小川洋子『妊娠カレンダー』 | 文学どうでしょう

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妊娠カレンダー (文春文庫)/文藝春秋

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小川洋子『妊娠カレンダー』(文春文庫)を読みました。芥川賞受賞作です。

描かれているのはわりとよくある風景でしょう。姉夫婦と同居する大学生の妹が、妊娠した姉との日々について記録した物語で、妊婦の姉はつわりで苦しんだり、その後は逆に太りすぎて心配したりします。

目立った出来事は起こらず、描かれているエピソードの一つ一つも目新しいものではなく、ただ淡々と過ぎていく姉の妊婦生活が描かれた小説なのですが、やはり小川洋子ならではの世界が作られています。

たとえば、姉がつわりで苦しむ場面の描写を紹介したいと思いますが、ちょっとグロテスクな感じもあるので、そういうのが苦手な方や、グラタンが好きな方はここは飛ばして読むのをおすすめします。

「もう食べないの?」
 わたしが聞くと、姉はうんとうなずいて頬杖をついた。
 ストーブの上でやかんがしゅんしゅん鳴っていた。姉は無口にわたしを見ていた。仕方なく、わたしは一人で続きを食べた。
「グラタンのホワイトソースって、内臓の消化液みたいだって思わない?」
 姉がつぶやいた。わたしは無視して氷水を一口飲んだ。
「その生温かい温度とか、しっとりとした舌触りとか、ぽたぽたした濃度とか」
(中略)
「マカロニの形がまた奇妙なのよ。口の中であの空洞がぷつ、ぷつ、って切れる時、わたしは今、消化管を食べてるんだなあという気持ちになるの。胆汁とか膵液とかが流れる、ぬるぬるした管よ」
 わたしは姉の唇からこぼれ落ちてくるいろいろな種類の言葉を、哀しい気持ちで眺めながら、スプーンの柄を指先で撫でていた。姉は好きなことを喋りたいだけ喋ると、ゆっくり立ち上がって部屋を出ていった。冷えたグラタンが、テーブルの上で白い塊になっていた。(22~23ページ)


そんな具体的にグロテスクなイメージをあげられたら、読んでいるだけのこちらまでグラタンを食べられなくなってしまいそうですが、こうした描写を読んでみてみなさんはどんな感じを受けたでしょうか?

つわり自体は妊娠のエピソードとして珍しくありませんし、それによってまわりの人が振り回されるというのもまああることでしょう。しかしここでは、どこか異質な雰囲気が生まれているように思います。

小川洋子は匂いなど感覚に対するずば抜けた言葉のセンスで紡がれる文章そのものに魅力のある作家ですが、姉の妊娠にまつわる一連の出来事は、ごくありふれた風景でありながらも、どこか変なんですね。

妊娠というのは、夫婦にとっては喜びの象徴であり、あるいは夫婦でない間柄の男女ならば、困難の象徴になるかもしれませんが、ともかく、妊婦とまわりの人に大きな感情の変化をもたらすものでしょう。

しかし、姉夫婦からは妊娠に対して喜び、あるいは不安が感じられず、それ故に主人公である妹も姉の妊娠を喜んでいいのか、どんな風に受け止めればいいのか分からないまま日々は過ぎていくのでした。

義兄が姉の妊娠を知っているかどうかで迷い、姉夫婦におめでとうと言いそこねた妹は「おめでとう」の意味を辞書で確認してみたほど。

この小説は本来ならば喜びあるいは不安のイメージを抱くはずの妊娠を、感情的なものから切り離された、極めてニュートラルな出来事として描いた作品で、そうすることで異質な雰囲気が生まれています。

期待や喜びなど興奮した感情のないニュートラルな目線で見れば、妊娠は楽しいばかりの出来事ではなく、観察すれば観察するほど妊娠という出来事が持つ非日常性はどんどん浮かび上がってくるのでした。

ありふれた風景を描きながらそこに異質感を持ち込み、読者をぞくぞくさせる読みようによっては怖い物語に仕上げた手腕は、もう見事と言う他ありません。一度読んだら忘れらない印象の残る作品でした。

作品のあらすじ


『妊娠カレンダー』には、「妊娠カレンダー」「ドミトリイ」「夕暮れの給食室と雨のプール」の3編が収録されています。

「妊娠カレンダー」

十二月二十九日(月)二年間つけ続けていた基礎体温のグラフを持って姉が病院にいって、妊娠二ヶ月であることがはっきりしました。姉が選んだのは子供の頃遊び場にしていた、古くからあるM病院です。

〈わたし〉は両親を亡くして姉夫婦と同居しているので、姉と義兄と三人でとる朝食の席で、姉の妊娠についてこんなことを考えました。

 きのう産婦人科に行ったことで、姉は正式に妊婦になったのだが、特別変わった様子は見せなかった。喜ぶにしても戸惑うにしても、もっと興奮すると思っていたので、意外だった。いつもはちょっとした変化、行きつけの美容院が店じまいしたとか、隣の猫が老衰で死んだとか、水道工事で一日断水したとか、そんなささやかな出来事にひどく動揺し、神経を乱されて、すぐ二階堂先生の所へ駆け込むというのに。
 姉は妊娠のことを、義兄にどう話したのだろうか。あの二人が、わたしのいない所でどんな会話をしているのかよく分らない。大体わたしには、夫婦というものがうまく理解できないのだ。それは何か、不可思議な気体のように思える。輪郭も色もなく、三角フラスコの透明なガラスと見分けがつかない、はかない気体だ。
(18ページ)


