残雪『暗夜』/バオ・ニン『戦争の悲しみ』 | 文学どうでしょう

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暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-6)/河出書房新社

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残雪(近藤直子訳)『暗夜』/バオ・ニン(井川一久訳)『戦争の悲しみ』(河出書房新社)を読みました。池澤夏樹個人編集=世界文学全集の一冊です。

まず初めにざっと映画のタイトルをあげてみます。映画好きの方は、共通点を探してみてください。カッコの中はアメリカでの公開年度。

『地獄の黙示録』(1979年),『プラトーン』(1986年),『フルメタル・ジャケット』(1987年),『グッドモーニング, ベトナム』(1987年),『7月4日に生まれて』(1989年)。

どれか一作でもご覧になった方はもうお分かりですね。そう、ベトナム戦争を描いた作品です。映画史に残る名作ばかりですが、どれも重い作品なので、観る時にはそれなりの覚悟をして観てみてください。

やはりこうしたハリウッド映画の印象は強いので、みなさんも「アメリカから見たベトナム戦争」のイメージをお持ちだろうと思います。

当時、冷静状態にあった資本主義の国であるアメリカと共産主義の国であるソ連の代理戦争という側面が大きかったのがベトナム戦争。アメリカは軍事介入することで問題の早期解決を目指すつもりでした。

ところが、ゲリラ戦へと持ち込む「ベトコン」と呼ばれていた南ベトナム解放民族戦線相手に苦戦を強いられて、ベトナム戦争は、勝者のいない戦争と言われるまでに、泥沼化していくこととなったのです。

アメリカにとってベトナム戦争は、自国を戦場にした戦争ではなかったので、ベトナム戦争に派遣され心が傷ついた兵隊たちと、アメリカで暮らしていた人々との間には温度差が生まれることとなりました。

そうしたベトナム帰還兵の心の傷を描いた映画にも名作が多く『タクシードライバー』(1976年)、『ディア・ハンター』(1978年)、『ランボー』(1982年)シリーズが特に知られています。

映画としてずば抜けて面白いのが、若き日のロバート・デ・ニーロと少女時代のジョディ・フォスターが共演しているマーティン・スコセッシ監督作品『タクシードライバー』。まだ観ていない方は、ぜひ。

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タクシードライバーをしているベトナム帰還兵トラヴィス。世の中は間違ったことばかりだと思っている彼は若い娼婦と出会ったのをきっかけに自分の目指す正義のために立ち上がろうとするのですが……。

それがいいことかどうかはともかく、共感しやすいというか、伝わってくるものが多い作品。拳銃を持ちながら鏡越しに自分に語りかける場面は、映画史上屈指の名場面と言われ、よくパロディされたりも。

そんな風にハリウッド映画などでは、「アメリカから見たベトナム戦争」として、アメリカが抱えたトラウマが描かれてきたのでした。では、「ベトナムから見たベトナム戦争」はどうだったのでしょうか?

そんな観点に興味のある方に、ぜひ読んでもらいたいのが、今回紹介するベトナムの作家バオ・ニンの『戦争の悲しみ』で、ベトナム人民軍に入って、アメリカ軍と戦った自身の実際の体験を元にした小説。

どちらが正しいかで語れないのが戦争というもので、アメリカに対する憎しみが描かれているというよりは、戦争によって歪められた主人公の人生そのものが描かれているという感じの物語になっています。

アメリカ軍と戦った側からベトナム戦争が描かれるというテーマ自体が非常に興味深いですが、何より小説として素晴らしい作品でした。

戦争が舞台なので、思わず目を背けたくなる残虐なシーンも多いですし、時系列が複雑で読みづらいですが、全体を通して愛と哀しみの物語になっていて、読む人の心を揺り動かさずにはおかない傑作です。

主人公のキエンは17歳の時に戦争に行き、10年後に帰って来ます。幼馴染の恋人フォンと再会し、一緒に暮らし始めるも別れ、フォンのことを忘れられないまま10年ほど後に小説を書き始めて……。

内容はそれだけのシンプルなものですが、若い時から中年まで順番に描かれていくのではなく、話はあちらこちらに飛ぶんですね。別れることは分かっていても、その理由が後から語られたりするわけです。

フーガのように同じ旋律が何度も繰り返される感じの美しい作品。事実は確定していても語られる出来事で事実そのものの見え方が変わってくるというミステリ的な面白さのある作品でした。おすすめです。

