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松本清張『ゼロの焦点』(新潮文庫)を読みました。
松本清張作品で『点と線』や『砂の器』と並んで有名な作品ですね。警察が犯人を追う物語ではなく、夫の失踪の謎を追う新妻の物語なので感情移入がしやすく、長さも適度で、最初の一冊におすすめです。
何度も映像化されていますが、新しいもので言えば2009年に公開された犬童一心監督版があります。広末涼子、中谷美紀、木村多江の共演が大きな話題となりました。映画から入るのもいいと思います。
ゼロの焦点(2枚組) [DVD]/東宝
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ただ、ストーリーは分かりやすいですが、映画は原作に比べて派手になっているというか、時代設定や殺人方法、原作にはない対立関係が描かれているなど色々な部分が強調されすぎている感じはあります。
まあ、作品の舞台の昭和三十三年(一九五八年)を映像で再現しようとすると、時代劇のようにどうしても重い感じになってしまうんですよね。その点小説だと違和感なく入っていけるので読みやすいです。
というわけでどちらかと言えば原作の方がおすすめの『ゼロの焦点』ですが、ミステリーやサスペンスで鉄板と言うべき「失踪」を描いた物語。出かけたきり帰って来ない夫は、どこへ行ってしまったのか?
主人公は、会社勤めをしていた二十六歳の板根禎子。仕事に一生懸命だったこともあって、今まで恋愛はなかなか成就しませんでした。すすめられて結婚したのが、広告会社で働く三十六歳の鵜原憲一です。
自分のことを語らない鵜原には謎めいた部分がありますが、新婚旅行に出かけ一夜を共にしたことで距離が縮まりました。幸せな未来を確信する禎子でしたが、浴室ではっとするような出来事が起こります。
「君は、若い身体をしているんだね」
夫は満足そうに言った。
「いやですわ。そんなこと」
禎子は隅にしりぞいた。
「いや、本当だ。きれいだ」
夫はつけたした。
禎子は、顔をおおいながら、夫は自分の身体と比較しているのであろうかと思った。三十六歳と二十六歳の十歳の開きが気になるのか。が、夫の目にも口調にも、その羨望らしいものは少しもなかった。禎子は、それで初めて気がついた。夫は過去の女の誰かと比較しているのではないか。たしかにそんな言い方であった。夫のそういう過去については、禎子には未知であった。これから夫について未開のことがしだいに溶解してくるに違いないが、その部分だけが一番最後に残るのではないかと思った。(25ページ)
突然失踪した夫を追うということは、同時に今まで知らなかった夫の過去を調べていくということでもあります。幸せな未来の予感を打ち砕かれてしまった禎子は、追跡の果てに一体何を見るのでしょうか。
夫婦に限らず、友達や恋人など長年付き合ってきた相手でも、相手の知らなかった一面に驚かされるということがあります。知られざる過去をテーマにした、考えさせられることの多い作品でもありました。
失踪に関連して起こる連続殺人。少しずつ真相が明かされるスリリングな展開にページをめくる手が止められなくなること請け合いです。
作品のあらすじ
こんな書き出しで始まります。
板根禎子は、秋に、すすめる人があって鵜原憲一と結婚した。
禎子は二十六歳であった。相手の鵜原は三十六歳であった。年齢の組合わせは適切だが、世間的にみると、多少おそい感じがした。
「三十六まで独身だというと、今まで何かあったんじゃないかねえ」
その縁談があったとき、禎子の母は一番、それを気にした。
それはあったかもしれない。三十六までまるきり女との情事がなかったとは言いきれない。まったくなかったと聞かされたら嘘のようだし、男としてかえってひ弱な感じがする。長い間勤めに出ていて、男の働く世界に身を置いてきた禎子はそう思った。
(5ページ)
鵜原は戦争が起こったために大学を中退し、戦争が終わった二年後に中国から戻り、いくつかの職業を経て、六年前からA広告社に勤めていると禎子は聞かされます。今は金沢の地方出張所の主任であると。
禎子の母は金沢が遠いことを気にかけますが、もうすぐ東京の本店勤務になることが決まっていると聞かされます。鵜原と会った禎子は鵜原の抱える複雑さを直感しますが、結婚を承諾し仕事を辞めました。
十一月の半ばに式を挙げて、信州から木曾へまわる新婚旅行に行きます。禎子としては鵜原が仕事をしていた北陸へ行ってみたかったのですが、もっと花やかなところにしようと、鵜原が反対したのでした。
鵜原について知らないことはたくさんありますし、抱えている影のようなものを感じたり、過去の誰かと比較されたと思う瞬間もあったりした禎子ですが、新婚旅行をしたことで距離が縮まった気がします。
