ジョイス・キャロル・オーツ『二つ、三ついいわすれたこと』 | 文学どうでしょう

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二つ、三ついいわすれたこと (STAMP BOOKS)/岩波書店

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ジョイス・キャロル・オーツ(神戸万知訳)『二つ、三ついいわすれたこと』(岩波書店)を読みました。「10代からの海外文学 STAMP BOOKS」の一冊です。

カナダの作家アリス・マンローが受賞した昨年のノーベル文学賞で村上春樹と共に有力候補と目されていたのがジョイス・キャロル・オーツ。ヤングアダルト小説に限らず活躍しているアメリカの作家です。

中学生、高校生を読者対象にしたヤングアダルト小説であることを意識した作品というのは大体展開や物語の着地点は決まっているもの。

スタジオジブリのアニメ映画『魔女の宅急便』の糸井重里のコピーを借りれば、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」という物語が多いわけですよ。悩んだりもしたけどがんばっていくという。

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ところが、今回紹介する『二つ、三ついいわすれたこと』は、現代社会における家族の問題や複雑な友人関係、恋愛の悩みを盛り込みながらも、ヤングアダルト小説の類型的な作品になっていかないんです。

物語で描かれる現実があまりに痛々しくてシビアなものなので、もうむしろヤングアダルト層にはおすすめでないような気もしたぐらい。

物語の舞台はクエーカー・ハイツ高校。ある時元天才子役のカトリーナ・トラウマーが転校して来ました。自ら「ティンク」と名乗って、真顔でジョークだか侮辱だか分からないことを言う、変わり者です。

数少ない友人たちがティンクと一緒に過ごしますが、他人に心を開こうとしないティンクは、ある時突然、姿を消してしまったのでした。

 だから、ティンクがなにをしようとしていたのか、だれも知らなかった。
 そのため、だれもティンクを止められなかった。ティンクを何度もどなりつけ、「なにばかいってんの、ティンク、友だちじゃない!」といえなかった。
 だれも、ティンクを裏切って、ビッグ・ママに告げ口できなかった。ましてや、教師のだれにも相談すらできなかった。
 まちがいなく、ティンクは入念に計画を立てて、行動をおこした。なにをするときも、とりわけ想像力を駆使する場合は、ティンクは慎重に計画して、運にまかせるようなことはほとんどしなかった。
 そして、事実はこうだ。ティンクは、十七歳の誕生日である二〇一一年六月十一日に「●くなった」(メリッサは、こんなおそろしいことばを思いうかべるだけでいやだったし、ましてや口に出していうことはありえなかった)とクエーカー・ハイツ高校は発表した。
 「●くなった」と発表があった朝、「ビッグ・ママ」こと、ティンクの母親ヴェロニカ・トラウマーは何千キロも離れたロサンゼルスにいた。
 ベッドで息が止まってぐったりしているところをトラウマー家の家政婦が発見し、救急車でクエーカー・ハイツ医療センターに救急搬送され、「●くなった」と診断された。(43ページ)


他の誰とも違う輝く個性を持ち、鮮やかに自分たちの前から姿を消したティンク。残された友人たちはいつもティンクのことを考えます。

成績優秀で美しく「ミス・パーフェクト」と呼ばれるメリッサ・カーマイケルはブラウン大学に合格し、演劇部では主役を手にするなどすべてうまくいっていましたが、ひそかに自傷行為に走っていました。

誰からも愛されたいと思うが故に馬鹿にされているナディア・スティリンガーはティンクに導かれるように学校の先生へ思いを伝える行動を起こしますが、それはやがて大きな問題へと発展してしまいます。

ティンクを失ったことで死が身近なものとなり、ティンクのいる世界へ引き寄せられるように、危うく揺れ動くメリッサとナディア。青春時代特有の、ナイーヴで傷つきやすい心が巧みに描かれた物語です。

作品のあらすじ


私立クエーカー・ハイツ高校に通うメリッサは成績優秀で、学校アルバムの編集委員、演劇部部長、女子学内フィールド・ホッケー副キャプテンをつとめています。ブラウン大学の早期合格が決まりました。

さらに、演劇部顧問のトロッキ先生から、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』の劇のエリザベス・ベネット役に選ばれたと伝えられて、会う人会う人におめでとうと言われ通しの最高の一週間でした。

