、プガチョーフが誰だか分かるか聞きました。

「いいや、分からなかったよ。あれはいったい何者だい?」
「どうしたんですか、旦那様? 宿屋であなた様から皮外套をちょろまかした、あの大酒のみをお忘れなんですか? まったくさらの兎の皮外套のことですよ。それをあいつめ、けだものめは、やっとこさ着こんで、びりびりほころばせおって!」
 私はびっくりした。まったくプガチョーフと私の道案内は驚くほど似ていた。プガチョーフとあの男が同一人物であることが確かめられたので、それで私は、与えられた赦免の理由が理解できた。私は不思議なもろもろの事情のつながりには驚かずにはいられなかった。浮浪人に与えた子供用の皮外套が私を縛り首の縄から救ったり、しがない旅籠を渡り歩いていた大酒飲みが要塞を次々と包囲して、国家をゆり動かしたりしている!(125ページ)


マーシャはなんとか神父の家に隠れることが出来ましたが、もし要塞の司令官であったミローノフ大尉の娘であることがプガチョーフに分かればただではすみません。マーシャを救う方法を考える、〈私〉。

そこでプガチョーフと腹を割って話し、オレンブルグへ行かせてもらうことになりました。ところが、オレンブルグの〈私〉の元に届いたマーシャからの手紙には、思いも寄らぬことが書かれていたのです。

反乱軍に寝返ったシュワーブリンが、今ではベロゴールスカヤ要塞を治めていて、プガチョーフに大尉の娘であることを隠しておく代わりに、結婚を迫られていると。しかも、三日間の猶予しかないのだと。

三日以内に援軍を送り込まなければ、マーシャはシュワーブリンの毒牙にかかってしまいます。ところが将軍は、長い距離の遠征になるから作戦はうまくいかない、今は時機を待つしかないと言うのでした。

絶望にかられた〈私〉。はたして、囚われたマーシャの運命は!?

とまあそんなお話です。引き裂かれてしまった二人の恋の行方も気になるところですがそれは本編で楽しんでいただくことにしまして、プガチョーフについて少し。その人間臭さもこの作品の魅力なのです。

反乱軍の頭首ですし、実際に処刑もさせているわけですから、本来なら冷酷な人間として描かれてもおかしくないはずですが、そういう描かれ方はされていません。温かみさえある、奇妙な人間像なのです。

〈私〉とプガチョーフとの間には不思議な縁があり、それがまた二人の関係性を入り組んだものにしています。あらすじでは紹介しきれないプガチョーフの一風変わった個性にもぜひ注目してみてください。

未知谷の他のロシア文学も読んだので、続けて取り上げたかったのですが、時間の関係上ちょっと難しそうです。記事が欠け次第アップしていこうと思っています。というわけで、しばらくロシア文学です。