蓮見圭一『水曜の朝、午前三時』 | 文学どうでしょう

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水曜の朝、午前三時 (新潮文庫)/新潮社

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蓮見圭一『水曜の朝、午前三時』(新潮文庫)を読みました。

ピン芸人のナンバーワンを決める大会「R-1ぐらんぷり」で、ぼくはずっとあべこうじを応援していたんです。コントでもなくフリップ芸でもなく、漫談スタイルで挑む姿がとにかくかっこよかったから。

特にあべこうじ最高のネタが第四回(2006年)なので、機会があればDVDなどで観てみてください。ずっと報われなかったあべこうじですが、決勝の審査方法が変わった第八回で、見事優勝しました。

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第四回大会であべこうじを僅差で打ち破って優勝したのが博多華丸。その時にネタにしたのが『パネルクイズ アタック25』の司会者、児玉清のモノマネでした。「アタックチャンス!」というやつです。

俳優として活躍しモノマネされるほど司会者としても親しまれていた児玉清は、ご存知の方も多いと思いますが、『週刊ブックレビュー』の司会者をつとめたほど、読書家として、よく知られた人物でした。

書評や文庫本の解説も手掛けていて、児玉清の紹介で本が売れるということもあったと思いますが、その最も大きな功績がおそらく今回紹介する『水曜の朝、午前三時』をベストセラーにしたことでしょう。

『水曜の朝、午前三時』は蓮見圭一のデビュー作ですが、賞を取ったわけでもないので、売れる要素のない作品でした。それが注目されてじわじわと売れ始めたのは、児島清の推薦文が帯についていたから。

「児玉清氏、絶賛!!」というあおり文句とともに、当時の単行本につけられていたその推薦文がこれです。「こんな恋愛小説を待ち焦がれていた。わたしは、飛行機のなかで、涙がとまらなくなった……」

いやあ惹きつけられますねえ。テリー・ケイの『白い犬とワルツを』や片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』などポップや帯につけられたコピーで本がベストセラーになるということがあるんですよね。

恋愛小説というよりは人生を描いた作品であり、価値観が問われる物語なので、読み終わった時の感想は人によって変わりそうですが、報われなかった恋の秘密が解き明かされていく面白さがある一冊です。

物語の舞台は学生運動が盛んであり、大阪万博で日本中が盛り上がっていた1970年。脳腫瘍で余命わずかと宣告された45歳の女性が、自分の23歳だった時の出来事を娘に向けたテープで語ります。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 これは、四条直美という女性が病床で拭き込んだ四巻のテープを起こしたものである。
 一九九二年の年明けに脳腫瘍の告知を受け、築地の国立がんセンターに入院した四条直美は、その年の秋に死んだ。四十五歳だった。彼女は翻訳家であり、わりに名の知れた詩人でもあったので、数日後、社会面の左隅に二十行ばかりの死亡記事が掲載された。いい記事だったけれど、写真があればもっとよかったのにと思う。
 テープは直美が危篤に陥る二週間前に、ニューヨークに留学していた一人娘の葉子のもとへ郵送された。(5ページ)


〈僕〉は葉子の幼馴染だったので、直美のこともよく知っていました。煙草を吸い酒を飲み、フォークギターで外国の曲を歌い、ベレットを乗り回す人柄で、周りの母親たちから距離を置かれていた直子。

どういうめぐりあわせか〈僕〉は葉子と結婚し、葉子の父には聞かせられない葉子あてのテープを、くり返し聞くことになったのでした。

昭和二十二年、A級戦犯の祖父を持つ没落した旧家に生まれた〈私〉四条直美。お茶の水女子大の外文科を卒業すると老舗の出版社に勤め始めました。進学先も就職先も、すべて父の意見に従った結果です。

得意だった英語をいかしたいと思っていましたが、当時は女性の仕事は少なく、与えられたのは総務部での電話番。やがて父から結婚をすすめられます。相手は「お兄ちゃん」と慕っていた知り合いでした。

昔は気付きませんでしたが、学者の卵のその男性とは両親が話を決めた、許嫁のような間柄だったのです。学生運動に揺れる一九六九年。当たり前の生き方をしたくなくて、両親への反抗を決意した〈私〉。

ボブ・ディランを聴きながら、サルトルを読んでいたような二十二歳の〈私〉は、結婚を先延ばしにするために、大阪万博の通訳の仕事を決めました。すると仕事先で、思いがけない出会いがあったのです。

