山手樹一郎『又四郎行状記』 | 文学どうでしょう

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山手樹一郎『又四郎行状記』(上下、コスミック・時代文庫)を読みました。春陽堂書店「山手樹一郎長編時代小説全集」でも読めます。

山手樹一郎の魅力は『桃太郎侍』の記事でも書きましたが、明るく、ユーモラスな雰囲気の物語であること。腕の立つ主人公の時代ものでありながらたとえ悪人相手でもほとんど殺すということはしません。

一番イメージとして近いであろうものはいわゆる戦隊ヒーローもの。悪人にさらわれるヒロイン、間一髪で助けるヒーローというお馴染みの展開は意外性こそないものの何度読んでもひきつけられるのです。

歴史のダイナミックさを描いた司馬遼太郎とも、武士や市井の人々の生活を通して、生きることの悲哀を描いた藤沢周平とも違い、残酷で扇情的な作品も多い、大衆文学の作家ともまた少し違う山手樹一郎。

今ではあまり読まれていませんが、突き抜けた物語設定の中で魅力的なキャラクターが動く、マンガやライトノベルに近い読みやすさと面白さがある作家なので、機会があればぜひ手にとってみてください。

さて、『桃太郎侍』は若殿にそっくりな浪人者が若殿の身代わりを頼まれ、悪人と対峙するというユニークな設定の物語でしたが、今回紹介する『又四郎行状記』もなかなかに引き込まれる設定の物語です。

物語の主人公は笹井又四郎という腕は立つもののどこかぼんやりしている浪人者。ひょんなことからお艶という深川の芸者に気に入られ、それが縁でとある藩のお家騒動に巻き込まれていくこととなります。

多恵というお姫さまに婿を取ることが決まったのですが、多恵姫ではなく別のお姫さまを立てようと暗躍する動きが起こったんですね。正義感の強い又四郎は、悪事を企む奴らに立ち向かうこととなります。

世間のことはあまりよく知らず、どこかとぼけた雰囲気の又四郎ですが、言動に器の大きさを感じさせることがあるだけに、出会う女性に次々と惚れられていき、ついには多恵姫にまで好かれてしまいます。

しかし、一介の浪人者とお姫さまとでは身分があいません。たとえお姫さまでなくなったとしても又四郎と一緒にいたいと思う多恵姫に次から次へと魔の手が迫って……というはらはらどきどきの物語です。

一応伏せておきますが、この物語の重要な設定は勘のいい読者ならすぐに予想がついてしまうだろうと思います。でもまあそのベタさがいいわけですよ。最後まで安心して読み進められる面白さがあります。

ではここで又四郎のとぼけた魅力を少し紹介しましょう。自分の命を狙う悪人たちに取り囲まれ絶体絶命の危機に陥ってしまった又四郎。普通の時代小説なら剣を抜いて戦うチャンバラの場面ですが……。

「はやまってはいけない。ボーッとしているようでも、いざ斬り合いとなると、わたしはとても強くなるんだ。きっと後悔するよ」
「黙れ、こいつ――」
 さすがにカッとなったのだろう。ガマ豪傑は抜き討ちに、ダッと銅へ斬りつけてきた。ガマの油で居合い抜きをやりつけているから、相当激しい太刀風であるが、とっさに一足さがった又四郎の手からそれより早く、
「エイッ」
 手練の金つぶてが火のように、相手のみけんへ飛んだ。ねらいたがわず重い金包みは、はっしと真みけんへ当たって、紙包みが裂け、ううむとたあいなく目をまわしてのけぞるガマの胸から足もとへ、二十五枚の小判の雨が月にさんぜんと輝きながら飛び散る。
「アッ、小判だ」
 ひとりがびっくりしてわめき、
「おお、小判だ、小判だぞ」
 と、別のひとりがあきれたように目を丸くした。もう闘志などはどこかへすっ飛んでしまったようである。と見たから、
「そうだよ、小判だよ。わたしは逃げるから、遠慮なく拾ってもいいよ」
 又四郎はわらいながらいいすてて、さっさと林のほうへ逃げ出した。(上巻、470~471ページ)


悪人は金で雇われているだけだからとまさかの買収を持ちかけ、お金をばら巻いて逃げる又四郎。ある意味かっこ悪い主人公ですよね。でも本当は強いんですよ。斬りたくないからあえてそうするわけです。

