堀辰雄『幼年時代・晩夏』 | 文学どうでしょう

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堀辰雄『幼年時代・晩夏』(新潮文庫)を読みました。

「6夜連続、ジブリ映画『風立ちぬ』公開記念、堀辰雄特集」第5夜の今回は、堀辰雄の自伝的作品を集めた短編集を紹介します。

小説家というのは観察眼が鋭く、また感受性豊かな人が多いですから、誰かに甘えられるという大人にはない喜びがあったり、ささいなことで傷ついたりする子供時代を回想した物語は傑作ぞろい。

特におすすめしたいのが、中勘助の『銀の匙』。大正時代の作品なので、時代背景としては少し馴染みにくいだろうと思いますが、子供ならではの世界がとても美しく描かれている、唯一無二の名作です。

銀の匙 (岩波文庫)/岩波書店

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堀辰雄が師と慕った詩人・小説家の室生犀星にも、子供時代を描いた素晴らしい作品があります。『或る少女の死まで 他二篇』に収録されている「幼年時代」「性に眼覚める頃」です。

或る少女の死まで―他二篇 (岩波文庫)/岩波書店

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文章の美しさや、複雑な家庭環境など、堀辰雄の「幼年時代」と重なる部分も多いので、機会があればぜひ読み比べてみてください。

そして、昭和に入ってからの名作には、井上靖の『しろばんば』があります。ひいおじいさんのお妾さんと土蔵で暮らす少年の物語。

しろばんば (新潮文庫)/新潮社

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以上のどの作品も、子供には分からない大人の世界がある一方で、子供の目にしか見えない、きらきら光る世界が描かれているのが魅力的な作品ばかり。何度読んでも心に染み入る感動があるので、ぜひ。

ややベタな感じはありますけれど、夏休みの読書感想文などにもよいのではないでしょうか。核家族化が進み、都市化されてしまった現代日本にはない風景が広がっている面白さがあるかと思います。

さて、堀辰雄の「幼年時代」は、ずば抜けた傑作というわけではありませんが、独特の詩的感性が光るなかなかに面白い作品で、何より堀辰雄自身の自伝的内容が多く含まれていることに価値があります。

実は堀辰雄はかなり複雑な家庭環境で育っているんですね。

「幼年時代」ではそのことについてはあまり語られず、小学校に入ると違う名字を名乗らされるなど、不思議なことがあるだけですが、父母について随筆的に綴った「花を持てる女」でそれが明かされます。

言わば、堀辰雄の知られざる一面を覗くことの出来る一冊になっているので、堀辰雄ファンの方は、ぜひ手に取ってみてください。

「幼年時代」で最も印象に残るのは、無花果(イチジク)の木のエピソード。少年の家の庭には無花果の木があるんですね。友達と馴染めず、少年はいつもその木のそばで一人で遊んでいました。

男の子らしい遊びは苦手なので、ままごとをする女友達が何人か出来ますが、ささいなことでぶつかり、遊びに来てくれなくなってしまいます。すると少年は、まだ青い無花果の実を見てこう思うのでした。

「みんなで楽しみにしていたその実がいくらたんと熟っても、残らず自分一人で食べてしまうから。誰にだって分けてやりあしない」(34ページ)と。それが彼女らに対する仕返しなんだと。

ところが、それだけ楽しみにしていた無花果は、雨が続いたことで駄目になってしまうのです。雨が降り、誰も遊びに来ず、一人ぼっちの少年は窓ガラスに息をふきかけて、模様を描いて遊んでいました。

 そんな硝子の模様は、あたかも私自身のいる温かい室内の幸福を証明しているかのように、いつまでも残り、それに反して、それ等を透かして見えている雨にびしょ濡れになった無花果の木をば、一層つめたく、気持わるそうに私に思わせていた。その無花果の木は、漸っと大きく実らせた果を、私達に与える前に、すでに腐らせ出していた。……(41ページ)


きらきらした期待がたくさん詰まった無花果の実が、腐ってしまうこと。それはとてもショッキングな、グロテスクなイメージですよね。

この無花果の実に象徴的に表されていますが、堀辰雄は子供時代をメルヘン的な、美しく楽しいことばかりの時代とはとらえておらず、残酷さ、グロテスクなイメージも含ませながら描いているのです。

そうした小説家ならでは、そして堀辰雄ならではの観察眼、感受性で幼少の頃の思い出が紡がれた短編集です。

作品のあらすじ


『幼年時代・晩夏』には、「幼年時代」「三つの挿話」(「墓畔の家」「昼顔」「秋」)「花を持てる女」「晩夏」「朴の咲く頃」の5編が収録されています。

「幼年時代」

母と暮らしていた〈私〉は、彫金師の父と一緒に曳舟通りに近い、路地の奥の新しい家に住むようになりました。おばあさんは離れて暮らすようになりましたが、時折訪ねて来てはやさしくしてくれます。

〈私〉の家の前には広い空地があり、そこに近所の子供たちが集まって遊んでいました。しかし内気な〈私〉はうまくみんなの輪に入ることが出来ないでいます。遊び方が分からないからと言って。

