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はてしない物語 (下) (岩波少年文庫 (502))/岩波書店
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ミヒャエル・エンデ(上田真而子/佐藤真理子訳)『はてしない物語』(上下、岩波少年文庫)を読みました。
みなさんは『はてしない物語』をご存知でしょうか。『ネバーエンディング・ストーリー』として映画化もされましたね。
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主題歌は誰もが聴いたことがあるでしょうし、ファルコンという白い龍も有名だろうと思います。ぼくも子供の頃に夢中になって観た覚えがあります。
ただ、映画版の『ネバーエンディング・ストーリー』は原作とちょっと違っていて、原作ファンからは、賛否両論の声が聞かれます。
ぼくは個人的には主人公のバスチアンが増長して、どんどん嫌なやつになっていってしまう後半の方が好きなんですよ。
でも映画では、原作の後半部分は描かれていないんです。なので、ラストの印象は原作と映画では随分違うものになっています。
さてさて、名前は聞いたことがあっても、『はてしない物語』をまだ読んだことのない方もいらっしゃるだろうと思います。
そんな方は、ぜひ読んでみてください。まだ全然遅くないです。単なるファンタジーではないので、子供だけではなく、大人も十分楽しめる、素晴らしい傑作ですよ。
物語の主人公は、空想したり、お話を作るのが大好きな少年バスチアン。
ふとっちょで運動は苦手ですし、落第するくらい頭が悪く、みんなからからかわれたり、いじめられています。
お母さんが亡くなってから、ただただ悲しみに暮れるお父さんとの仲も、あまりうまくいっていません。バスチアンは、学校でも家庭でも居場所がないんです。
そんなバスチアンがたまたま手にしたのが、『はてしない物語』という本。
本の中では、アトレーユという勇気ある少年が、崩壊しつつある世界ファンタージエンを救うために冒険へくり出します。
夢中になって本を読み進める内に、バスチアンはふと気がつきます。
アトレーユが探している、ファンタージエンを救うことが出来る人間の子供というのは、ひょっとして、自分のことなのではないだろうか?
しかし、自分に自信のないバスチアンは、すぐさまその考えを打ち消して・・・。
『はてしない物語』の面白さというのは、まず何と言っても、こんな風に「本を読むこと」自体が描かれていることなんですね。
ぼくは今回岩波少年文庫で読みましたが、可能ならば、単行本で読むことをおすすめします。
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単行本の方は、なんと、バスチアンが読んでいる本そっくりに作られているんです。あかがね色の本の装丁もそうですし、中の活字も赤と緑の2色刷りになっていて。
つまり、『はてしない物語』という本の中で、バスチアンという少年が自分の読んでいる本とそっくりな『はてしない物語』を読んでいるという面白さがあるわけですね。
バスチアンはやがて、本の中の世界ファンタージエンに入り込んでいくこととなります。
本の中の空想の世界に行けるというのは、子供はもちろん純粋に楽しいわけですが、大人の読者は冷静ですから、一種のメタフィクションとして読むことになります。
メタフィクションというのは、小説が小説であること自体をネタにしたもので、小説の枠組みをあえて壊すような作品のことです。
それがまた非常に面白いところで、大人の読者をも唸らせる要素がたくさんあります。社会諷刺があり、人生訓ありと、大人の方がむしろ、深く考えさせられるかも知れません。
そして、ファンタージエンというのは、現実世界とは別の世界としてしっかり存在しているわけではなくて、誰かの空想によって作られていくものだということも重要です。
ファンタージエンの住人は、何も生み出すことが出来ませんが、人間であるバスチアンは、想像力の赴くままに、ファンタージエンの世界を作っていくことが出来るんですね。
誰かを救おうと思えば救うことが出来て、何かを作ろうと思えば作ることが出来るわけです。
夢の中での行動のように、自分の思うままの世界を作り、自分の思うままに生きることが出来るバスチアン。きっとすべてがうまくいくはず。ところが・・・。
子供は純粋にファンタジーの冒険譚として、大人は「本を読むこと」そのものを描いた物語、そして空想の世界を作り上げていくことの楽しさ、難しさを描いた小説として、読むことが出来ます。
『はてしない物語』は、ある種の頂点を極めている小説だと思うんですよ。類似したテーマや作風の小説がないわけではないんですが、この小説はちょっと別格な感じがします。
空想することの大切さ、そして、感情を持つことの素晴らしさを教えてくれる、とても素敵な本です。
作品のあらすじ
