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等伯 〈下〉/日本経済新聞出版社
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安部龍太郎『等伯』(上下、日本経済新聞出版社)を読みました。直木賞受賞作です。
『等伯』は、安土桃山時代(織田信長・豊臣秀吉が政権を握っていた時代)に活躍した絵師、長谷川等伯(はせがわとうはく)の生涯を描いた物語です。
安土桃山時代の絵師と言えば、おそらく真っ先に名前が上がってくるのは、狩野永徳(かのうえいとく)ではないかと思います。
狩野派の障壁画(しょうへきが。ふすまや天井など、室内に描かれた絵)は、豪華絢爛なのが特徴的で、濃絵(だみえ)といって、金箔の上に彩色する技法を使っているんですね。
一方、長谷川等伯の代表作である「松林図屏風」は、水墨画なので、一見非常に地味なもの。
それだけに、技法よりも、その絵が描かれるに至った境地が際立っていると、そんな風に、高く評価されているようです。
もう数年前になりますが、2010年に東京国立博物館で、「没後400年 特別展 長谷川等伯」が開かれました。
ちょうどぼくが博物館学芸員の資格を取るための科目を色々受けてた頃で、授業のレポートを書くために、たまたま観に行ったんです。
ただ、人物画が多く、色彩豊かな西洋絵画と比べると、長谷川等伯の作品というのは、非常に地味なタッチで、松などの植物が描かれているだけなので、正直よさがよく分かりませんでした。
これはぼくだけでなく、会場に来ていたお客さんの雰囲気も大体そんな感じだったように思います。
もしかしたら、長谷川等伯がどんな人生を歩んだ絵師だったのかを知っていれば、また違った見方が出来たかも知れません。
狩野永徳と長谷川等伯のことを、詳しくはないものの、ぼくもそれぞれ別々に知っていましたが、実は同世代で、まさに真っ向からぶつかり合っていたらしいんです。
幅広い人脈を持ち、技法に優れた狩野永徳に対し、千利休と交流を持ち、禅の修行などもしながら、独自の画風を編み出そうとした長谷川等伯。
狩野派との軋轢があり、その圧力を受けながらも、長谷川等伯は自分の目指す絵を求め続けていくのです。
勿論、歴史小説というのはあくまでフィクションですから、長谷川等伯が実際に、どういう思いで絵を描いていたかは分かりません。
ただ、『等伯』では、迷い苦しみながらも、自分の絵に必死で取り組む長谷川等伯の姿がしっかりと描かれていて、「ああ、まさにこんな感じだったのだろうな」と思わせてくれます。
とても説得力のある作品なんです。悟りを得るための仏道修行を思わせるほど、芸術に一心不乱に打ち込む長谷川等伯の姿に、ぐっと来ること請け合いの小説ですよ。
また、織田信長の比叡山焼き討ちや、千利休の切腹、豊臣秀吉の朝鮮出兵など、歴史的な出来事が、権力者から振り回される立場の長谷川等伯の視点で描かれるのが、なんだか新鮮で面白かったです。
読み終わったら、もう一度「松林図屏風」をじっくり見てみたくなるような、そんな作品でした。
今は展示されていないようですが、東京国立博物館に所蔵されているので、また機会があればぜひ観に行きたいですね。
ちなみに、東京国立博物館は、常設展もかなり充実していて面白いので、上野を散策する時には、ぜひ寄ってみてください。
作品のあらすじ
こんな書き出しで始まります。
雨だった。頭上にたれこめた厚い雲から、大粒の雨がふり落ちてくる。陰暦三月、ひな祭りも近いというのに肌寒い日がつづき、三和土はひんやりとした冷気におおわれていた。
長谷川又四郎信春(等伯)は草鞋のひもをきつく結び、古ぼけた簑をまとった。上背は五尺八寸、百八十センチちかい長身なので、簑をまとうといっそう大きく見える。
「そのような古いものを召されなくとも、新しいものがありますのに」
妻の静子が気遣った。(上、5ページ)
33歳の信春は、すでに絵仏師(仏教絵画を専門に描く画家)として高く評価されています。
しかし信春は、「このまま田舎の絵仏師で終りたくない。花鳥画や山水画にも筆をそめ、今をときめく狩野永徳と肩をならべるような絵師になりたい」(上、10ページ)と、いつしかそう大きな志を抱くようになっていました。
信春は染物屋の長谷川家に婿養子に入った身なので、京へ行って、絵の勉強をしたいと思いながらも、自分勝手な行動をすることが出来ません。
実家の兄、奥村武之丞に京に上がるいい方法がないかと相談した所、いい話があるというので、兄に会うために、信春は雨の中を出かけていったのでした。
ところが、信春は兄が仕えている畠山家の内紛に思わぬ形で巻き込まれてしまい、養父母を失ってしまいます。
故郷にいられなくなり、信春は妻の静子と幼い子供の久蔵を連れての、流浪の境遇になってしまったのでした。
行くあてのない旅の途中で、病気で寝込んでいる静子の姿を見て、信春ははっとします。その姿に、ずっと悩んでいた画題、鬼子母神の絵を描く手がかかりを見つけたように思ったからです。