こんな風に、白熱の斬り合いを期待する読者にとっては肩透かしの展開が続く小説ではありますが、誰も傷付けず正しいことをしようとする又四郎独特のテンポは読み進める内に心地いいものに変わります。

それぞれ600ページの上下巻とかなりボリュームがありますし、途中ヒロインが増えすぎることによる、中だるみの感がなきにしもあらずですが、とにかく面白い小説を読みたいという方におすすめです。

作品のあらすじ


「さかだちのお艶ねえさん」として知られる辰巳芸者のお艶。二年前の十八歳の時、若い妓がからまれて困っていました。そこで、ここはニッコリ笑う気晴らしのお席でござんしょうと助けに入ったのです。

お客の旗本は笑ってやるからそこでさかだちをしてみろと無理難題をふっかけて来ました。するとそれを聞くや鮮やかにさかだちをしてみせたお艶。人魚のような妖艶な姿は、大きな話題となったのでした。

それだけ気の強いお艶なので、自慢になる芸ではないからと、それ以来どんな客に頼まれてもさかだちをしてみせることはありません。そうするとかえって見たくなるもので、名の知れた芸者となりました。

お客に人気があるのは勿論、地回りや顔役の間にもお艶を自分のものにしたいと考える者が大勢います。「不死身の熊」と恐れられている無法者もその一人。ある時その「無法熊」に襲われてしまいました。

「気に入ったよ、おらあ。その威勢のいいところをかかあにして、かわいがってやらあな。へへへ、目をつるしあげて、たまらねえ顔をしやあがる」
 そういう女の苦痛を、ほんとうにたのしんでいるように見える無法熊なのだ。
 お艶のしなやかな肩が、豊かな胸が、しだいにあえいでくるのを見て、やじうまはさすがに鳴りをしずめてしまった。今にもお艶は力つきて、ヘナヘナとそこへひざをついてしまうのではあるまいか。と見たとき、その人がきの中から、ツカツカと無法熊の背後へ進みよった男がある。黒もめんの紋付き、小倉のはかま、ちょっと剣客書生とも見える若い侍だ。
「おい――」
 若い侍は、ポンと熊の肩をたたいた。
「だれだッ」
 せっかくの気合いをはずされた熊は、かみつくようにふりかえった。
「婦女子にたわむれてはいかんな。もう許してやりなさい」
(上巻、13~14ページ)


いきりたった無法熊のげんこつをひょいひょいとかわした若い侍。無法熊が体勢を崩して倒れたすきにお艶と逃げ出しました。お艶は自分の長屋へその若い浪人者、笹井又四郎を案内して、お礼を言います。

客慣れたお艶ですが、もめん物を着た丸きりいなか侍でありながら、世間知らずな言動をする又四郎のことは、よく分かりません。澄んだ目の色をしていて、不思議と惹きつけられてしまう感じがあります。

この人なら間夫にしてもいいと思うお艶ですが、そこへいつもお世話になっている磐城屋庄兵衛が頼み事をしにやって来てしまいました。庄兵衛は、ある大名のお家騒動のきっかけを、お艶に話し始めます。

その大名家の先殿は、娘が年頃になったら養子を迎えて家督をゆずってほしいと弟君に頼んで亡くなりました。弟君が承諾したので、誓紙と将軍家から拝領した貞宗の短刀が証として三歳の娘に託されます。

その娘が十八歳になり、今回養子を取る話が持ち上がったのですが、問題は、今の殿さまである弟君にも同じ年のお姫さまがいることで、そちらの姫に養子をとろうという動きが生まれてしまったのでした。

そうした中、先殿の姫に江戸へ来てもらうことが決まりますが「鬼姫」というあだ名がつくくらい素行が悪いという姫なので、世間に通じどんな難題にも困らない才覚と度胸のあるお付きの者が必要です。

そこでお艶に白羽の矢が立ったというわけなのでした。気乗りがしないお艶ですが、話を聞くともなしに聞いていた又四郎が何故か乗り気になって、自分も一緒に行くから、行ってみようと言ったのでした。

その大名内藤家の江戸家老大島刑部(ぎょうぶ)の下で働く用人、谷主水(もんど)は、先殿の娘多恵姫はすでに亡くなったと又四郎に言います。国家老内藤治部右衛門が自分の妾の子とすり替えたのだと。

