バーナード・ショー『ピグマリオン』 | 文学どうでしょう

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ピグマリオン (光文社古典新訳文庫)/光文社

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バーナード・ショー(小田島恒志訳)『ピグマリオン』(光文社古典新訳文庫)を読みました。

貧しい生まれだけれど性格がよく、美しい娘が王子さまから見初められるというのはおとぎ話の定番ですが、それと似ていて、かつちょっと違う映画に1990年公開の『プリティ・ウーマン』があります。

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リチャード・ギア演じる実業家はひょんなことからジュリア・ロバーツ演じるコールガール(売春婦)を一週間の期間限定でアシスタントにすることに。コールガールは淑女として磨かれていきますが……。

住む世界が違う二人の出会いはそれぞれに大きな変化をもたらします。孤独な実業家は愛を知り、淑女として扱われる喜びを知ったコールガールは自分に目覚めました。生き方そのものが変わったのです。

普通のラブストーリーとは違って、実業家の教えを受けたコールガールが、誰もが驚く上品なレディーに変わっていくのが面白い所。そして実は物語のその要素の元になっていると言われる作品があります。

それが田舎者丸出しの言葉で喋る花売りの娘が言語学の教授によって教育されていくミュージカル『マイ・フェア・レディ』で、1964年に公開された、オードリー・ヘプバーン主演の映画も有名ですね。

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そして、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』には、物語の流れ的にはほとんど同じですが、ミュージカルではない原作の舞台がありまして、それが今回紹介するバーナード・ショーの『ピグマリオン』。

1913年に初演されたもので、バーナード・ショーは1938年の『ピグマリオン』自体の映画化で、アカデミー脚色賞を受賞しています。ノーベル文学賞とアカデミー賞を受賞しているただ一人の作家。

タイトルの「ピグマリオン」(ピュグマリオーン)はギリシャ神話に登場する王さまの名で、自分の理想の女性を彫刻で作り上げるんですね。やがてその彫刻に心を奪われ、人間になるよう女神に祈ります。

原典のギリシャ神話では創造者であるピュグマリオーンと被創造者は相思相愛の間柄になるわけですが、このエピソードをロンドンに舞台に移し、上流階級を諷刺しながら描いたのが『ピグマリオン』です。

『プリティ・ウーマン』あるいは『マイ・フェア・レディ』はぼくも好きな映画ですが、好きな方にこそ読んでもらいたいのが、『ピグマリオン』。何故かと言うと物語の展開が実はかなり違っているから。

あまり詳しくは言えませんが、物語の展開が違うということは即ち、作品自体のテーマ、創造者と被創造者をめぐる関係性が『ピグマリオン』と翻案作品とでは、大きく異なっているということになります。

既存の演劇にありがちな展開を嫌い、生前はミュージカル化を拒んだバーナード・ショーの『ピグマリオン』は、翻案作品と比べテーマ的に深掘りされている感じがあって、しみじみと考えさせられました。

作品のあらすじ


ロンドン、午後十一時十五分。激しい雨が降り出し、人々はコヴェント・ガーデンの野菜市場前にあるセント・ポール教会に雨宿りのため駆け込んで来ます。家族のために車を探しに行こうとしたフレディ。

すると入って来た花売り娘とぶつかってしまいます。「あんだこらぁ、フレディ。どこ目ぇつけてやがんでぇ」(25ページ)18から20歳ほどの娘は強引に、フレディの家族に花を売りつけました。

花売り娘の言葉をしきりにメモしている男がいます。初めはみんな、その男を警察だと思っていましたが、やがて言葉を聞いただけで出身地があてられるほどの言語学者ヒギンズであることが分かりました。

たまたまそこにインドの方言を研究しているピカリング大佐という言語学者も居あわせ、ヒギンズとピカリング大佐はすっかり意気投合。花売り娘にとっては大金の小銭を籠に入れると、去っていきました。

翌日。ヒギンズがウィンポール・ストリートにある自宅でピカリングと言語に関する話題で盛り上がっていると、戸惑った様子の家政婦のミセス・ピアスがやって来ました。何だか妙なお客が訪ねて来たと。

するとそれは、オレンジ、スカイブルー、赤色のダチョウの羽毛が三本付いた帽子をかぶった昨日の花売り娘だったのでした。一応色々と身なりに気を使っているようですが、どうも汚い印象は否めません。

ヒギンズはもうデータは取ったと追い返そうとしますが、花売り娘はしっかりした言葉を教えてくれるところだというから来たと思いがけないことを言います。ちゃんとした花屋の売り子になりたいのだと。