小さな古本屋の中に、背の低い太っちょな少年が駆け込んで来ます。外はどしゃ降りなので、少年のオーバーはびしょびしょに濡れていました。
少年の名前はバスチアン・バルタザール・ブックス。クラスメイトからいじめられて逃げて来たのです。
古本屋の店主は、相手が子供では商売になりませんから、まともに相手にしてくれず、電話が鳴ると奥へいなくなりました。
バスチアンは、店主が持っていた本を手に取ります。すると、『はてしない物語』と書かれたその本を、どうしても読んでみたくなりました。
お金はほとんど持っていないバスチアンは、その本を盗んで逃げ出してしまいました。
教室には行かずに、学校の屋根裏の物置に隠れて、その本を読み始めたバスチアン。
物語の中では、ファンタージエン国の様々な種族の代表者が、女王幼ごころの君に会うために、エルフェンバイン塔に集まって来ています。
なんと、ファンタージエン国全体に虚無が広がりつつあり、虚無に触れたり、吸い込まれた者は、それきり消えてしまうというのです。
しかし、みんなが心の支えとしていた幼ごころの君は、病の床に伏せってしまっていたのでした。
幼ごころの君の命を救う方法、そして虚無によってファンタージエン国が崩壊してしまうのを避ける方法を探すため、緑の肌族の選ばれし少年アトレーユは白馬に乗り、冒険に出発します。
幼ごころの君から託されたのは、アウリンという首飾り。アウリンは幼ごころの君の任命を受けたしるしで、秘められた不思議な力があるようです。
アトレーユは巨大な亀のモーラや、三つの門をくぐり抜けた先にいるウユララなど、知恵のある存在に会いに行くアトレーユ。
その道のりは容易なものではなく、強大な力を持つ敵と戦い、幾多の困難を乗り越えて行きます。旅の途中で、幸いの竜フッフールを救ったりも。
アトレーユの冒険は本編で楽しんでもらうとしまして、やがて、アトレーユは幼ごころの君の命を救う方法、そしてファンタージエン国全体を救う方法を知ります。
その方法について、少しだけ触れておくと、ファンタージエン国の外にいる、人間の力が必要なんですね。それは一体、どんな方法なのでしょうか?
ファンタージエン国の住人では出来ないことですが、人間にとってはとても簡単なこと。
しかし、唯一ファンタージエン国を救えるはずのバスチアンは、勇気も自信もないのです。ただただ戸惑うばかり。
バスチアンは自分が不意にかれらの前に現れたらどうだろう、と想像してみた。でぶでエックス脚でチーズのような顔の自分。幼ごころの君の顔にがっかりした表情が現れるのが、もうはっきりと目に見えた。幼ごころの君はこういうだろう。
「おまえのようなものが、何をしにきたのです?」と。
それどころか、アトレーユは笑うにちがいない。
そう思うと、バスチアンは恥ずかしくて顔がまっ赤になった。(上、296ページ)
はたしてこのまま幼ごころの君の命が失われると同時に、ファンタージエン国は滅んでしまうのでしょうか?
ここでざっくり飛ばします。物語の後半、バスチアンはいよいよ本の世界へ入り込むんですね。
そこでのバスチアンは現実世界とは違い、見目麗しく、アウリンを身に着け、魔法の剣シカンダを装備したとても強い人物です。
バスチアンの望みはすべて叶います。建物でも怪物でも思いのままに作りだせますし、困っているものたちを救うことだって簡単にできます。
憧れていたアトレーユと幸いの竜フッフールと会うことも出来ました。アトレーユはバスチアンの姿が昔と違うことに気が付きますが、バスチアンはそれを聞いて、不思議に思います。
「どんなふうだった?」
「きみはとても太っていて、蒼白い顔をして、まるでちがう服を着ていたよ。」
「太って、蒼白い顔だって?」バスチアンは信じられないというふうに笑って、ききかえした。「それがぼくだったって、きみ、たしかかい?」
「きみじゃあなかったのかい?」
バスチアンは考えてみた。
「きみはぼくを見た。それはぼくも知っている。だけど、ぼくはずっと今のようだったよ。」(下、109ページ)
アトレーユはバスチアンに人間の世界の話を聞きますが、バスチアンは段々と昔のことを思い出せなくなっているようです。
「そんな子どもたちは知らないな。――それに、ぼくをからかってばかにする子どもなんか、絶対にいたはずがないよ」(下、170ページ)と呆れたように言うバスチアン。
実は、アウリンを身につけて望みを叶える度、人間の世界での記憶が失われてしまうんですね。すべての記憶を失ってしまうと、人間の世界に戻れなくなってしまいます。
それを知ったアトレーユは、友達のバスチアンを救うため、アウリンを奪おうとしますが、バスチアンは当然、それを自分に対する裏切りだと思います。
アトレーユと幸いの竜フッフールと対立したバスチアンは1人と1匹を追放し、自分がファンタージエン国の帝王になるために、配下の者を引き連れて立ち上がりました。
願い事はなんでも叶い、周りからちやほやされたバスチアンは、すっかり自分を見失って、権力を欲するようになってしまったのです。
はたして、道を踏み外してしまったバスチアンの運命はいかに!?
