ホレイショ・アルジャー『ぼろ着のディック』 | 文学どうでしょう

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ぼろ着のディック (アメリカ古典大衆小説コレクション)/松柏社

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ホレイショ・アルジャー(畔柳和代訳)『ぼろ着のディック』(松柏社)を読みました。「アメリカ古典大衆小説コレクション」の一冊。

ルー・ウォレスの『ベン・ハー』を紹介した時に少し触れましたが、19世紀アメリカには「ダイム・ノヴェル(十セント小説)」と呼ばれるものがありました。安くて面白くて、とにかく売れた大衆小説。

そうした「ダイム・ノヴェル」が中心の選集が「アメリカ古典大衆小説コレクション」です。ボリュームがものすごい巻がいくつかあるので一気には無理ですが、少しずつ紹介していきたいと思っています。

これは日本でもまったく同じことが言えるのですが、大衆小説というのはいわゆる文学史に残らないんですよ。なので、その時は爆発的に読まれていても、どんどん忘れられていってしまう運命にあります。

どうしてそういうことが起こるかというと大衆小説はよくも悪くも単純な構造をしているから。魅力的なキャラクター、シンプルなストーリーの小説であり、読んでいて、難解さを感じることはありません。

大衆小説の魅力を語ろうとすると不思議なほどマンガやライトノベルの魅力を語る時と似た言い方になることに気付かされます。このキャラクターがいいとか、このエピソードがいいとか、そういう感じで。

一方で、現実を克明に写し出したり、あるいは言語芸術の限界に挑戦したりする純文学の場合は、キャラクターやエピソードについて語られることはあまりなく、文章表現や作品のテーマで語られますよね。

また、純文学は大衆文学とは違って誰も読めないような、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』やジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』など、難解であればあるほど認められる傾向にあります。

キャラクターやストーリーの面白い大衆小説を好むか、それとも文学史に残っていて、文章やテーマが興味深い純文学を好むか、それはみなさん次第ですが、もし大衆小説に興味を持ったらぜひこの選集を。

さて、というわけで今回紹介するのは今の日本では全然知名度がないものの当時のアメリカでとにかく爆発的に売れた一冊。それほど爆発的に売れた作品が面白くないわけがなく、夢中になって読みました。

主人公は14歳の少年ディック。3歳で母親が亡くなり、船乗りの父親は航海に出たきり消息不明。面倒を見てくれた下宿先のおばさんも亡くなり、7歳でニューヨークの路上に放り出されてしまいました。

どうにかして食べていかなければなりませんから、靴みがきを始めます。そうしてなんとか生き延びたディックは、賭け事をしたり葉巻を吸ったりするものの、盗みはしない正義感の強い少年に育ちました。

ある時、自分に親切にしてくれた裕福な少年フランクと出会ったことで、ディックは自分の人生を見つめ直し始めます。そうして、まっとうな人間になるためにお金を貯め、一生懸命に勉強をし始めて……。

もうこのキャラクター設定とストーリーを聞いただけで面白くないわけがないと分かってもらえるだろうと思います。どんな人間でも夢と情熱があれば願いを叶えられるというアメリカン・ドリームの物語。

ディックが魅力的なキャラクターで、品行方正とは程遠いのですがその代わりどんな悪党を前にしても一歩もひかずへらず口で窮地を脱します。まさに「心正しきワル」という感じの憎めない少年なんです。

その日に稼いだものはその日に使ってしまう生活、文字もろくに読めなかった少年はどのように変わっていくのでしょうか。とにかく面白い小説が読みたいという方に自信を持っておすすめ出来る一冊です。

作品のあらすじ


体にあわないぼろぼろのコート、着たきりのシャツ、何ヵ所も破れたズボンを身につけているディックは近くの会社でポーターとして働く男に起こされて、木箱の中で目を覚ましました。一時間の寝坊です。

それというのも昨晩は演劇を見に行って夜更かししてしまったから。たくさん稼げた時に劇場に行くのがディックの大きな楽しみでした。

今はもう一文無し。朝ごはんを食べるためには一稼ぎしなければなりません。早速道行く人に声をかけ、靴磨きの仕事を始めますが、釣り銭がないというお客がいたので崩れたら届けにいく約束をしました。

朝ごはんを食べ、釣り銭をめぐるちょっとしたトラブルを乗り越えたディックは50歳ほどの紳士と13、4歳ほどの少年と出会います。

少年はニューヨークへ初めて来たのですが、伯父さんにあたる紳士は仕事で少年に付き添えず、かと言って、一人で見知らぬ街をうろうろさせるのは気が進まないのでした。ディックはガイドを申し出ます。

ディックのことを気に入った紳士ホイットニー氏と少年フランクは申し出を受け、そのぼろぼろの格好はいくらなんでもかわいそうだと、寄宿学校に行く途中だったフランクの荷物からスーツをくれました。

体を洗い、身なりのいい格好をするとディックは、靴磨きの友達が気付かないほど輝いて見えましたが、身なりのいい二人の少年はニューヨークの悪党たちからするといいカモ以外の何ものでもありません。