話を聞いていて面白がったピカリングは賭けを申し出ます。この花売り娘イライザ・ドゥーリトルを半年で、大使館の園遊会に出ても誰も違和感を覚えないほどの、立派な淑女に仕立て上げられるかどうか。

レッスン料は自分が持ち、失敗する方に賭けると言ったピカリング。

ヒギンズ (この思いつきが具体化するに従って、興奮してくる)バカな真似をしないで何の己の人生か。難しいのはそれをする機会を見つけることだ。めったにないこのチャンスを無駄にする手はない。よし、ひとつこの薄汚いドブ板娘を公爵夫人に仕立ててやろう。
イライザ (この言われように強く抗議して)ぅぅぅうううぇぇぇええ!
ヒギンズ (夢中になって)そう、半年もあれば――いや、耳が良くて舌が回れば三か月で、この娘をどこに出しても恥ずかしくない淑女にしてみせる。今日から始めよう、今すぐだ! ピアスさん、この娘を連れて行って、洗ってくれ。どうしても汚れが落ちなかったら、モンキー・ブランドの石鹸を使うといい。台所に火はあるかい?(64ページ)


普段お風呂など入らず、下着すら変えないというイライザに驚くミセス・ピアスですが、来ていた服を処分し、とりあえず小さな白いジャスミンの花をあしらった青い木綿のキモノを着せると、さらに仰天。

見違えるほどに美しくなったから。しかし喋らすと田舎者丸出しで、たちまち馬脚を現してしまいます。やがて、猛特訓が始まりました。

ヒギンズ アルファベットを順に言ってみたまえ。
イライザ そんぐれえ知ってらぁ。あちしがなんも知らねえと思ってんだろ? 子供じゃあるめえし、んなことまで教えてくんなくても――
ヒギンズ (怒鳴りつけて)言ってみろ。
ピカリング さあ、ミス・ドゥーリトル、言ってごらん。どういうことか、すぐにわかりますよ。先生の言う通りにしてごらんなさい。先生の教え方に従って。
イライザ ああ、うん、そういうふうに言ってくれたら――アーイ、ベー、セー、デー――
ヒギンズ (傷ついたライオンのような吠え声で)やめろ。聞いたかい、ピカリング君。我々の税金でまかなっている小学校教育の成果がこれだ。この不幸な動物は、九年間学校に押し込めて我々の金でシェイクスピアやミルトンの言葉を話したり読んだりすることを教え込んだはずなのに、その結果がアーイ、ベー、セー、デー。(イライザに)言ってみろ、エイ、ビー、スィー、ディー。
イライザ (泣きそうになって)言ってんじゃんかよぉ。アーイ、ベー、セー――
ヒギンズ もういい! じゃあ、言ってみろ、「ア・カップ・オヴ・ティー」。
イライザ ヤァ・カッパラテー(112ページ)


幸いイライザは耳がよく、あっと言う間にピアノも覚えてしまったほどですが、お天気の話題ぐらいはそつなくこなすものの、場にふさわしい話題を選ぶことが出来ずすべて台無しにしてしまったりします。

ヒギンズとイライザの試みは忍耐強く進められ、やがて本番、大使館のレセプション(招待会)の日を迎えます。着飾ったイライザは皆に公爵夫人と思わせられるのか、それとも正体が露見してしまうのか。

ヒギンズ、ピカリング、イライザは、ロールスロイスで会場へ……。

はたして、言語学者二人、ヒギンズとピカリングの賭けの結末は!?

とまあそんなお話です。『ピグマリオン』は全五幕の話ですが、イライザをめぐる賭け自体は三幕で決着がつくんですね。そこからが実はこの作品の面白い部分で、翻案作品にはない要素になっていきます。

イライザは貧しい境遇から上流階級の婦人へと言わば生まれ変わったわけです。それは客観的に見ればいいことですが、手に入れたものの代わりに失ってしまったものも、実はたくさんあるわけなんですね。

きれいな身なりをし、丁寧な言葉を話し、適切な話題を選べるようにはなりましたが、その代わり、自立して生きていた元の花売り娘には戻れないのです。ではこの先何をして生きていけばいいのでしょう?

『ピグマリオン』は翻案作品とは少し違い、そうした難しい問題にイライザが真正面から向かい合う物語になっています。そこには上流階級への諷刺も含まれているだけに、色々と考えさせられる作品です。

『プリティ・ウーマン』や『マイ・フェア・レディ』は有名ですが、原典とも言うべき『ピグマリオン』は意外と知られていないので、読んでみたり、また舞台を観にいったりしてみてはいかがでしょうか。

明日は、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を紹介する予定です。