山手樹一郎『桃太郎侍』 | 文学どうでしょう

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山手樹一郎『桃太郎侍』(全二巻、嶋中文庫)を読みました。嶋中文庫は絶版なので春陽堂書店「山手樹一郎長編時代小説全集」でぜひ。

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大衆文学の嚆矢(こうし。始まりのこと)とも言われる中里介山『大菩薩峠』の主人公、机龍之助を筆頭に林不忘の丹下左膳や柴田錬三郎の眠狂四郎など大衆文学で目立つのはやはりニヒルで異形の主人公。

ニヒルという言葉自体、今ではあまり使わなくなっているように思いますが、虚無的な雰囲気のことです。静かで、何を考えているか分からず、どことなくダーク(悪の側)な匂いも感じさせる主人公たち。

圧倒的な強さを持つ分、どこか性質的にねじ曲がっているところがあるというのが、ニヒルで異形の主人公の系譜の、大きな特徴となります。今回紹介するのもそうしたニヒルな主人公……ではありません。

むしろそれとは正反対の、とことんまで明るいまっすぐな主人公なんです。少年マンガなどではありふれたキャラクター設定ですけれど、暗さを感じさせないユーモラスな主人公像はある意味で斬新でした。

司馬遼太郎の歴史小説や藤沢周平の時代小説は人気ですが、物語性の強い大衆文学は、あまり読まれない傾向にあって、残念ながら山手樹一郎も、今ではほとんど読まれていない作家ではないかと思います。

ですが、「物語性の強い大衆文学」は、こう言いかえることが出来ます。「マンガ的」或いは「ラノベ的」な面白さがあると。テーマの深さはともかくストーリーやキャラクターがとにかく魅力的なのです。

むむむと眉根を寄せて、哲学的な考えにひたりたい方には向きませんが、「とにかく面白い小説が読みたい!」という方に、山手樹一郎の小説は自信を持っておすすめ出来ます。特に代表作の『桃太郎侍』。

ザ・ヒロインとも言うべき女性が登場し、敵に捕まるものの主人公が危機一髪で助けるというお約束の展開はベタで、読んでいてはらはらはしませんが、やはり思わずにやりとさせられる痛快さがあります。

数多く映像化されている中でも、高橋英樹主演のテレビドラマ版が有名な『桃太郎侍』ですが、市井の出来事が中心となるドラマ版と比べて、原作はお家騒動に巻き込まれるという、なかなかに壮大なお話。

腕は立つものの名前を隠し「桃太郎」と名乗って長屋でひっそりと暮らす主人公は、毒殺されそうになった若殿様とそっくりであることが分かったことから身代わりを依頼されて……というストーリーです。

19世紀イギリスの冒険小説の古典、アンソニー・ホープの『ゼンダ城の虜』からお馴染みの、今でもわりとよく見かけるパターンの物語ながら、設定を聞いただけで、わくわくさせられてしまいますよね。

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ドラマのような決め台詞もありませんし、また、アクション自体意外と少ないのが原作の『桃太郎侍』なのですが、複雑な境遇に生まれながら明るさを失わない桃太郎の人間的大きさがとても魅力的でした。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

(おや――)
 担ぎ呉服の伊之助は目をみはった。暮れやすい秋の西日が、まだ冷んやりと片側に明るい浅草蔵前通りを着流しに雪駄ばき、卑しからぬ若い浪人が両国の方へ歩いている。
(たしかに八、九十両、ひょっとしたら百両か――)
(一巻、5ページ)


今では足を洗っているもののかつて泥棒をしていたことがあり、その身の軽さから猿之助で通っている伊之助は、浪人が身にあわぬ大金を懐に歩いているのを見かけなんとなく気になってしまったのでした。

案の定浪人の懐に目をつけたらしき小粋な女が浪人のあとをつけ始めます。どうやら、女スリのようでした。伊之助がやきもきしていると、以前その女スリにやられたことがあるらしき侍がやって来ます。

侍二人と女スリが揉め始めたので、カモの浪人は逃げられると、伊之助がほっと一息ついていると、浪人は「いいかげんに許しておやんなさい。若い女一人を可哀そうではないか」と助けに入ったのでした。

名前をきかれて「桃から生れた桃太郎」だと答えた浪人。侍二人は愚弄されたと怒りますが、人が集まって来てしまったので、逃げていきます。助けられた女スリはお礼がしたいと桃太郎を家に招きました。

踊りの師匠をしている坂東小鈴と名乗った女スリは、手練手管で桃太郎を酔い潰し、懐の大金を奪おうと目論んだはいいものの、あろうことか色仕掛けが全く通じず、そのまま桃太郎に帰られてしまいます。