たとえば、大金の入った財布を拾ったが急いで列車に乗らなければならないから、いくらかくれたらこの財布を渡す、届け出れば落とし主から謝礼をもらえるはずだという男が現れ、フランクは騙されます。

しかし今はいい身なりですが、ディックは路地で行われていることなら裏の裏まで知り尽くす海千山千の少年。財布の中身が偽札であることに気付き、自分も偽札をつかませて、財布をまきあげたのでした。

フランクはディックに、その内自分の家に泊まりに来てと言います。

「本気かい?」ディックが信じていない様子で訊ねた。
「もちろんだよ。本気じゃいけない?」
「靴磨きを招いたって知ったら、家の人たちはなんて言うだろう?」
「靴磨きだっていいんだよ、ディック」
「俺、上流社会にはなじみがないから」とディックが言った。「行儀がわかんないよ」
「そしたら、僕が教えてあげるよ。一生靴を磨くわけじゃないんだし」
「うん」とディックは言った。「九十になったら辞めるつもりだ」
「その前に辞めてほしいな」とフランクがほほえみながら言った。
「ほかの仕事につければって本当に思ってるんだ」とディックは真顔で言った。「事務所の見習いになって、仕事を覚えて、まっとうな大人になりたいんだ」
「勤め口がないか、探してみたらどうなの、ディック」
「誰がぼろ着のディックを雇う?」(47ページ)


今まで周りから罵倒され、行く末は絞首台だと言われるばかりだったディックは「有名人の多くが昔は貧しい子だったんだ。希望はあるよ、ディック。努力さえすれば」(50ページ)と言われ驚きます。

初めて、自分のことを気にかけてくれるフランクという友人が出来たディックは心を入れ替え生活を改めることを決意したのでした。手紙を交わす約束をしてフランクはコネチカットの寄宿学校へ行きます。

宿なしだったディックは週七十五セントの下宿を借り、銀行口座を作りました。稼いだお金は今まですべて観劇や賭けごとに使ってしまっていましたが、これからは将来のために少しずつ貯めていくのです。

しかし今までとは違った格好をし、生活を改めたディックのことが気に入らない者もいました。この辺りのボスの少年ミッキー・マグワイアもその一人。ミッキーはディックになにかと嫌がらせを始めます。

嫌なこともありましたがいいこともありました。正直にお釣りを届けにいったことでグレイソン氏に見込まれ日曜学校を紹介してもらえたこと。グレイソン氏は、なにかと目をかけてくれるようになります。

 おいディックよ、と我らがヒーローは事務所から去るとき、自分に語りかけた。お前さん、世の中を上ってるぞ。金は投資してるし、これからは教会にも行く、それも特別ご招待で、五番街だ。家に帰ったら市長からの案内状が待ってても驚きゃしないね。ほかの高名なお客さまと一緒に晩餐会へご列席いただく光栄をたまわりたいってね。
 ディックは上機嫌だった。それまで暮らしてきた世界から浮上して、立派さという新たな気圏に入ったようで、その変化がたいへん心地よかった。
 六時にディックはチャタム通りにあるレストランへ行き、満足のいく夕食をとった。昼間に商売が大繁盛したおかげで、夕食代を払っても九十セント余った。ばくばく食べていると、彼より小柄で細い少年が店に入り、隣に座った。ディックが見覚えのある子で、三か月前に靴磨きになったが臆病な性分で稼ぎの少ない子だった。
(119~122ページ)


騎士道精神を持つディックはろくにご飯も食べられないその少年フォズディックに夕飯をおごってやります。印刷工の父親が死ぬまでは、ちゃんとした暮らしをし学校へ行っていた12歳のフォズディック。

そこでディックはフォズディックから文字や様々な学問を教えてもらうかわりに自分の下宿先に居候させてやることにしました。もっと立派な職につくために、二人は助け合いながらお金を貯めていきます。

仕事と勉強に熱心に取り組み見苦しくない格好ができる程度には貯金し、ある程度読み書きが出来るようになったディック。二人の未来に明るい兆しが見え始めましたが、銀行の通帳を盗まれてしまい……。

はたして窮地に追いやられたディックとフォズディックの運命は!?

とまあそんなお話です。どんな逆境にあっても目標に向かって努力を続けるディックの姿には思わず胸を熱くさせられます。身なりはぼろぼろで生活は貧しくとも、まさにヒーローと言うべき存在ディック。

シンプルでベタなストーリーなだけに予想外の展開というのはありませんが、まあ大衆小説の場合はかえってそれがいいわけですよ。こうなるだろうなという感動ポイントがしっかり押さえられている作品。

少し古い時代のニューヨークが舞台のアメリカン・ドリーム物語。とにかく面白い小説が読みたいという方は、手に取ってみてください。

次回も「アメリカ古典大衆小説コレクション」から、T・S・アーサー『酒場での十夜』を紹介する予定です。