一方の残雪は中国の村を舞台にカフカ的な「不条理」世界を作り上げたことで評価された中国の作家。『暗夜』は短編集になっています。

作品のあらすじ


残雪『暗夜』


『暗夜』には、「阿梅、ある太陽の日の愁い」「わたしのあの世界でのこと――友へ」「帰り道」「痕」「不思議な木の家」「世外の桃源」「暗夜」の7編が収録されています。

「阿梅、ある太陽の日の愁い」

〈わたし〉は、爆竹で遊んでいる、父親と同じで尻が大きい大狗のことをしかりつけます。大狗は鼻の穴をほじって逃げ出していき、またどこかで爆竹を鳴らし始めました。〈わたし〉は綿で耳栓をします。

〈わたし〉が大狗の父親老李と結婚したのは八年前のことでした。しょっちゅう母の所へやって来てはこそこそ相談していた老李からある日突然結婚を申し込まれて、〈わたし〉は吹き出してしまって……。

「わたしのあの世界でのこと――友へ」

真夜中、どしゃぶりの雨の中、庭へがやがやと人が現れ樟(くすのき)を掘り起こし始めました。それは昨日〈わたし〉の部屋へ突然やって来て、油桐を植えるんだ! と騒ぎ始めたおかしな人々で……。

「帰り道」

このあたりのことをよく知っている〈わたし〉は、暗闇の中を歩いていき、一軒の家に着きました。明るくなってから帰ると言いますが、あるじは夜が明けることなどはとうになくなっていると言って……。

「痕」

むしろ織りの痕の所へ、不思議な買い付け人がやって来ました。普通よりも高く買って、誰も行かない山の中へと入っていくのです。買い付け人のおかげで痕一家は次第に裕福になっていったのですが……。

「不思議な木の家」

木でできたその建物は背が高く上半分は霧に隠れています。〈わたし〉はひたすら階段をあがっていきますが、各階ごとにある二戸の住居はどれも戸がしまっていたのでした。やがて最上階に着いて……。

「世外の桃源」

古くから村に伝わる伝説として語られる世外の桃源。一番詳しいのは90歳の老人の萕四爺でしたが、子供たちは誰もその話を信じようとしません。ただ一人、浮浪児の少年苔だけは真剣に耳を傾けて……。

「暗夜」

斉四爺がついに猿山に連れていってくれるというので、〈ぼく〉は大喜び。猿山は隣の烏県にあり、歩いて三日はかかる行程です。夜更けに出発した〈ぼく〉と斉四爺はまっくら闇の中を歩いていきました。

昨日、猿山に行くことを自慢したら、友達に馬鹿にされた〈ぼく〉

「猿山ってなんだ? 猿山なんてありはしない!」彼らはきっぱりといった。「あのじいさんに騙されているのさ」
 あのときぼくは傲慢にも連中は馬鹿だと思い、面倒くさくて説明もしなかった。これからは連中とこういう話をするのはよそう、腹が立つだけだからと誓いさえした。猿山はぼくと斉四爺の間の永久の話題なのだ。彼の家で過ごしたあの晩、彼はぼくにこの話をしてくれた。それは普通の猿山ではない。山の上の猿も本当の猿ではなく、人間と猿の中間の動物なのだという。身体には毛が生えているが、頭はつるつるで、しかも大きい。いちばん不思議なのは、その猿たち相互の間には、われわれが聞いてもわからない複雑な言語の交流があることだ。もし春のある日に猿山に行けば、数匹の猿が突然口を開き、人語で話しかけてくることだろう。
(136~137ページ)


期待に胸を膨らませて夜道を歩き続ける〈ぼく〉ですが、何も見えないまっくら闇の中で、次々と不思議な出来事が起こっていって……。

バオ・ニン『戦争の悲しみ』


こんな書き出しで始まります。

 戦後初めての乾季が、遅ればせながら静かな足音を立てて、B3戦区北部地域にやってきた。九月、十月、十一月は過ぎ去った。しかしポコ河の両岸には、雨季にあふれた水がまだ残っていた。天候は相変わらず不安定だった。昼間は晴、夜間は雨。小雨だが雨……雨……その中に山々はかすみ、遠くの峰がぼやけて見える。木々は濡れそぼち、森は静まり返っている。その森からは昼夜の別なく水蒸気がもくもくと立ちのぼり、海中のような青っぽい大気の中に腐葉土の匂いが漂う。(177ページ)


