松本清張『砂の器』 | 文学どうでしょう

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松本清張『砂の器』(上下、新潮文庫)を読みました。

松本清張の代表作はなにかという話になるとアリバイ崩しの名作『点と線』と並んで必ず上がって来るのが、今回紹介する『砂の器』。こちらもやはり、名探偵ではなく刑事が足を使って捜査する物語です。

ズバッと名推理を披露するヒーロー的な探偵役は登場しないので、現代のミステリに慣れた読者からすると非常に地味な印象の作品だとは思いますが、じわじわと真相が明らかになっていくのが面白い作品。

『砂の器』で刑事たちが追うのは、首を絞めて殺された五十四五歳の男が顔をめった打ちに殴られ蒲田駅の操車場に放置された殺人事件です。殺される前被害者は駅近くのトリスバーで目撃されていました。

 その二人が越掛けた所は、トイレの入口の扉の横にあるボックスだった。だから、トイレに出入りするたびに、そのボックスのそばを通らなければならない。自然と話の断片が小耳にはいったのである。
「カメダは今も相変わらずでしょうね?」
 被害者の連れは、被害者にそう東北訛りできいた、とバーの女給の一人が話した。
 これは、すみ子だけでなく、もう一人の女給も小耳に挟んでいた。
 つまり、その二人は、しきりと「カメダ」という名前を話題にしていたのである。「カメダ」というのは何だろう。
 係官の間には、これが異常な関心となった。彼らの話のなかで具体的に名前が出たのは、これだけである。(上巻、28ページ)


事件と関わりがあるらしき、被害者の連れの三十歳から四十歳ほどの男は誰なのか。二人が東北訛りで話していた「カメダ」とは一体誰のあるいは何のことなのか。このわずかな手がかりを追っていきます。

どう考えても真相にたどり着きそうもない、このわずかな手がかりを粘り強く追う刑事たちの奮闘を描く物語。思いがけない展開に引き込まれること請け合いの作品なので「カメダ」が気になった方はぜひ。

さて、『砂の器』がこれほどまでに有名なのは、小説が面白いのは勿論、映像化作品がよく知られているからでもあります。原作以上だと言われることもあるのが1974年公開、野村芳太郎監督の映画版。

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原作は上下巻のボリュームなのでかなり省かれていますが、原作の中のある重要な要素にスポットをあてたことで、観客の心に深い印象を残す作品になりました。映画ならではの表現を使っているのも見所。

何度もドラマになっていますが、わりと新しいところでは、2004年に中居正広主演で連続ドラマになりました。ぼくが初めてこの作品を読んだのは、そのドラマがきっかけだったような記憶があります。

野村芳太郎監督版の映画でスポットがあたった要素は色々と難しい問題を孕んでいるものでもあるので、原作とは違う映画版ならではの部分は残しつつも、色々な設定を原作とは大きく変えたドラマでした。

『砂の器』でぼくが好きな部分は刑事たちの執拗な追跡、謎が解かれていくストーリーの面白さもさることながら、共感出来るとまでは言いませんけれど、犯人側のやむにやまれぬ事情が胸に刺さるところ。

やはり映像化作品の多くもそうした部分に着目していて、初めから犯人が明らかな倒叙もの(犯人側から描いたミステリ)やピカレスクもの(悪党を主人公にした物語)に近い雰囲気の作品になっています。

なので、まだ『砂の器』がどんな作品なのか知らないという方は、原作を先に読むといいかも知れません。もっとも謎解き自体が重要な作品でもないので、映画やドラマを見てから原作というのもありです。

作品のあらすじ


五月十二日午前三時。操車場で、蒲田駅発京浜・東北線の始発の準備をしていた検車係の若い男が死体を見つけます。もし気が付かなければ、そのまま始発の車両が死体を轢いてしまっていたところでした。

首を絞められて殺され、顔をめちゃくちゃに潰された、五十四、五歳の男性と思しき死体。死後三、四時間しか経っていないことから駅近くで聞き込みをしてトリスバーで目撃証言を得ることができました。

店に居あわせた人々が証言したのは、被害者とその若い連れは東北弁を使い「カメダ」について話していたということ。捜査員たちは「カメダ」について調べ始めますが、まるで雲をつかむような難題です。

一週間が経っても、亀田という人名だと見て調べていた「カメダ」についてはなにも分からず、被害者の身元も分からないまま。四十五歳の刑事、今西栄太郎は家に帰っても事件のことが頭から離れません。

妻の雑誌をなにげなく手に取ると折り畳み式の全国温泉案内が飛び出しました。それを見て秋田に「羽後亀田」という土地があることを知ります。もしかしたら「カメダ」は地名かも知れないと閃きました。

人口の少ない土地である亀田に問い合わせましたが、被害者のことを知っている者は誰もいません。しかし三十二、三歳ほどの見慣れない工員らしき男がうろうろしていたという情報を聞くことが出来ます。

