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アルフレッド・テニスン(入江直祐訳)『イノック・アーデン』(岩波文庫)を読みました。
文学において小説と同じか、むしろそれ以上に重要なのが詩ですが、残念ながら詩というのはなかなか翻訳の壁を超えられないものです。
単語一つ一つが持つイメージというのは、やはりその言語特有のものですし、韻(最初や最後を同じ音でそろえるもの。ラップをイメージしてもらうと分かりやすいでしょうか)は完全には再現できません。
百人一首の和歌や松尾芭蕉の俳句をたとえ外国語に意味は訳せたとしても、失われてしまうものがたくさんあるのと同じように、外国の詩を日本語に訳した時にも失われてしまうものがたくさんあるのです。
それでもなにか詩を読んでみたい、特に文学史に残っている詩人の詩を読んでみたいという方におすすめなのがフランスの詩人シャルル・ボードレール。代表作は、1857年に発表された『悪の華』です。
悪の華 (新潮文庫)/新潮社
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最も手に取りやすい新潮文庫の堀口大學訳をあげておきましたが、他に岩波文庫の鈴木信太郎訳、集英社文庫の安藤元雄訳、ちくま文庫の阿部良雄訳などがあります。読み比べをしてみても楽しいでしょう。
ボードレールというのはデカダンスな作風の詩人で、デカダンスを説明するのは難しいですが、辞書的に言えば退廃的・虚無的なもの。さらに色々加えるなら耽美・官能・怪奇・病的・異常・悪魔的なもの。
現実をそのまま描くものをリアリズムと言いますが、ボードレールのようなデカダンスな作風の詩人や作家はそれとは反対に、自分の目(主観)である意味では歪んだ世界を詩や小説で描き出したのです。
19世紀末のフランスに起こったそういう、客観ではなく主観を重んじかつ独特の幻想性を持った流れを「象徴主義(サンボリズム)」といいますが、その中でも特にボードレールはインパクトが強い詩人。
どことなくグロテスクなイメージをも感じさせるボードレールの詩は間違いなく読む人を選びますが、単語の選択や詩の内容は今でもとても新鮮で、衝撃を感じさせてくれるので、ぜひ読んでみてください。
ただ、みなさんも「詩的な」という形容を使うことがあると思いますが、その時の「詩」でイメージされるのはボードレールのような攻撃的で悪魔的なものではなく、美しく繊細なものではないでしょうか。
オルゴールの曲に耳をすませてそっと心を動かされるように、美しくどこか物悲しいような詩を読みたい方におすすめなのが1864年に発表されたイギリスの詩人テニスンの『イノック・アーデン』です。
岩波文庫では90ページほどの短い物語詩で、シンプルな筋ながらも描かれている詩的情緒が多くの読者の心をつかみました。今回はぼくの思い入れの強い入江直祐訳を選びましたが、色んな訳があります。
詩なので、色々な翻訳を読み比べたり、むしろ原典を参照しながら読んだりするのがよいと思いますが、読みやすさで言えば、小説家の原田宗典が訳したものが一番おすすめです。岩波書店から出ています。
イノック・アーデン/岩波書店
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小説と比べてなかなか翻訳で楽しむことの難しいのが詩というものですが、興味のある方は19世紀イギリスとフランスの対照的な作風の詩人テニスンとボードレールを読み比べてみてはいかがでしょうか。
作品のあらすじ
100年も前のこと。浜辺の近くには三軒の家があり、三人の子供が暮らしていました。一人は、港きっての器量よしと言われる美しい娘のアニイ・リイ、一人は、粉屋の一人息子であるフィリップ・レイ。
そして一人は、船頭だった親を亡くしたイノック・アーデン。アニイ、フィリップ、イノックはいつも一緒で砂浜で城を作ったり、寄せ来る波と戯れたり、洞穴でおままごとをしたりして遊んでいました。
お嫁さん役をするのはアニイですが、お婿さん役をやる人はフィリップとイノックで毎回変わります。ただ、イノックがお婿さんの役を独り占めしようとして、フィリップとケンカになることもありました。
すると「お願いだからおよしなさい、どっちでもない両方の 可愛いお嫁さんになりますわ」(12ページ)と泣いて止めていたアニイ。
成長して大人になった三人の内、一番先に自分の道を切り拓いたのはイノックでした。漁師になったイノックは、修業を積んで誰もが認める立派な船長になり、小さいながらも住みやすい家を建てたのです。
