アレックス・シアラー『青空のむこう』 | 文学どうでしょう

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青空のむこう/求龍堂

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アレックス・シアラー(金原瑞人訳)『青空のむこう』(求龍堂)を読みました。

ヤングアダルト(中学生、高校生向け)小説の作家で有名なのが、アレックス・シアラー。その次がルイス・サッカー(『』など)、デヴィッド・アーモンド(『肩甲骨は翼のなごり』など)でしょうか。

「ヤングアダルト」という概念が定着したのが、まだわりと新しく、児童文学作家は多くても、ヤングアダルトの作家と呼ばれる人は意外と少ないということもありますが、それにしてもシアラーは大人気。

以前紹介した、チョコレートが禁止されてしまった世界を描く『チョコレート・アンダーグラウンド』はベストセラーになりマンガ化やアニメ化もされました。子供から大人まで楽しめる作品なので、ぜひ。

チョコレート・アンダーグラウンド/求龍堂

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今や押しも押されぬYA界のベストセラー作家となったシアラーですが、意外にも日本では2002年まで翻訳がなかったんです。初めて翻訳されたのが、今回紹介する『青空のむこう』という作品でした。

出版社は求龍堂。求龍堂は本来美術、芸術の書籍を専門に出版している出版社で『青空のむこう』は次回紹介するオグ・マンディーノ『十二番目の天使』と共に海外文芸の出版に乗り出したばかりの頃の本。

十二番目の天使/求龍堂

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つまり『青空のむこう』が出版された2002年の状況がどうだったかというと、全く知られていない作家の作品が、文芸の世界では無名の出版社によって出版されたという逆風だらけの状況だったのです。

それが異例のベストセラーとなったのは、ひとえに本の内容が読者の心をつかみ、口コミなどで話題が広がっていったからなのでしょう。

『青空のむこう』は交通事故で死んでしまった少年ハリー・デクランドの物語。心残りがあってまだ〈彼方の青い世界〉に行けないハリーは〈死者の国〉からわずかの間、こっそりこの世に帰って来て……。

とにかくど直球の小説で、予測した通りの展開になっていく、全く驚きのない作品なのですが、そのあまりのど直球ぶりにかえって心をどすんどすん打たれて思わずぽろぽろ泣いてしまうこと請け合いです。

近頃なんだかあんまり感動したことがないなあという方はぜひ『青空のむこう』を手に取ってみてください。幽霊となったハリーのわくわくどきどきの冒険が面白く、読後は静かな感動に包まれる一冊です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 人はみんな、死んだらあとは楽になるだろうって思うらしい。だけど、絶対そんなことはない。
 まず大人たちが次々にやってきて、こう聞く。
「おいおい、小さいのにひとりきりなんだな。お母さんを探してるのかい?」
 だから答える。
「ううん、ママはまだ生きてる。ぼくが先に死んじゃったんだ」
 すると相手はため息をついて言う。
「そりゃあよくない」と。
 まるで、ぼくの努力しだいでこの状況をすっかり変えることができるはずだし、息をしていないのもぼくのせいだというみたいに。(11ページ)


自転車に乗っていた時に、大きなトラックにひかれて死んでしまった〈ぼく〉ハリーは〈死者の国〉へ来ていました。木がたくさん生えていて傾きかけた太陽はずっと沈まず美しい夕焼けが続いている場所。

所々に「彼方の青い世界へ」という標識が立っていて、みんなはそこへ向かって歩いていっています。どうしたらいいのか戸惑ってばかりいた〈ぼく〉に声をかけてくれたのが、アーサーという少年でした。

アーサーはぼくと同じ年ですが、死んだのは百数十年前なので古めかしい格好をしています。アーサーがまだ〈彼方の青い世界〉に行かないのには理由がありました。アーサーはお母さんに会いたいのです。

アーサーのお母さんはお産で亡くなっていて、手がかりになるのはブラウスから取れた形見のボタンだけ。顔も姿も分からず、もういないかも知れないお母さんを、アーサーはずっと探し続けているのです。

〈ぼく〉にも現世に一つだけ心残りがありました。それはお姉ちゃんのエギーがペンを貸してくれなかったのが原因でケンカをしたこと。ケンカはいつものことでしたが、最悪の別れになってしまったから。