キエンは部下のティンのことを思い出します。ティンが肉を食うために大きな猿を撃ち倒すと、それは灰白色のざらざらした肌を持つ太った女性だったこと。やがてキエン以外の小隊の兵士は皆死にました。

脱走したカンのこと。人を殺し続けていたら人間らしさがなくなる、「俺は毎晩、自分の死ぬ夢を見るんだ。俺の魂が体から抜け出して、人の血を吸う魔物になるんだ」(196ページ)と姿を消したカン。

部下たちが少女たちと恋に落ちたのを黙認していたら、やがてスパイ兵たちに少女たちがさらわれて、無残な結果を引き起こしてしまったこと。10年の壮絶な経験を経て、28歳の時戦争は終わりました。

40代のキエンは小説家になっており初めての長編小説に取り掛かっています。しかし小説はなかなかうまく書き進められないのでした。

 ともあれ、この小説を書き始めて以来、キエンはただ一本のロープにすがって断崖にぶら下がっているような心境だった。書くことが自分の宿命なのだと信じながらも、彼はその宿命を成就するための自分の頭脳の明晰さを疑っていた。(中略)彼の小説は、しょっぱなからヴェトナム文学の伝統的な叙述形式を逸脱し、作品の中の時間と空間は不合理にかきまぜられ、物語の筋は乱れ、登場人物の人生は偶然性に委ねられることになった。どの章でも、キエンのペンは勝手に動いた。そのペンの描く戦争は、彼の同胞すら知らぬ戦争、彼一人の戦いのようだった。彼は書きながらその戦いに身を投じた。それは孤独で、超現実的で、キエンだけの情念と感覚に突き動かされた戦い、従って当然のことに過誤に満ちた戦いだった。(231~232ページ)


抗米戦後、ハノイへ帰郷したキエンは思いがけず、幼馴染の恋人フォンと10年ぶりに再会を果たし、ともに暮らし始めました。ずっとお互いを想いあっていた二人は、もう二度と離れないと誓ったのです。

しかしやがてフォンは「あなたとの間には小石があるだけで、そんなものは簡単に乗り越えられると思ってたけど、実際にあったのは小石じゃなくて山だったわ」(271ページ)と言い去っていきました。

小説に取り組むキエンは、戦争の思い出が頭から、フォンへの想いが心から離れません。画家だった父がアトリエとして使っていた屋根裏に住んでいる、口のきけない女性の所に、酔うと夜訪ねていきます。

その娘はキエンが自分を誰かと混同していると気付きますがキエンの「永遠に続くかと思われる長くて恐ろしくて、しかし彼女には明確な全体図が読み取れない話」(310ページ)に耳を傾けるのでした。

キエンが17歳の時に父が死にました。「あんたのお父さんが亡くなってから、あたしはあんたを本気で愛するようになった。そして、なぜ愛してるのかがわかってきたわ」(344ページ)と言うフォン。

当時の国情では認められていなかったキエンの父は、亡くなる時に、自作の絵をすべて燃やしたのですが、その気持ちが分かるというんですね。フォンは、自分自身が時代にあわない人間だと気付いたから。

フォン曰く時代に適応できるキエンは人民軍へ志願します。それを聞いたフォンは「あたし、今から、今夜から、あんたの妻になるの。あんたと一緒に歩くの」(347ページ)と言っていたのですが……。

とまあそんな2編が収録されています。残雪は、カフカと比較されることの多い作家ですが、カフカというのは、ぼくの印象では、土地性や感情など、どろどろしたものがあまりない作風だと思うんですよ。

残雪はカフカのようにどこか現実とは違う、異質な世界を作り上げていることは確かですが、あくまでちゃんとした生活が中心となっている部分があって、カフカほどの「不条理」性はないかも知れません。

読んでいてわりと連想させられたのは、むしろラテンアメリカ文学の持つ不思議さ、濃厚さで、そういった点では神話の持つ幻想性を取り込んだような「マジックリアリズム」の技法に近いものがあります。

最も面白かったのは、表題作の「暗夜」で、暗闇が持つイメージの喚起力は、これほどまでにすごいのかと、改めて気付かせてくれるような作品でした。不思議な雰囲気の短編を読みたい方におすすめです。

中国とベトナムの作家が収録された巻。日本ではアジアの小説はかえって読まれていないので、機会があれば、ぜひ読んでみてください。

明日は、小川洋子『妊娠カレンダー』を紹介する予定です。