 人生には忘れ難い瞬間というのがいくつかあるものだけれど、私にとってはこの時がそうでした。小雪がちらつく中、コートを着ずに歩いて来る彼を見た時、すぐにホステスたちが噂しているのはこの人なのだと分かりました。
 雨宮さんに倣って会釈をすると、臼井さんも軽くこちらに頭を下げました。痩身で背が高く、銀縁眼鏡をかけた彼は、むっつりとして、ひどく無愛想な感じでした。それでも、私はすぐにその顔が気に入りました。どう言ったらいいのか、まだ二十五歳なのに、人としての充実が外見に滲み出ているといった感じなのです。臼井さんは大変な秀才だという評判だったし、一見しただけで、そうに違いないと思いました。でも、ひと目惚れしたなんて言いたくない。ただ頭がよく、見てくれがいいというだけでなく、彼にはもっと別の何かが備わっているように見えたのです。私はそれが何であるのかを知りたいと思った。(68ページ)


何ヵ国語も喋れて、絵画など芸術に詳しい臼井さん。週明けにビールを飲む約束をしましたが、同じ仕事をするルームメイトの雨宮由紀から、臼井さんには鳴海祐子という恋人がいると知らされたのでした。

外交官の娘でソルボンヌ大学の卒業生、万博終了後は大使館へ就職が決まっているという鳴海さん。臼井さんとならぴったりです。ショックを受けた〈私〉は臼井さんから距離を取るようになったのでした。

やがて臼井さんは、鳴海さんとのドライブ中に軽トラックに追突される事故にあい、それがきっかけとなったのかどうなのか、鳴海さんは東京へと帰り、臼井さんもまた大阪万博の仕事を辞めてしまいます。

京都にある臼井さんの実家の場所を知った〈私〉は思い切って会いに行きました。留守だったので『赤旗』(日本共産党の機関紙)が置いてある喫茶店で帰りを待っていると、店の主人に話しかけられます。

「機械化された文明社会に帰属意識を持ち得ない現代人、これを説明するためにカール・マルクスが作った言葉ですわ。疎外という言葉には独特の意味がある。単に誰にも相手にされんと、一人ぼっちでいるということではないんです。みんなから手招きされても、敢えてその輪に加わろうとせん人がおるでしょう」
 用心深く頷いただけですが、私は彼の話に少し興味をひかれました。
「私はムーミンというマンガが好きで、日曜日に子供と一緒によく観るんです。ムーミン谷の外れに川が流れとって、その川べりでいつもギターを弾いてる男がおるでしょう」
「スナフキンですね」
「そう、スナフキン。彼はみんなから好かれとるし、一目も二目も置かれとるけど、ムーミンたちと食事をしたり、一緒にどこかへ出かけたりすることはない。なんでか分かります?」
「分かるような気もしますけれど、私はスナフキンが疎外されているとは思いません」
「それやったら孤独の話をしましょか。孤独いうのは、私に言わせれば情緒上の贅沢なんです。スナフキンはそんな贅沢な男やない。彼は孤独に慣れとるけど、別にそれを楽しんどるわけやない。私はあの男、革命家なんやと思う」
 それを聞いて私は声をあげて笑いました。そんなふうに笑ったのは、ずいぶん久しぶりでした。彼も一緒になって笑いながら、「京都見物の帰りですか」と私に訊ねました。(131ページ)


スナフキンのようにみんなから慕われるけれど距離を取り、謎めいた部分のある臼井さんと再会を遂げた〈私〉は、臼井さんは自分が思っていた通りの人だと感じて、永遠に彼を放しはしないと決意します。

そしてついに許嫁に別れの手紙を書いた〈私〉は両親の反対を押し切り臼井さんと一緒に人生を歩んでいこうと思っていたのですが……。

はたして、〈私〉と臼井さんは、一体何故、結ばれなかったのか!?

とまあそんなお話です。物語が始まった時点で、〈私〉はもう別の男性と結婚しているわけですから、〈私〉と臼井さんの恋はなんらかの事情で成就しなかったということは初めから分かっているわけです。

一体どんな事情なのかその謎が読者を惹きつけるミステリアスな物語。戦争の影、学生運動、万博。揺れ動く時代を背景に一人の女性の生涯を描いた作品です。興味を持った方はぜひ読んでみてください。

次回は、大崎善生『パイロットフィッシュ』を紹介する予定です。