東京に帰って十日後のこと。仕事の引き継ぎために金沢に向かう鵜原を禎子は上野駅で見送りました。汽車が見えなくなった時寂しさを感じます。そしてそれが、禎子が見た鵜原の最後の姿だったのでした。
アパートに帰ってみると、憲一から絵はがきが来ていた。色つきの写真は、佐渡のおけさ踊りだった。
「事務引継ぎと挨拶のため、本多君を連れて方々をまわっている。予定よりおそくなるが、十二日には帰れると思う。荷物がそのままで厄介だろうが、僕が帰るまで待ってください」
万年筆で、わりと整った字だった。鵜原憲一の文字を禎子が見たのはこれが最初であった。消印を見ると金沢局になっていた。
荷物が乱雑で厄介だろうが、帰るまで待て、というのは、片づけるなという意味であろうか。女手ひとりでは大変だから、手伝うから帰るまでそのままにしておけ、ということは文意で分かるが、それ以外の意味を、禎子はなんとなく感じた。思い過ごしかもしれなかったが、それはまだ夫をよく知っていない理由から来るように思われた。
禎子は窓によった。相変わらず窓には低いところに東京の町が海のようにひろがっていた。空の部分が多く、町はその空間に圧せられて沈んでいた。(35ページ)
新婚旅行の記憶が薄れ、鵜原との距離がまた開いてしまうように思えた禎子は、何気なく鵜原の本箱を開いてみます。そうして、法律について書かれたらしき洋書の中から、二枚の写真を見つけたのでした。
二枚とも家が写っており、一枚は二階建て洋館の立派な家、もう一枚は北陸地方にあると思しきみすぼらしい民家でした。どうしてこんな写真を持っているのか分かりませんが、なんとなく気にかかります。
予定していた日を過ぎても鵜原が帰って来ないので、禎子は会社に連絡してみましたが、金沢を発ったきり行方が分からなくなっている鵜原のことを会社でも不思議がって、心配していた所だったのでした。
じっとしていられず鵜原を探すために金沢へ向かった禎子は、夫の後任者であり、引き継ぎのために夫と一緒に行動していた本多良雄から色々と話を聞き、消えた夫の手がかりを一緒に探すことになります。
すると、鵜原の金沢での暮らしについて、少しずつ不可解なことが分かって来ました。下宿とされていた場所には半年ほどしか住んでおらず、最近の一年半は、どこで暮らしていたはっきり分からないこと。
夜に金沢を出る上り急行に乗らず、高岡の用事をすませて翌日の朝の汽車にすると言って出かけていったこと。しかしもし本当に高岡に行くならそのまま東京に帰ればよく、金沢に引き返す理由がないこと。
鵜原が自分の意志で姿をくらましたのか、それとも何らかの事件に巻き込まれたのかは分かりませんが、警察へ行ってみた禎子と本多は、身元不明の変死体は発見されていないと聞かされて少し安心します。
やがて、鵜原の兄宗太郎も金沢に駆けつけて、「生きていますよ。あいつは、どこかに、生きていますよ」(159ページ)と言ってくれました。ところが、宗太郎と会った本多は怪訝そうな表情をします。
宗太郎は京都の出張のついでに金沢に寄ったと言い、朝の金沢の町を探索したと言ったのですが、京都から直行で朝着く急行列車は五時五十六分着の一本しかありません。まだ辺りは真っ暗なはずなのです。
禎子も思い出しました。先夜、金沢駅の人込みで宗太郎に似た姿を見たことを。それからも宗太郎の奇妙な行動は続きます。理由は分かりませんが、クリーニング店を回って何かを聞いているようなのです。
本多は「お義兄さんは、鵜原さんの今度の失踪について、ある程度、事情をご存じなんじゃありませんか?」(174ページ)と言いますが、その確証をつかめないまま禎子は東京に戻ることになりました。
東京に戻った禎子に思わぬ知らせが届きます。「鵜原宗太郎さんが、亡くなられました。至急、金沢へおいでこう。金沢警察署」(213ページ)という電報。旅館で青酸カリを飲まされて殺されたのです。
鵜原の失踪を楽観視し、何か事情を知っていたらしき義兄宗太郎が殺された――誰が、一体何のために殺したのか? 不可解な事件の謎に迫ろうとする禎子と本多でしたが、新たな殺人事件が起こって……。
はたして、鵜原の失踪事件に隠された思いがけない真実とは一体!?
とまあそんなお話です。推理小説の中でも失踪を扱った作品は、面白い作品が多いです。「何故、突然姿を消したのか?」は誰もが大いに興味を惹かれる謎だから。それが身近な人の失踪ならば、なおさら。
消えた夫の秘められた過去に迫り、じわりじわりと真相に近付いていく『ゼロの焦点』は数多い失踪ものの中でもとりわけおすすめの、読み応えたっぷりの一冊。興味を持った方はぜひ読んでみてください。