アラン=フルニエ『グラン・モーヌ』 | 文学どうでしょう

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グラン・モーヌ (岩波文庫)/岩波書店

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アラン=フルニエ(天沢退二郎訳)『グラン・モーヌ』(岩波文庫)を読みました。

童話や昔話などでは、不思議な場所が出て来ることがあります。たとえばグリム童話のおかしの家。親に捨てられてしまったヘンゼルとグレーテルという兄妹が、森の中で魔女に捕まってしまうお話ですね。

あれは魔女の家だったので考えてみれば怖い話ですけど、もしおかしの家でおかしを食べて、すごく幸せで、また食べに行こうと森を探しても見つからなかったらどうでしょう。いつまでも心に残るのでは。

たとえるなら、そうした忘れられない思い出を追い求める小説が、今回紹介する『グラン・モーヌ』です。ある時道に迷ったモーヌという少年は、人里離れた場所で見捨てられたような古い館を見つけます。

そこでは仮装をした人々が集まり、ピエロが登場し子供たちが取り仕切る風変わりな結婚式が開かれていました。モーヌは魅力的な青い眼をしたその屋敷の令嬢らしきイヴォンヌと運命的な出会いをします。

「僕の名前は、オーギュスタン・モーヌ」とかれは続けた、「学生なんです」
「まあ! 勉強してらっしゃるの?」と少女は言った。そして、二人はちょっとの間、話を交わした。ゆっくりと、幸福な気分で――親しく、話をした。それから、少女の態度が変わった。それまでよりくだけた調子で、あんなにきまじめでなく、そしてまた、さっきよりも不安そうに見えた。まるで少女は、これからモーヌが言おうとしていることを怖れて、さきまわりして怒っている、とでもいうようだった。少女はモーヌの傍でふるえていた――まるで、一とき地面に降りたばかりなのに、もうまた飛び立ちたくてふるえている、ツバメのように。
《何になるの? 何になるの?》――モーヌの計画していることに、少女はやさしくこう答えているのだった。
 それでも、とうとうモーヌが勇気を出して、いつかまた、このお屋敷の方へ来てもいいですか、と訊ねると、
「お待ちしてるわ」と一言、答えてくれた。
(115~116ページ)


ところが、帰りの馬車で眠ってしまい道を覚えられなかったモーヌは、何度探してもイヴォンヌがいた古い屋敷を見つけられずに……。

おかしの家なら、ある意味では、まだ我慢できるかもしれませんけれど、心を奪われた女性にたどり着けないなら、これはもう人生の一大事なわけです。寝ても覚めても忘れられない女性を追い求める物語。

そうした非常にロマンティックな色彩の強い青春小説で、訳者解説には「一九一三年の刊行以来、最も広く読まれ、最もよく売れた小説の一つ」(409ページ)という評が紹介されているほどの、人気作。

ただ、ロマンティックすぎるが故に、そして、モーヌの友人の語り手によって語られる小説のため時系列が前後するという構成の複雑さがあるために、日本では正直あまり読まれていないだろうと思います。

語り手と主人公が別なため、物語に入り込みやすいかというと若干微妙なんですが、センチメンタル(感傷的)な雰囲気だとか、ロマンティックな物語が好きな方には、ぜひ手に取ってもらいたい名作です。

分かりやすいようにぼくは童話でたとえましたが、モーヌがイヴォンヌを探す物語構造は、アーサー王と円卓の騎士の《聖杯探索》でたとえられることが多く、それだけに、冒険小説のような趣もあります。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 かれが私たちの家へやって来たのは、一八九…年十一月の、ある日曜日のことだった。
 今でも《私たちの家》と言っているが、その家はもう、私たちのものではない。その土地をあとにしてからまもなく十五年が経とうとしていて、私たちは二度と、そこへ戻ることはあるまい。
(9ページ)


〈私〉も「スレル先生」と呼んでいた父が校長だったため〈私〉たち一家が暮らしていたサント=アガトの学校に〈私〉より二歳年上、十七歳ほどのオーギュスタン・モーヌが寄宿生としてやって来ました。

背が高く、皆から「グラン・モーヌ」と呼ばれて慕われるようになったモーヌでしたが、ある時、馬車に乗って姿を消したまま帰って来ませんでした。みんなはモーヌは一体どうしたんだろうと心配します。

四日目になってようやく帰って来たモーヌでしたが、どこで何をしていたかを話しません。屋根裏の寝室でモーヌと一緒に寝ている〈私〉は深夜になると、モーヌがこっそり抜け出すことに気が付きました。

黒い冷たい風が、死んだような庭と屋根の上を、ひゅうひゅう吹きまくっていた。
 私はちょっと身を起こして、小声で言った――
「モーヌ! また行くの?」
 モーヌは答えなかった。
 このとき、私はすっかり度を失って、こう言った――
「それじゃ、ぼくも一緒に行くよ。きみはぼくを連れて行ってくれなくては」
 そして私はベッドからとび下りた。
 モーヌは近づいてきて、私の腕をつかみ、むりやりベッドの縁に座らせて、こう言った――
「連れて行けないんだよ、フランソワ。もし、道がよくわかっていれば、一緒に来てもらうんだが。でも、まず地図で見つけなければならない。それが、うまくいかないんだ」
「それじゃ、きみにも、もう一度行くことができないの?」
「その通り、どうしてもだめなんだよ……」とかれは、沈み込んで言った。「さあ、また寝るがいい。約束するよ、きみを置いて行ったりはしないって」(56~57ページ)


