ウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』 | 文学どうでしょう

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マイ・アントニーア (文学シリーズ lettres)/みすず書房

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ウィラ・キャザー(佐藤宏子訳)『マイ・アントニーア』(みすず書房)を読みました。

海外文学の中でも、アメリカ文学は特に人気がありますが、面白い現象が起こっていて、村上春樹や、村上春樹とも親交が深い柴田元幸など、作家や作品よりも、翻訳者に注目が集まることが多いんですよ。

若い世代はとりわけ村上春樹の翻訳やエッセイを通して、J.D.サリンジャーを知り、スコット・フィッツジェラルドを知り、トルーマン・カポーティを知ったという感じだったと思います。ぼくもです。

サリンジャーにせよ、フィッツジェラルドにせよ、カポーティにせよ、そこには都会的な雰囲気の中で儚い美しさが描かれるという同じ空気感みたいなものがあって、読者は物語にすっと入り込めました。

しかしそれは、そのままのアメリカ文学というよりは、村上春樹の感性というフィルターを通して日本に入って来ているからだという趣旨で書かれている面白い本が、都甲幸治の『偽アメリカ文学の誕生』。

偽アメリカ文学の誕生/水声社

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村上春樹とアメリカ文学をめぐる論考の他にも、色々な論考が収録されていますが、現代アメリカ文学に関心のある方にとって非常に興味深い一冊だろうと思うので、機会があれば手に取ってみてください。

『偽アメリカ文学の誕生』は、どこかで紹介しようと思っていたので紹介出来てよかったですが、ぼくが書こうと思っていたのは、フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』のことだったのでした。

華麗なるギャツビー ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産) [Blu-ray]/レオナルド・ディカプリオ,トビー・マグワイア,キャリー・マリガン

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昨年公開された、バズ・ラーマン監督、レオナルド・ディカプリオ主演の映画版も大きな話題になりましたね。二度と戻らない時代に思いを馳せるノスタルジックな作品ですが、ある大きな特徴があります。

それはジェイ・ギャッツビーの人生が、ギャッツビー自身によってではなく、ニック・キャラウェイという、映画ではトビー・マグワイアが演じた、後にはよき理解者かつ友人になった隣人に語られること。

ニックが父から言われた言葉で始まる書き出しがとても印象的です。

「人のことをあれこれ言いたくなったら、ちょっと考えてみるがいい。この世の中、みんながみんな恵まれてるわけじゃなかろう」(光文社文庫、小川高義訳)。この言葉が、作品のテーマでもあります。

つまり誰かの行動や作品に即して言えばその人の人生そのものを批判的にとらえることは簡単だけれど、その人物の気持ちに寄り添ってみてはどうかと。『グレート・ギャッツビー』はそんな作品なのです。

フィッツジェラルドの一世代前の女性作家が、今回紹介するウィラ・キャザー。代表作『マイ・アントニーア』(『私のアントニーア』とも)は開拓地を舞台にアントニーアという女性の生涯を描いた物語。

大きな特徴は、アントニーア自身によって語られるのではなく、ずっとアントニーアの近くにいたジム・バーデンによって語られていくこと。二度と帰らない時代に思いを馳せるノスタルジックな作品です。

もうピンと来た方もいるだろうと思いますが、内容は全然違いますが、語り手が誰かの人生を語るという作品の形式として実は『グレート・ギャッツビー』に影響を与えたと言われている小説なのでした。

幸せとも不幸せとも言い切れない人生を歩むことになったアントニーア。その生き方を批判するのは簡単ですが、それぞれの登場人物の気持ちに寄り添うと、読者もまたノスタルジックな感慨に包まれます。

作品のあらすじ


〈わたし〉は同じ田舎町で子供時代を過ごしたジム・バーデンと列車の中で再会します。〈わたし〉はなかなかジムと会うことが出来ませんでした。巨大な鉄道会社の法律顧問をつとめるジムは忙しいから。

そして、美人だけれど感受性に欠けるジムの妻が気に入らないからでもあります。お互いが知っていたボヘミア人の娘の話をしたその数か月後、ジムはその娘の思い出を綴った原稿を持って訪ねて来て……。

両親を相次いで失った十歳の〈ぼく〉ジムは作男に連れられ、ネブラスカ州の祖父母の元へ向かっていました。北アメリカ中部の広大な平原を横切る列車に乗り合わせたのが海の向こうから来た移民の人々。

かわいい女の子がいると聞かされますが、〈ぼく〉ははにかみ、荒野のアウトローの物語『ジェシー・ジェイムズ』を読み続けます。祖父母の住む農場に辿り着くと、祖父母は温かく迎え入れてくれました。

新しい隣人となるのが、列車で乗り合わせたボヘミア人のシメルダ一家であることが分かります。十九歳の長男アンブローシュや、十四歳のアントニーアなどと会いましたが、誰も英語を喋れないのでした。

なにに対しても興味津々で、「ナマエ? ナマエ ナニ?」(21ページ)と聞くアントニーア。アントニーアの父もボヘミア語と英語の辞書を渡しアントニーアに言葉を教えてくれるよう頼むのでした。

ある日の午後、〈ぼく〉とアントニーアが土手で読み書きの勉強をしていた時のこと。落下してしまった淡い緑色の弱々しい虫を見つけたアントニーアは助けて髪の中に入れ、上からスカーフを巻きました。