「そんなペンいるもんか。自分で買うよ。頼まれたってエギーのペンなんか二度と使わない。百万回土下座されたって絶対に使ってやるもんか!」
 そしたらエギーが言いかえした。
「ふん、お日さまが凍るまで待ったって、貸してやらないわ。デブ! 自分のを買いに行けばいいじゃない。あんたがいなくなればせいせいするわ。ついでに、そのぶさいくな顔も二度と見せないでよ」
 ぼくはドアを思いきり閉める前に言ってやった。
「今に、今にわかるんだから! お姉ちゃんなんか大嫌い! 大大大っ嫌いだ! この家もパパもママもみんな嫌いだ。帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない」
 そしたらエギーが「じゃあ帰ってこないで」って言ったんだ。
 だからぼくは「そんなこと言って、あとで泣いたって知らないからな。ぼくが死んだら、きっと後悔するんだから」ってやりかえした。
 エギーも「後悔なんてするわけないじゃない。大喜びだわ。とっとと消えなさいよ。それからエギーって呼ぶのやめてよね」って負けずに言った。
 ぼくはドアをバタンとしめて、自転車で家を出た。
 で、死んじゃった。(37~38ページ)


お互いに熱くなってしまっただけで、本気で言ったわけではないことくらい分かっています。それでもお姉ちゃんが今、どれほど傷ついているだろうと思い、最後に愛していると伝えたいと思ったのでした。

後悔を抱えながらも、ただぷらぷらしている〈ぼく〉に、「ちょっとした気晴らしくらいしないと、ただ死んでたってつまらない」(49ページ)とアーサーは、〈生者の国〉に遊びにいくことを誘います。

本来は禁止されていることですし、また幽霊になることも気が進まない〈ぼく〉でしたが、身近な人々の顔が浮かび、アーサーについて行くことを決めたのでした。二人は入口の受付に戻って逃げ出します。

「おい、そこのふたり! こら、ぼうず! どこへ行く? そっちはちがう! もどれ!」(60ページ)受付の男は騒ぎますが、受付からは離れられないので叫ぶばかりで二人を止めることは出来ません。

鳥みたいに空を飛びながら、下界へ下りていく〈ぼく〉とアーサー。アーサーの底抜けに明るい笑い声が響きます。雲を突き抜け時おり宙返りをして遊びながら街に降り立つと、色んなところで遊びました。

ただ、〈ぼく〉とアーサーの姿は誰にも見えませんし、物に触ることも出来ません。やがて〈ぼく〉はアーサーに家族や友達に会いに行きたいと言ったのでした。アーサーはなんだか気が進まない様子です。

〈死者の国〉への帰り道を教えてやらなければならないからと、アーサーは〈ぼく〉が色々見てまわるのを待っていてくれることになったのですが、学校へ向かう〈ぼく〉にアーサーはこう言ったのでした。

「ハリー。あんまり期待すんなよ、な?」
「え?」
 ぼくは立ち止まってアーサーを見あげた。
「期待しすぎないほうがいい。他人にさ。人生はつづいていくんだ、ハリー。みんな人間なんだ。だからあんまり期待しないことだ。それだけ。ぼくも熱病で死んだすぐ後に、ちょっと見てみたくて、こっちに来たって言ったろう? よく行ってたなじみの場所をあちこち見てまわったんだ。ぼくがいなくて、みんなどうしてるだろう、さびしがってるだろうなって思って……」
 声が消えた。アーサーは遠い過去を見てるみたいに、前を見つめてた。
「それで? アーサー、なにが言いたいんだ?」
 アーサーはぼくに目をもどすと、弱々しく笑った。
「あんまり期待するなってことさ、ハリー。そうすれば、がっかりすることもない」(89ページ)


懐かしい学校に気もそぞろな〈ぼく〉はアーサーの言う意味がよく理解出来ませんでした。自分がいなくなってみんなどれほど寂しがっていることだろうと考えながら、〈ぼく〉は学校へ入っていって……。

はたして、〈ぼく〉は現世の心残りを解消することが出来るのか!?

とまあそんなお話です。もう一度この世に戻って来た〈ぼく〉は触れず、気付いてもらえなくても、友達や家族と再会したことで、どんなことを感じるのでしょうか。そんなはらはらどきどきの冒険譚です。

夕暮れが続く〈死者の国〉の雰囲気や〈死者の国〉との行き来の場面の描写がファンタジックで美しく、とても印象に残りました。死んでしまったハリーの冒険に興味を持った方はぜひ読んでみてください。

次回はオグ・マンディーノ『十二番目の天使』を紹介する予定です。