今西は若い刑事の吉村弘と共に秋田に向かいましたが、謎の男についてはほとんど何も分かりません。落胆しながら帰りの汽車を探そうとすると、駅では数人の若い男を土地の新聞記者が取り囲んでいます。

サインブックを手にしたファンらしき若い女に声をかけて、吉村はそのグループについて聞き出しました。それは、”新しき群れ”を意味する”ヌーボー・グループ”という若き文化人の集まりだったのでした。

作曲家の和賀英良、劇作家の武辺豊一郎、評論家の関川重雄、画家の片沢睦郎。ロケット研究所を見学しに来たのです。今西は、新聞記事で度々、”ヌーボー・グループ”の活躍を目にするようになりました。

新しい展望が見えたかと思えばすぐに壁にぶつかり、蒲田駅の殺人事件はなかなか解決の糸口が見つかりません。今西には、いくつか気になっていたことがありました。まず顔をつぶすという残虐な殺し方。

一体どんな恨みがあってそんな殺し方をしたのでしょうか。また当然ながら相当な返り血を浴びているはずですが、その血まみれの服を、犯人は一体どうしたのでしょう。隠したのか、それとも捨てたのか。

ある時、週刊誌を読んでいた今西は、ふとその中の随筆に目を止めます。筆者は五月に汽車に乗った時の不思議な体験を書いていました。若い女が列車の窓を開け、細かな紙片を少しずつ外へ捨てていたと。

まるで芥川龍之介の短編「蜜柑」のような文学的興趣を誘われたというのが随筆の趣旨でしたが、今西ははっと気が付きます。もしかしたらこれは、蒲田駅の殺人事件と大きな繋がりがあるのではないかと。

随筆の作者から詳しい話を聞いた今西は、若い女が紙片を巻いていたという現場付近に行き、熱い直射日光の下、その紙片がどこかに残っていないか必死で探し続けます。もう諦めようとしたその時でした。

 小さな、うす汚れたような茶色っぽいものが、草むらの中に、二、三片ひっかかるようにこぼれていた。
 今西は腰をかがめた。ていねいに、指をその紙片の端にかけて拾い上げた。
 目に近づけて調べたとき、今西の胸は鞭を入れたように激しく鳴りはじめた。
(あった!)
 それは、ほぼ三センチ近くの布片だった。変色しているが、あきらかに木綿らしいシャツの布地なのだ。
 雨と日数の経過とで、それはうす黒く変色しているのだが、その上にほんのわずかだが、茶褐色の絵具を染ませたような斑点があった。
 今西はもう一枚を拾った。これは、茶褐色の部分がもっと大きく、ほとんど半分近くを占めていた。
 彼は次々に拾った。全部で六枚あった。
 いずれも、布地はうす黒くなっているが、茶褐色の色の部分の大きさは、さまざまである。
 今西は、持っていた煙草の空箱の中に採集品をていねいに入れて蓋をした。
(あった。あった。あった!)
 今西は、呟きを夢中でつづけた。
 今までの苦しさがいっぺんに吹き飛んだ。
(上巻、366~367ページ)


集めた小さな布からは、蒲田駅殺人事件の被害者の血液と同じ型の血痕が検出されました。今西が閃いた通り、犯行の時に返り血をあびた服を細かく切り汽車の窓から捨てたものと見て間違いないようです。

女を見つけ、その女から話を聞けば事件の犯人にたどり着くと思った今西でしたが、その女らしき前衛劇団の事務員、成瀬リエ子は遺書めいた日記を残し、睡眠薬を大量に飲んで自殺してしまったのでした。

成瀬リエ子がつきあっていた男を探していた今西は成瀬と親しかったという劇団員の宮田那郎から話を聞こうとします。しかし色んなことに心当たりがあるという宮田は二、三日時間が欲しいと言いました。

今西はやむをえず了承しましたが、待ち合わせの日、宮田は姿を現しません。待ち合わせ場所でねばりにねばり、ようやく諦めて帰った今西にもたらされたのは宮田が心臓発作で死んだという知らせで……。

真相に近付く度に増えていく死体。今西ら刑事たちは「カメダ」の言葉に隠された謎を解き、事件の全貌を解明することが出来るのか!?

とまあそんなお話です。今西らの捜査と並行して、新しい芸術を築こうとする”ヌーボー・グループ”のことも描かれていきます。全く関係がないように見える二つの筋は、どのように結びつくのでしょうか。

推理小説として読むには、あまりにも偶然的な出来事が多かったり、当然のことながら現代的な科学捜査ではなかったりと物足りない部分があるかも知れませんが、人間ドラマとしてとても面白い作品です。

有名な作品なだけにかえって読んでいなかったり、映画やドラマだけ見て、原作はまだ読んだことがなかったりする方も多いだろうと思います。地味ながら引き込まれる作品なので、興味を持った方はぜひ。