道は分からず、目指す場所にはたどり着けないままでしたが、やがてモーヌは、学校を抜け出していた時の冒険談を〈私〉に打ち明けてくれました。〈私〉の祖父母を駅に迎えに行こうと馬車に乗ったこと。

道に迷い、古い屋敷で行われていた風変わりな結婚式に潜りこみ、イヴォンヌ・ド・ガレーという美しい少女に心奪われたこと。しかし花嫁は現れず、花婿のフランツ・ド・ガレーは絶望してしまったこと。

フランツは妹イヴォンヌに遺書のような手紙を残し、モーヌは帰り道林の奥で稲妻のような光を見、雷鳴のような音を耳にしました。馬車の中で眠ってしまい道が分からずモーヌは二度と屋敷へ行けません。

やがて、学校に頭と顔の片側全体を白い布でおおった、風変わりな生徒が入って来ます。柄の小さな穴から記念建造物が見えるペンなど、不思議なものをたくさん持っていて、みんなから注目を集めました。

転入生を警戒するモーヌと〈私〉。夜の街で自分たちを襲い、モーヌが大切にしていた地図を盗んだ旅芸人たちの中にいたから。ところが何故か、その後転入生はその地図を、仲間から守り通したのでした。

感動したモーヌは「きみ」と呼びかけ、転入生に手を差し出します。

 旅芸人はその手を握って、ちょっとの間、何も言わず、心を動かされて、声をとぎらせた……しかしすぐに、つよい好奇心につき動かされて、言葉をつづけた。
「つまり、あんたたちはおれを、わなにかけようとしてた! 何ておもしろいんだ! おれにはそんなのはお見通しでね、こう思ってたのさ――かれらはずいぶんびっくりするだろうな、おれからこの地図を取り戻したとき、おれの手で補足がしてあるのに気がついたら……」
「補足してある?」
「ああ! ちょい待ち! 完全にじゃないよ……」 こんな、ふざけた口調をやめて、私たちの方へ近寄りながら、まじめに、ゆっくりと、こう言った。
「モーヌ、今だから言おう。おれも、あんたがいた所へ、行ってたんだ。あの驚くべきパーティに出ていたのさ。学校の連中がおれに、あんたの不思議な冒険の話をしたとき、おれはすぐ思ったよ、あの、失われた古い〈お屋敷〉のことだとね。それを確かめるために、あんたの地図を盗んだ……でも、おれもあんたとおんなじこと――あの城館の名前も知らない。あそこへまた行こうにも行けないのさ。ここからあそこまで、あんたを案内しようにも、みちが全部はわからない」(167~168ページ)


転入生は三か月前頭に弾丸を撃ち込んで死のうとしたと打ち明け「おれが、すでに一度あったように、再び地獄の入口に立つ、そんな日のために、おれの友だちになってくれ」(171ページ)と言います。

強い絆で結ばれ、約束を交わした三人。やがてモーヌは、父と妹から離れ、旅芸人に紛れて自暴自棄に生きる転入生が、花嫁に去られた絶望から自殺を試みた、他ならぬフランツであることに気付きました。

フランツの一家が毎年祝祭日に訪れるというパリの家を教えてもらったモーヌは愛しきイヴォンヌに会うためにパリへ向かいますが……。

はたして、離ればなれになったモーヌとイヴォンヌの愛の結末は!?

とまあそんなお話です。物語はいくつかの謎を含みながら進んでいきます。何故、結婚式は風変わりなやり方で行われたのか? 何故、花嫁は姿を現さなかったのか? ド・ガレー一家はどこへ消えたのか?

それが少しずつ明かされていく面白さのある物語で、最初はなにがどうなっているのかよく分かりませんが、こんがらがった糸がするするとほどけていくように、後半にいくに従って分かるようになります。

モーヌの冒険談が、冒険が終わってから語られたり、手紙が送られて来て初めて思いがけない事実が分かったりと、語り手の〈私〉がいるが故に少し複雑な時系列になっていて、読みづらさはあるでしょう。

ですが、あまり言えませんけれど、そうした少し複雑な時系列が故に非常に惹きつけられる展開がある小説で、それがこの作品の醍醐味でもあります。読み始めたなら、ぜひ、最後まで読んでみてください。

言わば、恋が始まってすらいない恋は、どろどろの展開の恋愛小説に慣れてしまった現代の読者にとっては物足りないかも知れませんが、それだけにかえって美しく、同時に難しいテーマを孕んでもいます。

長年愛され続けている名作なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。訳自体はそれほど新しくありませんが、みすず書房の「大人の本棚」には長谷川四郎訳があり、そちらも手に入りやすいです。

次回は、テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』を紹介する予定です。