ある秋の夕暮れに、榛(ハシバミ)の森へ、木の実拾いに行った時。
フィリップが 病床の父を手放しかねて、
だいぶおくれて 丘の頂上に登ってくれば、
だらだら下りの崖の縁の、
谷間の森が そろそろ疎らになるところに、
二人仲よく手をとって イノックとアニイが坐っていた、
イノックの大きな黒い瞳、日焼けしたその顔は、
祭壇に燃えのぼる 清い燈明に照らされたように、
さえざえと 輝いてみえた。
フィリップはじっとみつめながら 二人の顔と眼の中に わが運命を はっきりと読んだ。
二人の頬の寄りあう時、フィリップは呻きながら、
傷ついた獣物のように、こっそりと
森の下生をかきわけて、その身をかくしてしまったのだ。
(15ページ)
村全体に祝福され、イノックとアニイは結婚しました。女の子と男の子にも恵まれ、幸せな七年の月日が流れ去ります。ところがある時、イノックは帆柱からすべり落ちて片足を怪我してしまったのでした。
動けない内に商売敵に仕事を取られ、イノックの一家は困窮に陥ってしまいます。イノックの境遇を知った昔なじみの船長が、はるばる遠い支那に行く船の水夫長にならないかと話を持ちかけてくれました。
そこでイノックは自分の船を売ってアニイに日用品を売る商売をさせることにし、自分は大金を手に入れるために、危険な航海へ繰り出すことを決意したのです。アニイは、夫が行くのを泣いて止めました。
黄金の指輪をわが指に はめてもらったあの日から
今日初めて 夫に背いたアニイだった。
声を荒だてて さからったわけではないが、
色々と訴えたり頼んだり、涙さえとどまらず、
夜となく昼となく 悲しい接吻を繰りかえしたのも、
旅先での様々な 災厄を案じてのことだった。
「もしも あなたの妻と子を いとしいものにお思いなら、
どうぞ行かないで下さい。」と 泣きすがってはみたものの、
「自分一人のためではない。いやいや お前のため、
お前と子供達を思えばこそだ。」と 心の奥ではつらかったが
妻の言葉を聞きながし、かたく決心をまげなかった。
(23ページ)
イノックが旅立ち商売を始めたアニイでしたが、時には必要な嘘もつけないので、商売はうまくいきません。三番目の子供は生まれつき病弱だったこともあり亡くなってしまい、打ちのめされてしまいます。
そんな時に助けてくれたのが、フィリップでした。イノックが旅立ってからずっとアニイの元を訪ねなかったフィリップでしたが、アニイとその子供たちの苦しい状況を見るに見かねて、やって来たのです。
フィリップはイノックが帰って来たら返してくれればいいのだからと子供たちが学校に行くお金を、援助すると申し出てくれたのでした。
イノックは帰らず、消息も知れぬまま十年の時が流れました。イノックとアニイの子供たちはフィリップのことを「フィリップ父さん」と呼んで慕っています。やがてフィリップは、アニイに求婚しました。
「イノックほどに愛されなくても 私は満足です」(47ページ)と。しかしアニイはイノックの生存を諦めることが出来ず、もう一年待ってほしいと答えます。その一年もむなしく過ぎてしまいました。
それでも諦められずもう一月待って欲しいと頼みます。「何時までも、何時までも お待ちしましょう」(51ページ)と言うフィリップ。夫の生死が知りたい、何かお告げがほしいとアニイは思います。
祈りを捧げて聖書を開き、自分の指が指すところを見ると「棕櫚の樹下」とありました。夫は死に、天国で棕櫚の樹下にいるのだと分かったアニイはフィリップと結婚し、子供にも恵まれ幸せに暮らします。
一方、帰りの船で難破し、棕櫚のある小島で艱難辛苦の暮らしを送っていたイノックが長い年月の果てについに故郷へと帰って来て……。
はたして、イノックとアニイ、フィリップの関係の結末はいかに!?
とまあそんなお話です。美しく、どこか物悲しい物語故に、心動かされる素晴らしい作品だと激賞される一方で、陳腐なメロドラマだと言われることもあり、わりと毀誉褒貶は相半ばする作品でもあります。
元々ベタな話が好きなぼくにとっては、忘れられない印象が残る一冊。時代によって評価が分かれる作品ですが、みなさんはどうお感じになるでしょうか。短い作品なのでぜひ実際に読んでみてください。
明日は、戦争が終わったばかりの混乱した時代を舞台にして、テニスンの『イノック・アーデン』と同じテーマを、あえて喜劇として描いたサマセット・モームの戯曲『夫が多すぎて』を紹介する予定です。