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テネシー・ウィリアムズ(小田島雄志訳)『欲望という名の電車』(新潮文庫)を読みました。
物語の内容より役者の演技のすごさが記憶に残る映画があります。1951年に公開されたエリア・カザン監督の『欲望という名の電車』もそういう一本。白黒ですが、機会があれば観てみてください。
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アメリカ南部の裕福な家で育った女性が妹夫婦を訪ねると、妹の夫は労働者階級の男で、みじめな暮らしをしていたので驚きます。そこでしばらく過ごす内に、思いがけない出来事が起こり……という物語。
妹の夫スタンリー・コワルスキーを演じたのは若き日のマーロン・ブランド。名前は知らない方もいるかも知れませんが、コッポラ監督の『ゴッドファーザー』であのドン・コルレオーネを演じた俳優です。
妻の姉から、教養のない野蛮人だと蔑まれる男を演じたわけですが、マーロン・ブランドの野性的な男らしさは映画史上類を見ない迫力で、妻の名を呼ぶ「ステラアアア!」は一度聞くと忘れられません。
訪ねて来る姉ブランチ・デュボアを演じたのはヴィヴィアン・リー。1939年に公開された映画『風と共に去りぬ』で女主人公スカーレット・オハラを演じ、アカデミー主演女優賞を受賞した女優です。
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ブランチは最初はのんびりした、貴婦人のような雰囲気を持ち、妹夫婦の貧しい暮らしを批判的に見ているのですが、次第に隠されていた過去の出来事が明らかになり、ブランチの様子は変わっていきます。
ブランチが抱える狂気を見事に演じ切ったヴィヴィアン・リーの迫力もこれまた映画史上類を見ないもので、ヴィヴィアン・リーはこの作品で二度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞することになりました。
野性的なマーロン・ブランドと狂気のヴィヴィアン・リー。迫真の演技対決は、現在の映画からは感じることの出来ないすさまじさがあります。楽しい物語ではないのですが、ぜひ観てもらいたいですねえ。
さて、そんな映画の原作になったのが1947年に発表されたこの戯曲。ピューリッツァー賞を受賞し、今なお演じられ続けている名作。
作品の背景には、南北戦争後の南部の没落と労働者階級の台頭があります。南部の大農園で育ったブランチは今では一文無しになっているのですが、幸せに生きたいと思い、そうあるべきだと思っています。
だからこそ妹の夫スタンリーを蔑み、妹を劣悪な環境から抜け出させようとするわけですが、やがてはブランチが口にしていたほどんどが虚飾にまみれていたことが、スタンリーに暴かれてしまうのでした。
『風と共に去りぬ』では同じく南部の大農園の娘ながら、厳しい現実に立ち向かうスカーレットを演じたヴィヴィアン・リーが、苦しい現実に打ちのめされるブランチを演じているのがとても興味深いです。
滅びゆきながらも夢を見続ける者と、とことんシビアに現実を見つめている者の対立構造を描いた演劇と言えば、ロシアの劇作家アントン・チェーホフの『桜の園』。読み比べてみるのも面白いでしょう。
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ただ『欲望という名の電車』というのはショッキングな出来事が引き金となって、精神的に追いつめられてしまう物語でもあるんですね。これは『桜の園』には見られない極めて現代的な要素だと思います。
複雑な性質を持っているブランチは感情移入しづらい人物ではありますが、過去の思わぬ出来事がきっかけで現実に打ちのめされてしまった感じは理解できなくもないだけに、とても印象に残る人物でした。
作品のあらすじ
白人と黒人など人種が違っていても親しく話しているようなコスモポリタンな都市ニューオーリアンズに、パーティーに向かう途中のような、真珠のネックレスとイヤリング、白い服の女性がやって来ます。
黒人女と話していたユーニスという白人女性は、まるっきり場違いな格好をしスーツケースを抱えたその女性ブランチに声をけかました。
ユーニス (とうとう)どうかしたの、あんた? 道に迷ったの?
ブランチ (ややヒステリックなユーモアをもって)「欲望」という名の電車に乗って、「墓場」という電車に乗りかえて、六つ目の角でおりるように言われたのだけど――「極楽」というところで。
ユーニス そんならあんたの立ってるところだよ。
ブランチ 「極楽」が?
ユーニス そう、ここが「極楽」さ。
ブランチ じゃあきっと――まちがえたんだわ――番地を。
(中略)
ユーニス だったらもう捜すことないよ。
ブランチ (けげんそうに)妹の家を捜しているんです、ステラ・デュボアの。いえ、いまは――スタンリー・コワルスキー夫人だけど。
ユーニス ここだよ――いま出て行ったとこだけどね。
ブランチ これが――これがほんとうに――妹の家?