帰り道には足を引きずりながらゆっくりと歩く猟帰りのシメルダ氏と会います。旧大陸から持ってきた風変わりな銃を〈ぼく〉が見ていると、シメルダ氏はそれをいつか〈ぼく〉にくれると言ったのでした。

 ぼくは、その計画が未来のものであることにほっとした。シメルダ一家のように、自分たちが持っているものを人にあげたがる人たちを見たことがなかった。母親でさえ、いつもぼくにものをくれようとするのだが、彼女の場合は、実のあるお返しを期待していることが分かっていた。ぼくたちは、心地よい沈黙の中で立っていた。その間、アントニーアの髪の毛に守られた弱々しい吟遊詩人は、かすれた声で鳴いていた。シメルダ氏がその声に聞き入っているときに浮かべた、悲しみとすべてのものに対する憐れみに満ちた微笑みを、ぼくは決して忘れることはなかった。日が沈むと急に寒くなり、大地と乾いた草の強い匂いが立ちのぼった。アントニーアと父親は、手を取りあって立ち去り、ぼくは、上着のボタンを留めると、自分の影を追いかけて家路についた。(34~35ページ)


十三歳になった〈ぼく〉を学校に行かせるため、そして祖父母の体が弱って来たこともあり、知り合いに農場を貸しブラック・ホークという町に移り住みました。なかなかアントニーアと会えなくなります。

しかし隣人のハーリング家の料理人が辞めることになったと聞いた祖母がアントニーアを推薦して雇ってもらいます。粗野な男たちと野良仕事をしなければならないアントニーアを可哀相に思っていたから。

久しぶりの再会で「あたしも町に来たんだから、あんたがもっと気に入るような女の子になれるかも知れない」(124ページ)とアントニーアは言います。ハーリング家の子供達に好かれたアントニーア。

やがてリーナ・リンガードという娘も町に働きに来ます。農場での仕事はきりがないから、仕立て屋になりたいのだと。男と付き合っている色々な噂があったので、ハーリング家ではあまり歓迎されません。

ブラック・ホークの男は、ブラック・ホークの女と結婚するのが当たり前。しかしそれでもボヘミアや北欧からやって来た娘たちリーナやタイニー・ダボール、アントニーアに目を引かれることがあります。

それだけに「田舎出の娘たちは社会秩序に対する脅威を見なされていた。彼女たちの美しさは、因習的な社会を背景にして、あまりにも際立っていた」(164ページ)のでした。やがて問題が起こります。

ダンス会場となるテントに行くのをいつも楽しみにしていたアントニーア。ところが次第に身持ちが悪い娘という噂が立てられ始め、家まで送ってもらったハリー・ペインに迫られ騒ぎを起こしたのです。

 ハーリング氏はビールの瓶をテーブルの上に置いた。「こうなるだろうと思っていたよ、アントニーア。あんたは、自由気ままで身持ちがよくないという評判の娘さんたちと付き合っていて、今じゃ、あんたも同じように言われている。あの男やこの男が、しょっちゅう家の裏庭をほっつき歩くことは許せない。こんなことは今夜でおしまいだ。これで止め、それだけだ。ダンスに行くのを止めるか、別の働き場所を探すかだ。よく考えてみなさい」
 翌朝、ハーリング夫人とフランシスがアントニーアを説得しようとしたが、彼女は動揺していたものの、決心を固めていた。「テントに行くのを止めろですって?」彼女は喘ぐように言った。「一瞬たりとも、そんなことは考えられません。自分の父親だって、あたしを止めることなんかできません! 旦那さんは仕事以外では、あたしに指図なんかできませんよ。友達との付き合いも止められません。あたしが付き合っている男の人たちはいい人です。あたしは、ペインさんだって、ちゃんとした人だと思っていました。この家によく来ていたじゃありませんか。間違いなく、結婚式に赤い顔で出ることになるんでしょうよ!」彼女は激しい怒りをこめて言った。
「アントニーア、あんたはどちらかに決めなくてはなりませんよ」ハーリング夫人はきっぱりとした口調で言った。「私は、主人が言ったことは守らなくてはなりません。ここは、あの人の家なのですから」(168~169ページ)


温かく自分を守ってくれていたハーリング家から感情的になって飛び出してしまったアントニーアは、非情な金貸しとして知られ、また女遊びでも有名なウィック・カッターの所に身を寄せたのですが……。

はたして、自分らしく生きようとした、アントニーアの運命は!?

とまあそんなお話です。農場での厳しい労働と町での色々な楽しみという対比はそのまま、移民の娘たちと町の青年たちの暮らしと重なります。そして移民は願ってもなかなかいい仕事にはつけないのです。

アントニーアの人生だけでなく同じように移民の娘という境遇のリーナやタイニーの人生も少しですが語られていて、それがアントニーアとは対照的なものなだけに、とても印象に残る物語になっています。

アントニーアを見守ることしか出来ない〈ぼく〉ジム・バーデンの目からアントニーアが語られる物語。冒頭で書かれているので書きますが、長い年月を経ての思いがけない二人の再会に、心打たれました。

開拓地が舞台なので、非常に地味ですし、なにか突出して劇的なことが起こる物語でもないのですが、引用した文章からも分かるように風景描写が美しく、全体を包み込むノスタルジーが魅力的な作品です。

アントニーアの人生に興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、拓未司『禁断のパンダ』を紹介する予定です。