山田風太郎『忍法忠臣蔵』 | 文学どうでしょう

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忍法忠臣蔵 山田風太郎忍法帖(2) (講談社文庫)/講談社

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山田風太郎『忍法忠臣蔵』(講談社文庫)を読みました。

少し前に、大佛次郎の『赤穂浪士』を紹介しました。

ドラマや映画などでお馴染みの『忠臣蔵』の定番小説でありながら、忠義を貫き賞賛に値する「義士」でなく、忠義そのものが何かを問いかけるような「浪士」として描いたことに特色がある作品でしたね。

今回紹介する『忍法忠臣蔵』もまた、忠義に対してのアンチテーゼ(対立するもの)が描かれた作品です。

この小説で重要な役割を果たすのは、愛した女に裏切られ、「拙者、忠義と女は大きらいでござる」(51ページ)と、心の底から思うようになった伊賀忍者の無明綱太郎。

やがて綱太郎は、赤穂浪士の復讐を防ぎたい上杉家の陰謀に巻き込まれてゆくこととなります。

『忠臣蔵』について詳しくは、『赤穂浪士』の記事を参照してもらいたいと思いますが、ともかく浅野家が取り潰しになり、その原因を作った吉良上野介の命を、元浅野家の家臣たちが狙うというお話です。

憎き仇敵の吉良上野介の息子は、上杉家に養子に行った上杉綱憲という大名ですから、その後ろ盾もあって、なかなか簡単に討てる相手ではありません。

殉死の血判状を交わした六十一名は、それぞれ町人として潜伏するなど、亡き殿の仇を討つ機会をひたすら待ち続けます。

しかし、生活していかなければならない現実の厳しさから、一人、また一人と脱盟者が出て行って・・・。

と、ここまではどの『忠臣蔵』でもお馴染みのストーリーで、吉良邸討ち入りした四十七士だけではなく、何らかの理由によって討ち入りが出来なかった人々の人間ドラマも胸を打つのが、『忠臣蔵』の醍醐味だと言えます。

何故途中で心変わりして盟約から外れることになったのか、よく分かっていない人物もたくさんいます。

誰からも認められていた忠義者は、一体何故仲間を裏切ることとなってしまったのか?

そうした疑問を、恐るべき忍法を持つくの一によって誘惑されたからだということにして描いた物語が、この『忍法忠臣蔵』なんです。

山田風太郎の「忍法帖シリーズ」は、毎回とんでもない忍法のオンパレードなんですが、今回は忠義者の心を惑わすくの一の忍法ということで、もうものすごいことになってます。

実写で撮ったら間違いなく映倫の審査に引っかかりますし、マンガにしたら18禁間違いなしです。それくらいエロティックな忍法が出て来ます。

単なる肉体の交合ではありませんから、もはやエロ本を超えていると言っても過言ではないでしょう。エログロな作品が苦手な方にはおすすめできませんが、とにかくずば抜けて面白い小説です。

上杉家の主君、上杉綱憲は父吉良上野介を守るため、赤穂浪士の暗殺を凄腕の能登忍者10名に命じました。

しかし、赤穂浪士を殺せば、誰がどう見ても上杉家の仕業に決まってますから、上杉家を守るため、上杉家の家老の千坂兵部は、能登のくの一6名を派遣し、赤穂浪士の暗殺を防ごうとします。

そしてなおかつ、赤穂浪士を殺さずに、復讐を断念させなければなりませんから、くの一の色仕掛けの忍法で、赤穂浪士の忠義の心をとかそうというわけです。

千坂兵部に頼まれ、くの一6名を助け、同時に監視する役目を果たすのが、無明綱太郎。

主君と家老の間で思惑の食い違いを見せる上杉家の内紛と、亡き殿への忠義を誓う赤穂浪士の面々、そして忠義を毛嫌いし冷たく空虚な心を持った綱太郎の物語です。

作品のあらすじ


伊賀の鍔隠れで修業を積んだ伊賀忍者の無明綱太郎は、江戸城で通用門の警護の仕事をしています。

綱太郎はある時、江戸城で働くおゆうという女中に恋をし、2人はやがて将来を誓い合うようになりました。祝言の日取りを決めようかという頃に、思いがけないことが起こります。

おゆうの美貌が将軍徳川綱吉の目に止まり、妾になることが決まってしまったのです。綱太郎は自分と一緒に江戸から逃げようと持ちかけました。

「人の道をふみにじっても、女色を漁りなさる公方様に、義理をたてる必要はあるまいということだ」
 おゆうは端然と坐ったまま、ゆっくりとくびをふった。
「上様の仰せには従わねばなりませぬ」
 薄闇のなかに、その顔は能面のようにかたくひかってみえた。
「忠の一字はまもらねばなりませぬ。綱太郎さま、おゆうはそう思いきめて、おゆるしをいただきたく、きょう参ったのでございます」
「忠?」
 綱太郎は一声さけんで、だまりこんだ。忠、いかに野生化しようと、それは百年にわたり、公方の犬として飼育されてきた血のえがく文字であった。(32~33ページ)