(13ページ)
ユーニスはブランチの妹夫婦の上に住んでいる大家だったのでした。ブランチと妹のステラは久々の再会を喜びます。ブランチはギラギラ照らす光の中で顔を見られたくないと、天井の電気を消させました。
突然姉がやって来たことに驚いたステラでしたが、ブランチは教師をしている高校で校長先生が休暇を取らせてくれたのだと言います。ステラの家にはたった二部屋しかないと知って目を丸くするブランチ。
ブランチはステラの夫スタンリーについて色々と聞きます。ポーランド人の血筋で、工兵隊の曹長だったことなど。一方ステラは美しい家を意味する故郷の屋敷ベルリーヴを手放したと聞かされたのでした。
ブランチは次から次へと身内が死んでいき、なにかとお金はかかるばかりで自分一人ではどうしようもなかった、ベルリーヴにいなかったあなたには自分のことを責めることなんかできやしないと言います。
スタンリーが家に帰って来てブランチとあいさつを交わしました。スタンリーは仲間たちを集めてポーカーを始めます。ブランチがラジオをつけると、スタンリーは消せと言い、自らスイッチを切りました。
スタンリーの友達のミッチとブランチは少し話をし、ミッチから好感を持たれて気分がよくなったブランチはラジオをつけて踊りますが、スタンリーがやって来て、ラジオを窓から放り投げてしまいました。
スタンリーをいさめようとしたステラは、暴力をふるわれてしまいます。ステラが妊娠中ということもあり、ブランチはスタンリーの野蛮さを許せませんが、翌日になると妹夫婦は仲直りしていたのでした。
ブランチは目を覚ますように言います。ここから逃げた方がいいと。
ブランチ ちがわないわ、あんたは私よりみじめな境遇にいるのよ! ただあんたはそれに気がついていないだけ。私はこれでもなんとかしようとしている。気をとりなおして新しい生活を切り開こうとしている!
ステラ それで?
ブランチ ところがあんたは負けてしまっている。それではいけないわ。あんた、まだ若いんだし! 脱け出せるわ、いまからでも。
ステラ (ゆっくり、力をこめて)あたしはね、いまなにかから抜け出したいなんて思ってないわ。
ブランチ (信じられずに)な、なんですって?
ステラ つまりね、あたしはいまの境遇から抜け出したいなんて思ってないの。見て、この部屋の散らかりよう! あのあき瓶の山! ゆうべ一晩でビール二箱! あの人は今朝約束したわ、もう家でポーカーは絶対やらないって。もちろんそんな約束、いつまで守れるかあやしいもんだわ。ポーカーはあの人の楽しみなのよ、あたしたちの映画やブリッジみたいに。だからあたし、おたがいに相手の好みは大目に見るべきだと思うの。
ブランチ 私にはわからない。(ステラはブランチのほうにむきなおる)わからないわ、あんたのその無神経なところ。それがあんたの身につけた――東洋哲学?(92ページ)
ブランチは大学時代のボーイフレンドのシェップ・ハントレーと少し前に再会したから、連絡を取ってお金を出してもらって二人でお店をやりましょうと言います。また、ミッチと親しくなっていきました。
ある時のこと。信じれば嘘も真実になるという流行歌「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」をお風呂で機嫌に歌っていたブランチ。
しかし、その外でステラはスタンリーから驚くべき話を聞かされていたのです。それはブランチが暮らしていた町で流れていた噂で……。
はたして、スタンリーが聞き込んで来た、ブランチの噂とは一体!?
とまあそんなお話です。明るく楽しい雰囲気のジャズ・ナンバーである「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」の後ろで、悲劇的な展開が始まりつつあるというのが、とにかくもうすさまじいですよね。
常に美しくありたいブランチ。明るい電気の下には立たず、本当の年齢を言いません。学校から休暇をもらって来たといい、かつてのボーイフレンドが今なお自分に夢中で、未来は明るいと言っていました。
スタンリーによって暴かれるブランチの過去とは一体なんなのでしょうか。そしてそれが暴かれてしまうことによってどんなことが起こるのでしょうか。気になってしまった方は、ぜひ読んでみてください。
読んでも楽しめる作品ですが、迫力がすごい映画を観るのもおすすめですし、機会があれば、舞台を観にいってみてはいかがでしょうか。
明日は、新編日本古典文学全集『和泉式部日記/紫式部日記/更級日記/讃岐典侍日記』の中から、「紫式部日記」を紹介する予定です。