国家老が悪いやつなら、おまえは悪いやつだと証拠を突きつければいいととぼけたように言う又四郎に、それで納得する相手ではないからお墨付きの誓紙と短刀を取り上げる必要があるのだと説明する主水。

お艶を利用したいと考えている主水らにとってその間夫だという又四郎は煙たい存在なので、幾度となく罠にかけられ、命を狙われる又四郎ですが、その器の大きさで刺客すら自分の仲間にしてしまいます。

警戒されて、お艶がいる一行に近付けなくなった又四郎は、一足先に内藤家の国元へと入りました。あばれ馬が街道を走ってきて、危ないのでわざと往来のまん中に立つと、乗り手の若い娘が馬を止めます。

「すばらしい馬術ですな、お嬢さん」
 又四郎はわらいながら娘を見あげた。紫矢がすりににしき帯を胸高にしめ、その上からもんぺをはいた娘は、なんでひとのじゃまをするのだ、といいたげに半分おこってにらんでいる。十八、九でもあろうか、肉づきゆたかにのびのびとした肢体、汗ばんだ顔を紅潮させて、生き生きとした目鼻だち、フックラと下ぶくれしたおもわに、なんとなく気品がそなわるすばらしい美人だ。
「なぜ、わたくしの馬を、おとめあそばしたのです」
 声もはっきり澄んでいる。はてな、身なりは中どころの侍の娘といった格好だが、案外これが評判の鬼姫さまではないかな、と又四郎はピンと頭へ来たので、
「名人だからお嬢さんはそんな心配もありませんが、馬はあんなに駆けていてころぶとけがをしますからな。かわいそうだと思ったのです」
 と、まじめな顔をして答えてみた。
「いいえ、名人は馬をころばすようなことはしません」
「それはそうでしょうが、ことわざにも、ころばぬ先のつえということがあります」
「ホホホ、馬がつえをついたら、どんな格好になるかしら」
 わらいながら、娘は馬からヒラリとおりた。ひとにくつわをとらせたまま、スッと茶店へはいっていく。
(上巻、150~151ページ)


翌朝、又四郎は国家老内藤治部右衛門の元を訪ね、ご当家さまとお縁組の整いました松平家の若君源三郎さまの命で、多恵姫さまのごきげん伺いと内密で申し上げたいことがあってまいりましたと言います。

治部老人は松平家家臣にしては粗末な身なりで、供もない又四郎を怪しみますが、江戸からやって来るお迎えの使者の一行はお墨付きと短刀を奪うつもりだから気をつけろという又四郎の忠告に頷きました。

国家老の治部老人と「鬼姫」こと多恵姫と直接会ったことで、思っていた通り、江戸家老の大島刑部と谷主水の方が権力を握るために悪だくみをしていると確信した又四郎は多恵姫を守ることを決意します。

国家老を失脚させ、多恵姫を偽者に仕立て上げようと目論む刑部と主水に立ち向かう又四郎。追っ手から逃れるため、貧しい身なりで旅することになった又四郎と多恵姫との間に絆が生まれ始めますが……。

はたして、内藤家のお家騒動は、いかなる結末を迎えることとなるのか? そして次から次へと惚れられる又四郎の恋の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。お艶と多恵姫だけでなく、又四郎に想いを寄せるヒロインはどんどん増えていくんですよ。誰と結ばれるにせよジレンマがあって、そうしたラブコメ的な要素からも目が離せません。

笹井又四郎VS谷主水の構図で物語は進んでいきますが、途中で覆面をした神出鬼没の謎の人物「青鬼」が登場します。一応主水と組んでいるのですが、狙いが分からないジョーカー的な不気味な存在です。

この青鬼がかなり極悪非道なやつで、どんな時でも温厚だった又四郎がついに怒りを見せたほど。内藤家のお家騒動だけでなく、又四郎と青鬼との激しい対立もまた、この作品の大きな見所となっています。

立派な剣の腕を持ちながら争いを好まないとぼけた又四郎、肝が座った芸者お艶、お姫さまらしくない行動的なお姫さま多恵姫など、魅力的なキャラクターが目白押しの物語です。興味を持った方は、ぜひ。