ある時、お竜ちゃんという女の子が一緒に遊ぼうと声をかけてくれましたが、〈私〉は断り、みんなが遊ぶのをぼんやり眺めていました。

 そんなときの私の幼い顔つきを、――その後、大きくなってからも、ときどき何かのはずみに――丁度そんな幼時の自分の場合に似て、半ば自ら好んでだが、一人きりみんなから仲間はずれにされているような場合に、――私はふいに自分がそんな幼い顔つきをしているのを感ずることがある。そういう場合に、すっかり大人寂びた私にまで、何となく無性に悲しいような、それでいて何んともいえずなつかしい、誰かに甘え切りたいような気のされるのは、思えば、それはこういう自分の幼時に屡〻経験された、切ない感情の思いがけない生れ変りに過ぎないのだということが、いま漸く、私にはっきりと分かって来る。……(25ページ)


それから、お竜ちゃんは時折遊びに来てくれるようになり、よく2人で遊ぶようになりましたが、とにかく気まぐれな少女で、やさしいかと思えばすぐ冷たくなったりし、〈私〉は翻弄されてばかり。

やがて〈私〉には、たかちゃんというもう一人の女友達が出来ました。とても大人しくやさしい少女ですが、お竜ちゃんほどてきぱき何でも出来るわけではないので、〈私〉は気に入りません。

ままごとで、〈私〉の世話を焼こうとすることにもいらいらしますが、やがて「いまはちょっと出来にくくなったような幼い日の仕草を再び繰りかえす事」(36ページ)に喜びを感じるようになります。

お竜ちゃんやたかちゃんら女友達と遊びながら、楽しい幼年時代を過ごした〈私〉でしたが、やがて乱暴な子供たちがたくさんいる幼稚園や小学校に行かなければならなくなって・・・。

「三つの挿話」

3つのエピソードを収録。子供たちが赤鬼、青鬼というあだ名で怖れていたじいやのいる寺を駆け抜けた時の話「墓畔の家」。おばさんの家でいとこのお照と、亡くなった叔父のことを思い出す話「昼顔」。

ロシアの作家ツルゲーネフの『猟人日記』に憧れて狩りに行き、窓辺に立つ17、8の美しい少女を見かける話「秋」の3編です。

「花を持てる女」

妻を連れて、関東大震災で亡くなった母の墓参りに行った〈私〉は、家族の墓のそばにどうやら子供の墓らしき小さな墓石を見かけました。しかし、一体誰のものなのかはよく分かりません。

やがて父が急に倒れ、お金を送らなければならないこともあって、〈私〉は続き物の小説の仕事を引き受けることにしたのでした。

そのとき私はいまの自分の気もちに一番書きよさそうなものとして、自分の幼時に題材を求めた。一度は自分の小さいときの経験をも書いてみようと思っていたし、すこしまえにハンス・カロッサの「幼年時代」を読み、彼がそれをただ幼時のなつかしい想起としてでなしに、そこに何か人生の本質的なものを求めようとしている創作の動機に非常に共鳴していたので、こんどの仕事にはそう期待はかけられなかったが、とにかくそういうものへの試みの一つとしてやれるだけのことはやってみようと考えたのだった。
 「幼年時代」はそうして書きはじめたものなのである。
(102ページ)


一度は持ち直したものの、とうとう父が亡くなり、百箇日の法要を終えた時のこと。〈私〉はおばから話しておきたいことがあるからその内家に寄ってくれと言われます。

しばらくしておばの家を訪ね、父が本当の父ではなかったことを知らされた〈私〉は、初めて自分の生い立ちの話を聞いて・・・。

「晩夏」

軽井沢は長年訪れているので、来年の夏を過ごすにふさわしい他の場所はないかを探しに〈私〉は妻と旅に出ることにしました。〈私〉たちは、野尻湖を訪れ、レイクサイド・ホテルに泊まります。

そこは外国人が多く訪れる場所で、外国人客の関係性について〈私〉と妻で話し合ったりします。天気の悪い日は部屋で本を読み、天気のいい日は散歩に出かけるという生活を送る2人。

やがて〈私〉たちは、掘立小屋のそばに焚火の跡を見つけて・・・。

「朴の咲く頃」

〈私〉と妻は画家の深沢さんを連れて、〈私〉が昔よく訪れていた村へ来ていました。真っ白な朴(ほお)の木が花を咲かせています。

宿の主の不二男さんと、この辺りに別荘を持つ昔の知り合いの近況について話していると、日向さんの別荘の番をしていた、怖い印象のある爺やの話になりました。不二男さんは急に真顔になります。

「私なんぞも、これまであの爺やは飲んだくれで、因業な奴だとおもっておりましたけれど、死んでからいろいろ話を聞いてみると、かわいそうな爺やでした。……」(161ページ)と話が始まり・・・。

とまあそんな5編が収録されています。「幼年時代」「三つの挿話」「花を持てる女」がひとまとまりで出版されていたようで、作者による注は巻末ではなく、「花を持てる女」の後ろにあります。

物語として描かれた「幼年時代」とは対照的に、「花を持てる女」では、随筆あるいは実録(ノンフィクション)に近い筆致で、淡々と自分の父母について綴られています。対になる作品と言えるでしょう。

やはり印象に残るのが「幼年時代」で、主人公はおそらく普通の人よりもナイーヴな少年だと思いますが、子供時代に誰もが感じたであろう喜びや不安が巧みに描かれていて、面白かったです。

興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

「6夜連続、ジブリ映画『風立ちぬ』公開記念、堀辰雄特集」も明日がいよいよ最終夜。王朝小説集『かげろふの日記・曠野』を紹介する予定です。