相手にされなかったことが、かえって小鈴の心に火をつける結果に。桃太郎のことを忘れられなくなった小鈴はなんとかして桃太郎を自分に夢中にさせようとあの手この手を使ってくることとなるのでした。

一方、桃太郎の度胸や立ち振る舞いがすっかり気に入ってしまった伊之助は、桃太郎が行くあてのない天涯孤独の身の上だと知って、自分が暮らしている、浅草聖天裏にある、通称お化長屋に招き入れます。

長屋の揉め事を解決した桃太郎は長屋の人気者となり寺子屋のようにして、子供たちを集め勉強を教える、穏やかな日を送り始めました。

そんなある日のこと。十八、九ほどの、「雪なす白さに薄桜の紅をほんのりうつしたかと、匂うばかりの高雅な美しさ」の娘が十人ほどの覆面の武士たちに襲われているのを見かけます。助けに入る桃太郎。

「無用の腕立て、後悔するなッ」
 中央正面の覆面が威嚇するようにわめいた。
 こやつが大将らしい。
(中略)
「お女中、これをお取りなさい」
 大胆不敵、その一瞬の隙に桃太郎侍は左手に小刀を鞘ごと抜き取って、後ろざまに差し出した。
「拝借いたします」
 落ち着いた返事である。声の様子で、――これなら大丈夫多少は武術の心得もあるらしいと察したから、
「どうした追剥ども、目ばかり光らしておらんで、こぬかッ」
 小馬鹿にしたような挑戦の嘲罵を飛ばした。
「うぬッ」
 短気なのが、堪りかねて左からたっと斬り込んで来る。右足を退いて半身にかわし、前へ流れて来る胴へ抜き討ちに、
「えい」
 無論峰打ちだが、わあッとのめって行くのと、その体の崩れへ正面から一人敵が斬り込んできたのと同時、
「とうッ」
「えい」
 桃太郎の返す一刀が、流星となってわずかに速く、敵の剣を力一杯はね上げたので、ちゃりん、火花が散って刀が飛ぶ。
「こん度来る奴は遠慮なく叩ッ斬るぞ」
(一巻、113~116ページ)


助けられた娘百合は、桃太郎の顔を見て驚いたことを謝ります。知らせを受けてかけつけた百合の父、神島伊織もまた桃太郎の顔を見て一瞬顔色を変えたのでした。桃太郎は何故だろうと不思議に思います。

しかし、伊織が若木讃岐守の江戸家老と名乗ると、今度は桃太郎が愕然とし、二人が驚いた理由に思い当たったのでした。桃太郎は最近母を亡くしましたが、その時思いがけないことを聞かされていたから。

やがて、桃太郎は伊織から、「実は勝手ながら差し迫ってのお家の大事、御身を武士と見込んでお願いしたい儀がござる。御助力下さるまいか」と頼み事をされます。若木家はお家騒動の渦中にあるのだと。

若殿新之助をのぞこうという動きがあり、毒を飲まされた新之助は重態に。敵の勢力を押さえるため、不思議と新之助と瓜二つである桃太郎にしばらくの間、若殿の身代わりをしてもらいたいと言うのです。

老人の心意気に打たれ、また数奇な運命を感じた桃太郎は伊織の頼みを引き受け、男装した百合を従え若殿のふりをすることとなります。

一方、なんだかんだとはぐらかされてはいるものの、桃太郎を慕い続け、桃太郎からも悪く思われてはいない小鈴は、正しい側だと信じて、若木家お家騒動の桃太郎の敵方についてしまうこととなり……。

はたして、桃太郎は若殿の替え玉という前代未聞の役割を演じ切ることが出来るのか? そして、若木家のお家騒動の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。数奇な人生を歩むこととなった、名を隠して生きる浪人桃太郎と、まっすぐで明るい桃太郎を慕う百合と小鈴の物語です。紹介できませんでしたが、敵役も、なかなかすごいですよ。

浪人が若殿のふりをするという、ストーリーが抜群に面白い作品ですが、庶民の暮らしにはうとい武家の娘百合や、世間ずれしている女スリながら恋愛面ではうぶな小鈴などキャラクターがとにかく魅力的。

正反対の性格のヒロインは桃太郎と結ばれるためにはそれぞれジレンマが生じる設定になっていて、お家騒動はもちろんのこと、そうしたラブコメ的な要素でも読者を楽しませてくれる作品になっています。

テレビドラマで有名なだけに、タイトルはみなさんご存知だと思いますが、意外と読まれていない作品なので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。ベタながらそのベタさがいい痛快大衆文学です。

また間が空きますが次回は松本清張『砂の器』を紹介する予定です。