興奮して、一心不乱に筆を走らせる信春。自分の身に起こった悲劇は、自分をこの境地に至らせるために起こったのだとさえ思います。
細部の描写に入ると、明り障子からさし込む月の光だけではさすがに暗い。静子の顔の造作も見えにくい。もっと光を入れようと、信春は戸板を細目に開けた。
隙間から刃物のようにさし込む光が、静子の顔を照らした。
ほの白く浮き上がった顔には、疲れが色濃く現れている。頬がこけ生気が失せて、まるで死人のようだった。
信春は冷水をあびたように我に返った。表現への熱狂がさめ、現実が残酷なばかりの重さで迫ってきた。
(何が絵師だ。何が高みだ。養父母を殺し、妻子を路頭に迷わせ、こんな所でいい気になりやがって)
それでもお前は人間かと、心の声が責め立てる。信春はあわてて戸板を閉め、言いようのない衝動に突き動かされて下絵をずたずたに引き裂いた。(上、81~82ページ)
信春は絵仏師なので、生活をしていくためには寺を頼るしかありません。ところがそのために、織田信長による、比叡山延暦寺の焼き討ちの現場に居合わせてしまいました。
信春は元々は武家の生まれですから、幼い子供の僧を助けるために織田軍に刃向かい、おたずね者になってしまったのです。隠れて暮らさなければならない、より一層苦しい日々が続きます。
やがて織田信長が本能寺の変で討たれ、豊臣秀吉が天下をおさめると、ようやく罪が許され、自由に行動が出来るようになりました。
たまたま機会があって、絵を描いた扇を売る商売を始めたところ、それが大成功をおさめます。
信春は狩野永徳とは交流がないのですが、その父、松栄とは親しく付き合うようになっていました。永徳は信春を黙殺しているのに対し、松栄は信春の絵の腕を高く買ってくれているのです。
その頃、織田信長に気に入られていた永徳は、なかなかに難しい立場にいました。豊臣秀吉によって、自分がかつて描いた豪華絢爛な織田信長の肖像画を、貧相で地味なものに描き直させられたりしていたのです。
聚楽第(豊臣秀吉が京都に立てた城郭風の邸宅)の襖絵(ふすまえ)の仕事を頼まれた永徳ですが、永徳一人では、手に余る大仕事です。
そこで、息子を心配した松栄は、信春に手を貸してくれるように頼んだのでした。
しかし、永徳は扇を売る単なる絵屋である信春が気に入りませんし、信春は信春で、永徳の高慢な態度が腹に据えかねるのです。
「ほう。ならばどうすれば描いていただけますか」
「代価を支払っていただけるなら、永徳どのの絵で購っていただきとう存じます」
信春は大きく出た。自分の絵は永徳の絵と同じ値打ちがあると言うも同じだった。
「絵屋のあなたが、この私と」
永徳は唇の端を吊り上げてにやりと笑った。神経を病んだような笑い方だった。
「まるで銀と土塊を取り替えるようなものだ」
「それは我々が決めることではありません。二人が描いたふすま絵を並べて、どちらが銀でどちらが土塊か、どなたかに判断していただけばいいのです」
「いいでしょう。その大口を叩きつぶし、身の程知らずだったと思い知らせてさし上げますよ」(下、27~28ページ)
こうして永徳と信春は襖絵で対決することとなりました。はたして勝負の行方は――?
やがて、長谷川派を立ち上げ、等伯と名乗るようになった信春は、「狩野派に対抗できる勢力をきずき上げるためには、永徳より絵がうまくなるだけでは足りない。優秀な弟子を育て、公武の要人との人脈を持ち、天下の耳目を集める大きな仕事を手掛けなければならない」(下、165ページ)と思うようになります。
そこで、兄の奥村武之丞を仲介にして、畠山家の姫にお金を渡し、大きな仕事への便宜を図ってもらおうとしたのですが・・・。
はたして、様々な苦労を経て、長谷川等伯が到達した境地とは一体!?
とまあそんなお話です。狩野派へ対抗しようとする長谷川派の行動は、まさに現代のビジネスとも通じる部分がありますよね。
すでに高く評価されている大手に、新しい勢力が対抗するためには、いいものを作るだけでは駄目で、やはり人脈が必要ですし、世間の目を引くような大きな仕事をしなければならないわけです。
それはある意味では、商品の出来以上に重要ですが、同時に、商品をよくする以上に大変なことでもあるわけで・・・。
芸術に打ち込み、自分の身に起こった悲劇さえも芸術のための糧にしようとする信春(等伯)のすごみは、古典を元にした芥川龍之介の「地獄変」の主人公、絵仏師良秀とも重なる部分がありますね。
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あらすじでは紹介しきれませんでしたが、千利休との関係や、また、様々なお坊さんとの対話も印象に残りますし、何より息子との関係がとてもよくて、胸にじんわりとくるものがありました。
長谷川等伯について書かれた小説は少ないので、かなり新鮮に感じられるはずです。ただひたすら自分の絵を追及し続けた芸術家の物語。
上下巻と少し長いですが、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
明日は、横溝正史『犬神家の一族』を紹介する予定です。