バスルームに閉じこもったことで、メリッサは一人きりになれます。

 母親があとをついてきていないか、耳をすませる――だいじょうぶなようだ。
 そして、部屋とつながっている小さなバスルームに入り、ふるえる手で――期待と興奮でふるえていたのだ!――洗面台の横の引き出しをあけ、よく切れる小さな果物ナイフをつかみ、取りだすと、刃の先端を手首の内側に押しつけた。その辺りの肌は白くて薄く、血管が青く見えていた。「わたしにはできる。だれにも、止められない」
 メリッサの声は、満足げでうれしそうだった。朗報ばかりの一週間ずっと、だれもメリッサにこんな声では話しかけなかった。
 「ミス・パーフェクト」ティンクは、メリッサ・カーマイケルをそういってからかった。
 けれど、ティンクでさえも、このことについては知らなかった。
 洗面台の上の鏡に、青白く輝く顔が見える。大きく見ひらいた目は憂うつで、荒々しい光を放っていた。
 こんな(秘密の)瞬間、メリッサは自分自身を見るのをがまんできた。
 というより、鏡に映っているのはメリッサ自身ではなく、別人――生と死を司る(秘密の)力を手中におさめた、赤の他人だった。(29~30ページ)


腹の上部にあるかさぶたになっている傷を果物ナイフの先でつつくと痛みがさっと広がり、メリッサは言い知れぬ幸せを感じたのでした。

メリッサがエリートの仲間入りを決めたことで父親のモーガン・マイケルも喜んでくれます。父親が自分と母親を愛してくれさえすれば、ティンクに起きたことは、自分には起きないだろうと思うメリッサ。

しかし父親が家を出て川沿いのコンドミニアムで暮らすことが決まってしまいます。「単なる試験的な別居」でありメリッサには責任がないということですが、重なった朗報もすべて無駄に思えるのでした。

メリッサは、「芝居は、洒落が利いて、おもしろいけれど、だれがだれと結婚するかだなんて、ちょっとばかげています。うっとうしいです」(80ページ)と、トロッキ先生に役を降りたいと申し出ます。

学校では何故か友達のナディアを「尻軽」呼ばわりしたショートメールが飛び交いますが、ティンクを助けられず、自分すら助けられないのだからどうしようもないと、メリッサは関わらなかったのでした。

やがて、メリッサの父親が家を出たことが、噂になってしまい……。

ナディアはいつもティンクのことを考えていました。迷っていると、「やっちゃいなよ、ナディア!」(205ページ)と言ってくれたティンク。ナディアの今の悩みは、ケスラー先生への贈り物でした。

初めて会った時からケスラー先生のことが好きになったナディアは、誕生日に素敵な贈り物をしたいと思うようになったのです。そうすればきっと、自分のとても激しく深い気持ちを知ってくれるだろうと。

ナディアの頭の中では時おりティンクの声がすることがありました。

 ナディアの頭の中で、こういったのはティンクだった。ときどき、頭からティンクがいなくなってほしいと思ったが、でもそのあとで、母親が消えたときのような、ひどい孤独感におそわれる。ティンクのことを、どうしてもナディアはあきらめきれなかった。
 そして、ティンクも、絶対に自分から離れていかないと約束してくれた。
 実際に口に出していったわけではないかもしれない。ティンクは、感傷にひたるタイプではなかったからだ。しかし、ふたりのあいだではそう理解しあっていた、とナディアにはわかっていた。
 今、ナディアは少し気分が悪かった。嵐で海が荒れ、いそいで陸に向かっているようだった。
 とにかく、頭が働かなかった。ティンクが●くなってから、ずっとだ。ときどき怒りくるったスズメバチのブンブンいう音がひびいて、考えられないとジェイソン先生に説明したかった。
(227ページ)


ケスラー先生への素敵なプレゼントを思いついたナディアはすぐに返してくれるだろうと継母のおしゃれなトートバッグに入れてこっそりケスラー先生の車の後部座席に置いてくることにしたのですが……。

はたして次第に追い詰められていくメリッサとナディアの運命は!?

とまあそんなお話です。家族や恋愛の問題など、元々悩みはあったものの、誰とも違っていたティンクが突然いなくなったことが引き金となって、メリッサとナディアのそれぞれの人生は大きく変わります。

お互いに助けあえたらいいのでしょうが、自分をなんとかこの世界に適応させようとすることだけでも大変なので、ある意味ではとても対照的なメリッサとナディアは、一人で問題を抱え込んでしまいます。

どんどん泥沼にはまっていくメリッサとナディア。二人を待ち受ける出来事から目が離せなくなる物語でした。シビアな現実が描かれるだけに、読んでいて辛い部分も多いですが、その分心動かされる作品。

ヤングアダルト小説らしからぬ独特の雰囲気を持つ一冊です。考えさせられる部分が多いので興味を持った方はぜひ読んでみてください。

次回も「STAMP BOOKS」から、マイケル・ウィリアムズ『路上のストライカー』を紹介する予定です。