ニック・ホーンビィ『アバウト・ア・ボーイ』 | 文学どうでしょう

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アバウト・ア・ボーイ (新潮文庫)/新潮社

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ニック・ホーンビィ(森田義信訳)『アバウト・ア・ボーイ』(新潮文庫)を読みました。

日本のスポ根マンガの黄金パターンの一つが、結果の出ないスポーツ選手である父親が、息子の過度な期待を背負って奮起し、輝きを見せるも夢半ばで亡くなって、成長した息子がその跡を継ぐというもの。

たとえば、小山ゆうのボクシング漫画『がんばれ元気』(1976年~)、井上正治のマラソン漫画『マラソンマン』(1993年~)、満田拓也の野球漫画『MAJOR』(1994年~)などがあります。

どれも名作なので機会があればぜひ読んでみてください。息子が死んだ父の夢を継ぐという展開を流行させたのは『がんばれ元気』だろうと思いますが、そもそも親子の設定には元になった映画があります。

それが、ウォーレス・ビアリーが主演した1931年の映画『チャンプ』。『ジョジョ』のファンなら、トニオの店で虹村億泰が、『チャンプ』を観た時の方が泣いたと言ったことでお馴染みの名作ですね。

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父親はすっかり落ちぶれたボクサーですが、息子は父親がチャンピオンになると信じ切っていて、「チャンプ」と呼んで慕っています。やがて息子は、再婚して裕福に暮らしている生みの母と出会って……。

愚図で駄目な父親と、そんな父親でも愛し、きらきらした憧れの目で見続けるしっかり者の子供。この関係性がたまりません。信じられることで父親が奮起する展開に胸が熱くさせられること請け合いです。

駄目親父を描いた映画には名作が多くて、たとえば、突然妻に出て行かれ慣れない家事と育児に奮闘するダスティン・ホフマン主演の『クレイマー、クレイマー』(1979年)などもかなりおすすめです。

さて、というわけで、駄目な大人、しっかり者の子供の組み合わせの物語は、もう外れがないと言っても過言ではない鉄板ネタなわけですが、一風変わっているのが今回紹介する『アバウト・ア・ボーイ』。

2002年に、ヒュー・グラント主演で映画化されたことで結構話題になりましたね。この頃は子役だったニコラス・ホルトは成長して、最近では『ジャックと天空の巨人』の主演をつとめたりしています。

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『アバウト・ア・ボーイ』がどう変わっているかというと、駄目な大人としっかり者の子供の物語というのは同じですが、親子ではないんですよ。たまたま出会っただけの二人。すごく妙な関係性なんです。

お金持ちなので働かなくてよく、家庭を持つことを望まず、遊びながら気ままに暮らしている36歳のウィル。一方、12歳のマーカスはちょっと変わった母親のせいで周りとあわずいじめられている少年。

子供のような大人と大人のような子供がひょんなことから出会い、お互いに少しずつ影響を与え合う感動作です。イギリス小説ならではの辛辣なユーモアが散りばめられた、笑って少し考えさせられる作品。

設定は映画とほぼ同じですが、マーカスの一風変わったガールフレンドなど、映画にはいない重要な登場人物がいたり、後半の展開が大分違ったりするので、映画が好きな方も、原作を読んでみてください。

作品のあらすじ


自由気ままに生きているウィル・フリーマン。友達は家庭を持ちウィルにも家族を持つようすすめて来ますが、ウィルはその必要性を全く感じないどころか、自分の人生にとって、害悪とさえ思っています。

「子供がいるというだけでも大きな間違いなのに、そんな最初のあやまちを友人に繰り返させたがるなんて、どういう神経なんだろう」(20ページ)と。子供に対する接し方が分からず戸惑ってばかり。

ある時、シングル・マザーと付き合ったウィルは、シングル・マザーが自分にとって、最適な交際相手だと気付きます。束縛されずに楽しい一時が過ごせましたし、別れも向こうから切り出してくれたから。

いつでも気楽な交際を望んでいるウィルはすっかり味をしめて、二歳の子供がいるというふりをしてSPAT(シングル・ペアレンツ――アローン・トゥゲザー)の集まりに、参加することにしたのでした。

スージーという女性に目をつけたウィルはピクニック行事に行きますが、そこにはマーカスというスージーの友達の息子も来ていました。ウィルは父親の作った曲の印税で生活していると、二人に話します。

「ほんとに? 『サンタのすごい橇?』」スージーとマーカスが同時に、その曲の一節を歌いはじめた。

  だからミンスパイとシェリーのグラスなんて忘れてさ
  だってサンタがやってきて 楽しい気分にさせてくれるんだから
  ああ サンタのすごい橇
  サンタのすごい橇……

 みんな同じだった。この話をするとみんな歌いはじめたし、歌うのはいつも同じ一節だった。友人のなかには、電話をかけてくると必ず、いきなり『サンタのすごい橇』を歌いだすやつらが何人もいて、彼が黙っていると、ユーモアのセンスがないと言って非難した。でも、何がおかしいんだろう? たとえおかしかったとしても、毎回同じことで、何年も何年も何年も、どうやって笑えっていうんだろう。
「この話をすると、みんな歌いはじめるんでしょ?」
「きみたちふたりがはじめてだよ、実のところね」(82ページ)