とまあそんなお話です。前半も面白いですが、後半がかなり面白いんですよ。純真で、おどおどしていたバスチアンが、権力を振りかざす悪の帝王のようになってしまうんです。
実を言うと、誰かを助けようとすることは、すごく難しいことなんですね。たとえば、物語の中には、怪物がいなかったんです。
怪物がいなければ、騎士は自分の力を見せることが出来ませんから、お姫様の尊敬を勝ち取ることが出来ません。
そこで、バスチアンは騎士のために、怪物を作り出してやります。それは騎士を助けることではありますが、同時に怪物を生み出してしまったことに他なりません。それははたしていいことなのでしょうか。
薬に副作用があるように、バスチアンの行動は、いいにせよ悪いにせよ、思わぬ出来事を引き起こしてしまうのです。
寓意に満ちた台詞がたくさん出て来るのも『はてしない物語』の魅力です。ぼくが最も印象的だったのは、グラオーグラマーンの台詞。
グラオーグラマーンは、夜になると石になり、朝になると甦るライオンです。色のついた砂漠にあわせて体の色が変わります。
グラオーグラマーンが行くところすべてのものは死に絶え、塵になり、辺りは砂漠になっているのです。
グラオーグラマーンは永遠の孤独を思い、打ちひしがれていましたが、バスチアンはあることを教えてやります。
それは、グラオーグラマーンが石になっている間、外では夜の森ペレリンが生い茂っていたということ。
もしもグラオーグラマーンがいなければ、ペレリンが地上を覆い尽くしてしまうんですね。グラオーグラマーンがいるからこそ、この世界はうまく成立しているわけです。
砂漠から出ることの出来ないバスチアンに対して、グラオーグラマーンはこう言います。
「ファンタージエンの道は、あなたさまの望みによってのみ見いだされるのです。」グラオーグラマーンはいった。「そして、いつも一つの望みから次の望みへと進むことができるのです。あなたさまが望まないものには手も届かない。『近い』とか『遠い』とかいうことばも、ここではその意味で使われます。だから、ある場所を立ち去ろうと思うだけでは十分ではない。他の所へゆきたいという望みがなければだめなのです。望みを持って、それにご自分を導かせるのです。」(下、65~66ページ)
グラオーグラマーンのこの台詞をまとめると、「明確なビジョンを持つべし!」なんですが、ビジネスや悩み事などでも応用可能な、とてもいい台詞だと思います。
何事も動き出すには、現状から逃げ出すことだけを考えては駄目なんですね。それではますますその状況に迷い込んでしまいます。
まず、行き先をしっかり決め、そこへ行きたいという、はっきりした願いを持つこと。これは人生においてもとても大切なことだと思います。
そんな風に、色んなエピソードや台詞が、とても印象に残る本でもあるんです。
物語には、「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」(上、51ページ)という文章が何度も出て来ます。
物語の中のエピソードは、また別の物語を生み、その別の物語の中のエピソードは、また新たな物語を生みます。
つまり物語というのは、終わりのない、はてしない物語なんです。
本を愛するすべての人に読んでもらいたい名作です。まだ読んだことのない方は、ぜひぜひ。
大人になってから読んでも面白いですし、色んなことを教えてくれる本だと思います。
明日は、ジョルジュ・シムノン『ちびの聖者』を紹介する予定です。