典型を嫌っている姉は「わたしはつわりになんかならないわ」(21ページ)と豪語していましたが、匂いが駄目でほとんどのものが食べられなくなり、クロワッサンだけを少しずつ食べるようになります。

〈わたし〉は赤ん坊について具体的なイメージが出来ないでいました。姉夫婦がまったく赤ん坊のことを話題にしないからかも知れません。つわりが終わると、今度は姉はたくさん食べて太り始めました。

しかも変なものを食べたがって、雨の降る夜に突然枇杷(びわ)のシャーベットが食べたいと言い出し〈わたし〉と義兄を困らせたりも。

〈わたし〉はスーパーでバイトをしているのですが、ある店員がワゴンを運ぶ時に、卵のケースを壊してしまいました。卵がかかって売り物にならなくなったグレープフルーツを、たくさんもらって来ます。

グレープフルーツを煮込んでジャムを作りながら〈わたし〉は、ゼミの友達に無理矢理連れて行かれた『地球汚染・人類汚染を考える会』の会合でもらったパンフレットに載っていたことを思い出して……。

「ドミトリイ」

夫が仕事でスウェーデンに行っており一人で暮らしている〈わたし〉の所に、歳の離れたいとこから電話がかかって来ました。四月から大学生になるのでかつて〈わたし〉がいた学生寮を紹介してほしいと。

〈わたし〉は六年ぶりに、寮生から「先生」と親しまれていた個人が運営する学生寮に連絡をしてみます。すると先生は学生寮は以前とは違う、複雑で困難な状況にあると、不思議なことを言ったのでした。

寮生が減って、食堂のコックには暇を出さざるをえず、風呂は一日おき、イベントは廃止されたと聞いた〈わたし〉は先生を励まします。

「そう、その通りです。こういう具体的な変化自体は、何の意味も持っていない。今喋ったことは、わたしがあなたに本当に伝えなければならないことの一番外側にある、頭蓋骨みたいなものです。問題の本質は、大脳の奥の小脳の奥の松果体の奥の髄に隠されているのです」
 先生は言葉を選びながら慎重に喋った。わたしは小学校の理科の教科書に載っていた『脳の構造』というページを思い出しながら、学生寮の陥っている状況について何とか理解しようとしたが、無理だった。
「これ以上、わたしには何も言えません。とにかくこの学生寮は、ある特殊な変性を遂げつつあるのです。しかしそれは決してあなたのいとこのような入寮希望者を、拒む種類のものではありません。ですからどうぞ遠慮なさらずにいらして下さい。本当はわたしはうれしいのです。あなたが学生寮のことを忘れずにいてくれて。いとこの方に戸籍謄本と大学の入学証明書を持って、あっ、それから保証人のサインを添えて、こちらにいらっしゃるようお伝え下さい」
「はい」
 わたしはあいまいな気持ちのままうなずき、受話器を置いた。(87ページ)


いとこの入寮をきっかけに、理由は聞いていませんが両手と右足がない先生と、〈わたし〉は再び交流をするようになったのですが……。

「夕暮れの給食室と雨のプール」

〈わたし〉は彼との結婚をみんなから反対されていました。一度結婚に失敗しており、十年も司法試験に落ち続けている、歳が離れすぎた相手だったから。それでも二人は新居を決めて、引っ越したのです。

〈わたし〉が浴室のペンキを塗り替えている時にやって来たのは、三歳ほどの子供を連れた三十代と思しき男。雨の中、おそろいのレインコートを着てやって来た二人は、どうやら宗教勧誘員のようでした。

やがて飼い犬のジュジュと散歩に出かけた時、給食室が見える小学校の裏門近くで親子と再会し、何回か顔をあわせる内に、男から給食室とプールにまつわる少し不思議な話を聞かされることとなって……。

とまあそんな3編が収録されています。独特の感性で紡がれる小川洋子の物語世界は、まさに好きな人は好き、嫌いな人は嫌いという感じだろうと思いますが、ぼくは好きなので、とても面白い一冊でした。

普通の小説と違って、簡単に伝えられるあらすじのようなものはほとんど何もないのですが、それこそまさに小川洋子の魅力で、なにげない日常風景に、ほんのちょっとの異質さを忍び込ませているのです。

引用した場面で面白そうだと思った方も多いだろうと思うのですが、学生寮をめぐるやや奇妙な物語「ドミトリイ」も実に面白い短編で、「複雑で困難な状況」がどんなものかぜひ覗いてほしいと思います。

巧みな比喩など小川洋子の文章技法は、リチャード・ブローティガンを思わせるものですが、同じくブローティガンを連想させるのが村上春樹。なので、小川洋子は村上春樹が好きな方にもおすすめですよ。

明日は、笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』を紹介する予定です。