いよいよ綱吉の寝所に向かう、おゆうの心は、自分の将来の栄華で占められています。子供でも出来たらと思うと、目もくらむような思い。

ところが、綱吉の前で白無垢を脱ぎ、一糸まとわぬ姿となったおゆうは、血のしぶきをあげながら、ばらばらの肉の塊となって崩れ落ちてしまったのでした。

そして、それきり江戸城から姿を消した綱太郎――。

やがて世間は、江戸城松ノ廊下で起こった刃傷沙汰の噂で持ちきりになります。播州赤穂の浅野内匠頭が、高家の吉良上野介に斬りかかったというのです。

浅野内匠頭は切腹、浅野家は取り潰しになり、浅野家の家臣たちは散り散りになりました。

しかし、吉良上野介の息子である上杉綱憲は復讐を恐れ、浪士たちの暗殺を命じ、ひそかに能登忍者10名を送り込んだのです。

上杉綱憲に妾になるように命じられたのを拒絶し、逃げて来た織江という娘を助けた綱太郎は、織江がおゆうと生き写しであることに驚愕します。

織江は上杉家の国家老、千坂兵部の娘でした。そうした縁があって、兵部の家で厄介になる内に綱太郎は兵部から、あることを頼まれます。

上杉家の主君が放った能登忍者による赤穂浪士の暗殺を防ぎ、なおかつ赤穂浪士の復讐の志を打ち砕いてほしいという難しい役目。

「きゃつらの心を泥土に堕としてやるのだ、仇討ちに命をかけてやる彼らに、それ以外のものに未練愛執の心を起こさせるのだ。生きてはおるが、武士ではないものに変えてやるのだ。(中略)いかに思い切ったつもりでも、男であれば彼らがひきずりこまれずにはおられぬ堕地獄がある。色道、肉欲の罠、女色の地獄」(59ページ)


そのために選ばれたお琴、お弓、お桐、お梁、お杉、鞆絵の6人のくの一を守り、もし情に溺れて裏切るようであれば始末してほしいと頼まれたのです。

綱太郎は6人のくの一に誘惑される試験を課せられますが、忠義と女は大嫌いだという本人の言葉通り、綱太郎の下半身は微塵も反応を示さなかったのでした。

そうして、赤穂の浪士たちの前に、そうとは分からない形で、くの一が現れるようになります。

交われば「逆に色欲の精を灯心のごとく刺しこんで」(99ページ)屹立が収まらず、頭がおかしくなるまで何度も何度も交わらせる「おんな灯心」や、交わった形のまま男と女の血管が繋がり、一心同体になってしまう「魔羅蠟」など、恐るべき忍法を使うくの一たち。

その中でも仰天するのが、お弓の使う「歓喜天」という忍法。

「忍法歓喜天。――」
「なに」
「それをつかえば、あなたさまはわたしに、わたしはあなたさまになる」
 お弓の顔はさくら色に染まり、眼も唇もぬれてきたようであった。恥じらいにたえがたいように身をくねらせながらささやく。
「ほかのおひとに、この忍法をつかう気にはなりませぬが――」
「お弓、忍法歓喜天とは」
「あなたさまとわたしと交わるのでございます」
「ま、交わる」
「好きでもない男と交わったとて、なんの変わりもございませぬが、ほんとうにふたりの血と肉と溶けあっても悔いのないほどいとしく思った仲ならば」
「ふたりが、相変わると申すのか」
 と、源四郎はいった。欲情と好奇心が彼の全身に波うってきた。(126ページ)


髪型と服はそのままであることから、精神が入れ替わるのではなく、絶頂に達すると、どうやら体そのものが変化して2人が入れ替わる忍法のようです。

進藤源四郎の姿になったお弓は、赤穂の浪士たちの秘密の会合に潜り込んで・・・。

はたして、綱太郎と能登の6名のくの一たちは、能登忍者10名の暗殺計画を食い止め、赤穂の浪士たちの復讐の計画を打ち破ることが出来るのか!?

とまあそんなお話です。くの一たちは、ただ冷酷非情に任務を遂行するだけでなく、男と交わるという忍法が忍法だけに、情に溺れてしまうことがあります。

すると、綱太郎は何の迷いもなく、そのくの一を成敗する役目を果たすことになるのです。愛を信じず、忠義を憎み、忍法は並ぶ者がないほど優れていながら、空虚な心を持った綱太郎。

綱太郎はサポート係なので、あまり表には出てこないのですが、忠義に生きる赤穂の浪士たちとは正反対のキャラクターなだけに、とりわけ印象に残ります。

エログロ感満載なので、読者を選ぶ小説だろうとは思いますが、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

くの一の忍法は、普通では出てこないものすごい発想で描かれているので、ただただ圧倒されるだろうと思います。

明日は、金庸『神雕剣侠』を紹介する予定です。