ピクニックから帰るとマーカスの母親フィオナが薬を飲んで自殺を試みていたから大騒ぎ。一命は取りとめましたが、ボーイフレンドと別れてから、急に泣き出すなどどこか精神的に不安定だったのでした。

今まで母親と二人で十分だと思っていたマーカスでしたが、いざという時に支え合える存在が必要だと考えるようになります。そこで目をつけたのがウィル。母親とウィルをくっつけようと思ったのでした。

色々と作戦を練ったマーカスでしたが、フィオナとウィルはお互いにいい印象を抱かなかった上に、ウィルがついていた子供がいるという嘘もばれてマーカスの折角の計画も全て台無しになってしまいます。

学校ではいじめられていたマーカス。母親が選ぶ服、母親が切る髪はいつも変ですし、家でテレビやゲームが禁じられているので、友達との会話についていけません。おまけに時折歌い出す癖がありました。

窮屈な家や追いかけてくるいじめっこから逃れるようにいつしかマーカスは学校が終わると、いつもウィルの家を訪れるようになります。

マーカスを邪魔に思うウィルですが、別段やることもないので二人でだらだらテレビを観たり、音楽を聴いたり、お互いの生活についてのたわいのない事柄などを話したりするのが定番になっていきました。

やがてウィルは、マーカスがいつも黒一色のださいローファーを履いているのが気になって、スニーカー売り場に連れていきます。どれがいいかと問いかけても、マーカスは自分の欲しい靴が分かりません。

いつも母親が選んだものを履いて、母親の決まりに従って生きて来たから。そこでウィルがかっこいいスニーカーを選んで買ってやりましたが、スニーカーはいじめられっこに盗まれて、大問題となります。

ウィルが、スニーカーを買ってやったことがマーカスの母親に分かると母親はウィルを子供に関心のある変態だと思い込んだから。誤解は解けましたが、マーカスと二度と関わらないと約束させられました。

なので、何かがあったらしく学校を飛び出しているマーカスをウィルは車の運転中に見かけましたが、声もかけずに黙って通り過ぎます。

 ちょうど四時十五分、『カウントダウン』が放映されているとき、ベルが鳴った。もしウィルが学校をサボっているマーカスを見かけなかったら、タイミングの正確さにはなんの意味も見いだせなかっただろう。だが今や、マーカスの意図は手にとるようにわかった。四時十五分より少しでも前に到着したら怪しまれると考え、一分一秒に至るまでタイミングを計算していたに決まっている。でも同じことだ。ドアを開けたりはしない。
 ふたたびベルが鳴ったが、ふたたびウィルは無視した。三度目に鳴ったとき、彼は『カウントダウン』を消して『イン・ユーテロ』をかけた。ニルヴァーナのほうが、キャロル・ヴォーダマンの声より効果的にベルの音を消してくれるだろうと思ったからだ。だが、八曲目か九曲目にあたる「ペニー・ロイヤル・ティー」にさしかかると、ウィルは、カート・コベインの声にもマーカスのベルの音にも飽き飽きしてしまった。ドア越しに音楽が聞こえているのだろう。音に合わせてベルが鳴っている。ウィルは降参した。
「ここに来ちゃいけないんだろ?」
「頼みがあって来たんだ」三十分以上ベルを鳴らしつづけていたというのに、マーカスの顔にも声にも、途方に暮れている感じやうんざりしている感じはなかった。
 ふたりは少しのあいだ、脚でレスリングをしながら攻防戦を展開した。(237~238ページ)


再び交流が始まった二人。知的でセンスあふれるシングル・マザーに恋したウィルは、マーカスに息子のふりをしてもらい、マーカスは気になる女の子へのアドバイスを、ウィルからもらったのですが……。

はたして、ウィルとマーカスの、それぞれの恋の行方はいかに!?

とまあそんなお話です。マーカスの母親の口癖は「メエエエ」で、羊のように、他人と同じになるなと言う教えでした。ところがそれは周りから浮いてしまうことに他ならず、いじめられる原因になります。

マーカスの母親は初め、マーカスはウィルに父親像を見ていると思いますが、実はウィルが持っているのは大人の魅力ではなく、流行に敏感で、マーカスと同じ目線で考えられる友達の魅力だったのでした。

いじめられっこマーカスの成長譚であると同時に、誰とも深い関わりを持たずに生きてきたウィルが自分の人生を見つめ直す物語でもあります。幸せと切なさの入り混じる、不思議な余韻が残る作品でした。

映画版も面白いのでおすすめですが、登場人物や特に後半の内容が違うので、ぜひ映画と原作の両方を読んだり観たりしてみてください。

次回は、ルイス・サッカー『穴 HOLES』を紹介する予定です。